2013年05月16日

「民王」  池井戸潤

価格転嫁の話を書いたら日本の価格競争の厳しさと付加価値があるところだけが値上げ出来るってコメントを頂いた。そうだなー、自分の土俵で戦えてるか?と思った。

 

さて、橋本氏のツイッターを読みつつ、それに対して自分の意見を述べる日本維新の会所属衆院議員がいた。彼女は杉田水脈と書いて「すぎたみお」と読む女性がいる。水脈を「みお」と読ませるあたり面白いが、彼女がもし「じげ(地下)」さんと結婚したら地下水脈になる。

 

それでいけば武藤代議士が自分の男の子の名前を現代風に目標を持つって意味で「ひょう(標)」としたら、さすが政治家、無投票となる。

 

日本のように姓と名を組み合わせて本来とは違う意味の一つの熟語や単語になるってのは面白いものだ。

 

こんな事をふと思いついたのは、池井戸潤の「民王」を読んだ時だ。武藤首相の息子が翔(しょう)だった事から「一文字違えば超ウケルな・・・」と思ったからだ。

 

民王は総理大臣とその息子を中心に官房長官や優秀な秘書、ライバル政治家、公安警察が織りなす人間ドラマである。

 

政治に理想を持ち政治家の道を選んだものの、いつの間にか現実の政治に流されて来た首相武藤泰山と、そんなオヤジの背中を見て政治家にだけはなりたくねーなと考える息子の翔。

 

物語はミステリーをベースにして各所に笑える場面を配置して最後は政治や社会のあるべき姿、つまり理想を持とうよって結びになっている。

 

笑える場面では首相答弁の場でこんなのがある。

首相「我が国はいま、アメリカ発の金融、えーと、金融キキンによる」

息子「お、おい今なんて言った。金融キキン?造語か?」

秘書「なわけないじゃないですか、金融危機です、危機!」

首相「ミゾユーの危機にジカメンしており、景気は著しくその、テイマイしておるところでございます」

息子「ミ、ミゾユー?どんな原稿書いてるんだ、貝原(秘書)?」

秘書「未曾有ですよ、未曾有!ジカメンじゃなく直面だし、テイマイじゃなくて低迷・・・」

首相「〜一部の業界においては大型倒産がハンパツし、受注減によるハヤリ労働者切りの問題が〜」

息子「ハンパツ?ハヤリ労働者?」

秘書「頻発、派遣労働者です」

 

最後には

首相「ワカオキしておりまして、こうした事態をカイサケするため」

秘書「惹起に、回避です」」

息子「た、助けてくれ、オレはもう死にそうだ」と断末魔の叫びをあげそうであった。

 

しかしある就職試験の場面では面接を受けた息子が就職希望先のアグリカルチャー(農業流通)社員に対して

「売れないから、安いからと言って、金儲けのために(農薬だらけの)外国産に走れば、日本の食文化は将来的にとんでもないことになる。本物の味を日本人に伝えることなんじゃないですか?」

 

その通り。原理原則である。企業とは本来社会に役立つ事をするべきでその結果として利益が出るようなビジネスモデルでなければいけない。

 

この話など昭和後期の日本農協が自分の利益だけを考えて農家に農薬を買わせて農薬漬けの野菜を作らせてそれを日本人の食卓に出したものだから形が良くても味の不味い、苦い野菜が出回ったのだ。自分たちだけ金儲けをやった結果として農協は現在崩壊の際にある。

 

おかげで僕も当時は完全に野菜嫌いになった、ニュージーランドに来てやっと少しづつ野菜が食えるようになったものだ(苦笑・・野菜嫌いの言い訳か?)

 

最後は総理大臣が自分の理想を政治で実現しようとして政局を迎えて与党長老に諌められる。

「お前は総理である前に、民政党の総裁なんだぞ、泰山」

「それは違います。民政党の総裁である前に、私は日本の首相です。己の利益の前に、国民の利益を論ずるべきだと考えます」

「随分堅い事を言うじゃないか、それで政局を運営出来るか?」

「正しいことをして運営出来ない政局など、そもそも間違っています」

 

今の時代、もちろん理想だけで話が進むわけではない。けれど、理想なしに現実論ばかり語って自分の利益だけ考えて運営すれば結局理想のない金だけの為に生きる社会になり、それは最終的に社会そのものを滅ぼす。

 

だからぼくらはどれだけ苦しくても理想を忘れてはいけない。金だけに走っては、絶対にダメなのである。大義と理想の為に活動しながらも行動の中に利益の出るシステムを組み込む、それが本当の経営である。

 

天国のスプーンという話がある。これは元ネタが仏教なのか他の宗教なのか出所が不明であるが、ぼくが知っているのはキリスト教の話。

 

地獄では大きなテーブルを囲んでたくさんの人がテーブルに並んだ料理と取ろうとしている。ところがスプーンが自分の手より長すぎて、料理をとっても自分の口に入れることが出来ず誰もが料理を目の前にして空腹を抱えている。

 

その頃天国では大きなテーブルを囲んでたくさんの人がテーブルに並んだ料理をスプーンで取り、それを向かいの人の口に差し出して食べてもらってる。もちろんその人も他の人が口の前に差し出してくれた料理を食べている。そうして誰もが満腹で満足している。

 

自分だけが生き残ろうとする社会では結局社会が崩壊してしまう。この事は本当に誰もが理解する必要がある。今の日本のビジネスを見ていると、本当に自分だけが生き残れば良いと思ってる風潮がある。

 

ある時、あるビジネスマンが「私は他利を考えていましてー」と話した。ぼくはその時本当にびっくりした。そんなの当然じゃん、社会なんてのは人が一緒になって生活をしており、他人が死ねばこっちも生き残る危険が高まるわけで、最終的に自分以外のすべての人間が死に絶えたら社会は崩壊して人は原資生活に戻るしかなくなり、そうすると虎や狼などの野獣と戦っても勝てない。

 

そう考えれば他利なんてごく当然の話なのに、それがわかってないから平気で「私は多利をー」とまるで特別なことのように言う。それだけ日本社会がおかしくなっている証拠だ。

 

民王。政治家と官僚と民間人と、三者三様の人間ドラマとヒューマンユーモア溢れる作品でした。

 

 



tom_eastwind at 14:52│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

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