2013年07月21日
東京には空がないという 八重の桜
オークランドに戻ると青空が広がっていた。それにしても青いなー、本当に空だって感じがする。土曜日の午後の空港から自宅までは車も少なくて、青空の下を無料高速道路で30分走らせて家族のドライブを楽しんだ。
一週間ぶりの自宅でみんなでわいわいスキー道具を片付けてたらさすがに料理をする気持ちも失せてニューマーケットの中華料理屋「新世界」で持ち帰りを頼んでテーブルに料理を広げて久しぶりに家庭的中華料理を楽しむ。ちなみにこの店は飲茶が美味い。週末の行列を見ればよく分かる。
でもって日曜日の昼過ぎ、家族は新世界の飲茶に出かけ、ぼくはゆっくりと「八重の桜・決戦の時」を観る。
そうそう、うちの会社では社員及び会員様用に毎月日本からテレビ番組のDVDを購入しており皆さんに楽しんでもらっている。日本から遠く離れたニュージーランドでも日本の番組を観られるのだからますます距離感がなくなり、日曜日に自宅にいて全く英語を話さずに日本のDVDを観ていると、今自分がどこにいるのか分からなくなる(笑)。ちなみに他にもリアルタイムで観られる有料番組サービスもあり本当に便利になったものだと感じる。
今回の「八重の桜」では官軍の攻撃で二本松の少年兵が破れ会津に流れ込んだ官軍から会津藩を守る為に銃を持ち戦いに出る八重が主人公だ。よく作りこんでる人間ドラマでもあり歴史ドラマでもあり、勝てば官軍であった暴力的な時代に逆らって最後まで決して自分を曲げなかった会津武士と会津女性がよく描かれている。あの時代は坂本龍馬だけが英雄ではなかった、日本武士階級の男と女が英雄であったことがよく伝わってくる。
それにしてもこの戦いにガトリングガン(機関銃)が数丁あれば全く結果は違ってただろう。八重が持っていたスペンサー銃が唯一の近代兵器だ。武士という名前のメンツに300年乗っかり刀から銃への変化を否定した武士階級が、武士というメンツを無視して近代化した武士集団に敗れたのだ。
それにしても銃に対して薙刀で戦うのは後日のB29に対して竹槍で落とそうとするのと同じ感覚を受けるのはぼくだけであろうか?滅びる道を選ぶことはそれほど素晴らしい事なのだろうか?
会津の武家の女性の身の処し方、白虎隊など見事な散り際である。ただし滅びることだけが正しい生き方か?それは自己満足だけではないか?その前に主君を持続するためにやれることはなかったのか?組織を生き残らせて自分たちの主張をもっと天下に広める外交・政治的活動は出来なかったのか?
冷徹に判断すればこれが結局会津藩主が政治的に最初から最悪な結果を想定せずにその場その場しのぎをした結果でもあるとぼくは思っている。ぼくは同じ経営者としてどうしようもない怒りを感じる。
「滅びる」とは会津武士の場合はこどもの頃から「ならぬものはならぬ」と教えられた結果の事で、もう理屈を超えた世界であろう。西郷頼母がどれだけ現実的な提案をしてもそれを受け入れる組織は存在しなかった。「生きて会津を守る、強くなれ、そうしなければ一歩も前に行けないぞ」その現実的な解を求めようとせずに「滅び」を選んだ。
ただぼくは絶対にこのような散り際を選ばない。絶対に戦い続ける。どのような状況に陥っても最後の最後まで諦めずに戦う。「お城を守る、諦めねい」というなら、何故その前から準備をしなかったのか?ぼくなら10年先を考えて今を行動するぞ。そんな気持ちで思わずのめり込んで四回分を一気に観てしまった。
はは、それにしても綾瀬はるかってきりっとした日本的な美人だなー、ははは、テレビ観て単純に喜んでるおれって、馬鹿かもー(笑)。今年の大河は日本ではあまり人気がないと言いつつもやはり質が高い。NHKの不祥事が続き経営陣が一新されてからは現場の人々もやる気が出ているのではないか。
ところで、この番組で福島の空の青さを見ながら、そういえばふと智恵子抄を思い出した。
***
智恵子抄 「あどけない話」
智恵子は東京に空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である。
***
ほんと、どんよりけむる東京には空がないなー、これは出張する度にいつも感じることである。
東京で生まれ育って生活をするってのは、例えば魚はスーパーで切り身になっているものであり海で泳いでる時から切り身のままだと思っている子供とか牛肉ってのは薄切りになった肉のことでありそれは決して牧場で草を食べている牛ではないとか(さすがにそれはないか〜笑?)。
ニュージーランドの自然環境が良いのは間違いない。普通に世界の大気を観てみれば分かる。最近は住宅に使われているプラスターが問題になっている。プラスターってのは壁に吹き付ける石膏の事だが、これが体に良くないって事で、プラスターの家は値段を安めに判断される。
けれどそれは全体の自然環境を日本から見れば、たぶん取るに足らない問題だと思う。そんなもん、じゃあじゃあ杢目の外壁材を使えば良いだけだもん。
ところが日本は1970年代の公害を経験して今は中国の黄砂が越境公害となり、これで果たして「東京に青い空がある」と言えるのだろうか?
写真はオフィスのぼくの机からスカイタワー向けに撮ったものだ。空が青いでしょ。これがシティのど真ん中から見える普通の景色です。
智恵子は東京に空がないという。ぼくはオークランドに空があると思う。ましてやクイーンズタウンの空なんて、なんとも言いようがない天国のような青空だ。
1868年の福島会津藩の八重が見た福島の青空から昭和の智恵子の見てた東京のどんよりした空、そして一週間を過ごしたクイーンズタウンの圧倒的な青空、戻ったオークランドの青空。
政治家は賢いにこした事はないですね、そして空は青いにこした事はない。