2013年07月04日

バンブー・シーリングを越えて

「アジア人が上に行こうとする時に出会う、見えない壁がある。これを米国では米語でバンブー・シーリングと呼ぶそうだ。ジェイン・ヒュンというアジア系人物が名付け親とのこと。勤勉で能力もあるし言葉も学歴も決して白人に負けないのに、何故か米国組織の中で一定以上にはなれない。」というコラムを読んだ。

 

このバンブーシーリングという表現は面白いな。

 

ぼくはニュージーランドという国でアジア人として生活をしていて日本人としてクイーンストリート沿いにあるオフィスで仕事をして毎日ネクタイをした白人と様々な仕事に取り組んでいるが、この天井を感じることはよくある。

 

たまたまぼくが日本人(嘘をつかない礼儀正しい人種という意味)であり何とか英語も話せて(この人の日本語上手ね、まるで英語みたいと言われる・・・)一応専門分野の知識も付いていけるから
(国債は金利が上昇すれば債券価格が下がるという理屈)

(家族信託の最終受益者はペットでもOK

(タックスクレジットという単語を知ってる)

(子供の歯の矯正にいくらお金がかかる)

(どこそこのマンションは水漏れマンションだ)

(隣のオフィスのどいつは生意気だとか)

(住宅の瓦屋根には防水シートを敷かないとか)

要するに生きていくのにあまり必要のない知識だ(苦笑)。

だから彼らもぼくの話を聞いてくれるが、普通の日本の知識だけで日本の話しをしても相手にもされないだろう。

 

ただぼくはいつも思うことだが、どこの国でも移民一世ってのは家族のために一生懸命働いて見えない天井の出来るだけ上に行くことで二世の代になって子どもたちが地元の小学校から中学高校と通い大学を卒業して社会に出て初めてバンブーシーリングから抜けだして「天井の向こう」に行けるのだと考えているのであまり気にしない。

 

太平洋を挟んだ北米のアメリカという国ではスパニッシュの子孫がもしかしたら将来の大統領候補かもと言われてタイムズなんかでも特集が組まれたりしているが、そんなもんだろうと思う。

 

一世なのにバンブーシーリングの事を文句言うべきではない。だって実際に人間の評価は専門能力だけではなく様々な要素を合計して判断されるわけであり、天井の上にいる人からすれば自分に役立つ人や話しやすい人や一緒にいて学べる人とビジネスをしたいわけだ。

 

そんなの日本社会でも同じで、どんなに賢いブラジル人でもやはり日本人は何かあれば日本人の雇用を優先する。(勿論例外があるがいつも言うように一般論を語っている時に例外を持ちだしてどうこう言うのはなしね)

 

なのにニュージーランドでも在住日本人が時々掲示板などで文句を言うことがある。「この国の人は私より程度が低いのに高い給料をもらってる」とかですな。

 

しかしよく考えて欲しい、もしこの文句が女性だったとして、まずキーウィは一緒に働きやすい人を優先するから、彼らは口のうまい日本人女性を優先するし日本人が感じる美的感覚と違ったセンスを持っているから何故か白人男の腕にぶら下がってキャッキャと喜んでいる平安美人とか人類に近い顔をした女性を選ぶ。

 

その結果として日本では優秀で美人ですらっとして脳みそもあって能力もあって男に媚びなくても生きていける女性は意外と相手にされない。これは本人の専門能力の問題ではなく全体的要素の合計点の問題なのだ。

 

これは男性の場合でも同じで同僚よりも優秀であれば足を引っ張られて落とされるだろうし能力がとんがっていればチームから追い出されるだろうし調和できるなんて言えば個性がないと言われ、理由は何でもよい、要するにそこには常に「ちょっと違うなこいつ」というバンブーシーリングがあるのだ。

 

これはぼくがりょうまくんを週末のゲームセンター(日本で言うゲームセンターではなく、近い概念で言えば日本の囲碁クラブとかフリー雀荘かな、WarHammerという集まった人が三々五々戦うゲームだ)に連れて行くと感じる事だ。

 

下は8歳から上は25歳くらいの白人キーウィの子供が三々五々「おお、りょうま、キタか!今日はお前の負ける日だぞ!」とか「おいりょうま、ペイント用のスプレー持ってる?おれ忘れたんだ」とか、まるで子どもたちの遊び場にもう一人子供が増えた、たまたまその子はアジア系であるというだけの感覚だ。

 

しかし子どもたちの感覚は鋭く「あ、今日はこいつ親父と来てるな」と気づくとこっちに絶対目を向けずにゲームにハマっているような顔をする。ところがぼくがりょうまくんに「じゃあ行くよ」と声をかけようとするとりょうまがゲームに夢中でぼくに背中を向けている。

 

そんな時に隣の子供がぼくに気づくとりょうまの肘を突っついてこっそりと「おい、親父が呼んでるぞ」と声をかけてくれる。そっか、この子は僕がりょうまの父親であるって認識しているけどまだまだ異邦人でありよそ者であるから直接口を聞かないが存在は理解しているって事だ。

 

だからぼくがりょうまくんに英語で話しかけるとその子供はまるで雷に打たれたようなびっくりした顔で僕を見上げる、たぶんアジア人のおっさんが英語をしゃべるなんて彼の脳みその中ではあり得なかったのだろう(笑)。

 

でもりょうまはすでに彼らの仲間に入ってて「こいつはOKだ」となっているのだ。

 

親にはバンブーシーリングがあるけど子供の世代になれば天井の上に行ける。それこそ移民一世が理解すべき点だろう。日本人移住者は軒を借りる認識があるが他のアジア人の場合は軒を借りて母屋を奪う的なところがあって積極的で良いのだがその結果として現在のような中国人排斥運動につながるのだ。

 

だからぼくらの立つべき位置は、ぼくらの子供が大きくなった時に白人の彼らがバンブーシーリングを彼らの自由意思で取り外して「おい、こっち来いよ、お前はOKだよ」と言われるまでじっと真面目にニュージーランドの利益の為に働き周囲に面白い冗談を言いバスにのるときに決して割り込みをせず法律を守り礼儀正しく生きてくべきだと思ってる。

 

もちろんそれでも一世の時点では個人的にバンブーシーリングが外されることはあっても全く知らないキーウィにとっては面白く無い話になるだろうから、外してくれた仲間の内輪では同等に話が出来るとしても仲間外のキーウィが入ってきた時には注意すべきだろう。

 

そんなの嫌だ、何で平等じゃないんだ?なんて感じるのだったら日本に帰った方が良い。日本なら日本人はどんな馬鹿でも一応は一級市民である。日本に来た優秀な外国人を、俺様は日本人、お前は外国人であるというだけで二級市民として扱う事が出来る。

 

けどこれって、まさにニュージーランドの少し知性の弱いキーウィがやってる外国人差別と同じなんだけどね。

 

まあいいや、とにかく移民一世というのは決して楽ではない。バンブーシーリングがあるのは間違いない。そしてそれは理論的に間違ってるとかおかしいとか言ってもどうしようもない問題なのだ。そのことをしっかり頭に刻みバンブーシーリングがあることを受け入れた上で外国での生活をすることが海外移住というのだ。



tom_eastwind at 16:41│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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