2013年08月15日

フェイスブック利用調査 生活における満足度を読んで

米ミシガン大学(University of Michigan)の調査チームは、スマートフォン(多機能携帯電話)を所有しフェイスブックのアカウントを持っている若者82人を募り、2週間にわたって毎日、15回不定時に、テキストメッセージを送る方法で彼らの主観的な幸福感を測定した。

 チームによると、幸福感や生活の満足感にフェイスブックが及ぼす影響を測る調査は、今回が初めてだという。調査では、被験者たちにどんな気分か、不安や孤独を感じるか、フェイスブックの利用頻度、人との「直接」交流の頻度などをテキストメッセージで尋ねた。

 その結果、ある時点でフェイスブックを同時に利用する人数が増えると、次にテキストメッセージを送信するまでに被験者の気分は低下していたという。また、2週間の調査期間中、フェイスブックの利用頻度が増えるほど、生活における満足感は下がっていったという。

 これとは対照的に、個人的な交流があると、被験者の気分は良くなっていったという。

http://news.livedoor.com/article/detail/7955756/

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フェイスブックはニュージーランドでも子供同士のツールとして活躍している。会社でもプライベートの交流でよく使われているが知り合い同士がおしゃべりをするには良いツールである。

 

ただこれは所詮ツールでありこれがあれば人間関係が円滑にいくというものではない。逆にフェイスブックの広がりを理解せずに炎上することもある。上記のアンケートのように一対一でつながってればほっとするのに仲間が増えるといつの間にか自分が大勢の中の一人にしか過ぎなくなるのだろう。

 

これは現実生活でも同様で一対一でおしゃべりをする時は楽しくてもそこに第三者が入ってきて話に加わるといつの間にか自分の発言機会が減って少し暗くなる人もいる。もちろんどんな場所でも話上手な人ならそういう事もないだろうが一般的に話し上手の聞き上手はそんなにたくさんいない。

 

ましてやこれがネットとなるとお互いに短文でやり取りするからどうしても表情や声の抑揚がわからないので勘違いしやすい。人間の会話は言葉だけでなく表情や抑揚が大事なのは誰もが知っている事だが、その表現能力の多くを占める表情や抑揚が出せないのだから難しいコミュニケーションマシンだと言える。

 

バカ発見器として有名になったツイッターであるがそれは皆が短文でつぶやくだけでは真意が伝わらないまま伝言ゲームで最後に受け取った人は「何だこのやろー!」という事になる。

 

人は生まれも育ちも違えば歴史の理解も人種問題も理解度が全く違う。日本にいるだけでは分からない世界レベルの常識が理解出来ないことがよくある。

 

外国で生活をするだけでなく外国人の思考方法や何故そうなったのかという歴史的社会的背景を考えれば、そこに「人間の持つ普遍的に変化しないもの」と「地域性や時代性で変化するもの」の区別をすることが出来る。

 

そうすれば日本人が自分たちの中で普遍的だと思っていることが意外と単なる地域性であったりするのが分かるから自分が怒っている事が無意味であることに気づくが、多くの日本人は違う文化習慣と比較して考えることが出来ない。そういう訓練をしていないからである。

 

これが長じてというか短じてというか、フェイスブックやツイッターで繋がる向こう側の相手があなたと同じ日本生まれの日本人でありながら全く違う思考回路を持っていた場合、あなたの書き込みを勝手に誤解したり異常な反応を起こすことがある。

 

相手は自分が普遍的真実だと思っていることは古代日本民族の発祥から現代まで連綿と続いている日本全体に広がる習慣であると思いこむ事もよくある。けれどそれは単なる自分の生まれた地域の最近の習慣であるのにそれが気づかないってのがある。

 

わかりやすい例で言えば当社は日本中から社員が集まっており時間のある時に自分の住んでる地域の話をすることがある。例えば10年くらい前の話であるが節分の日になって「豆まきだね」とか言ってたら大阪出身のスタッフが「恵方巻きやなー、今年はどっち向くんやろ」と言い出した。

 

周囲は意味不明で「なにそれ?」と聞き返すと大阪人はびっくりしたように「えー!あんたんとこ、恵方巻きやっとらんのー?おかっしいちゃう!?」。恵方巻きは元々大阪地方で流行った文化であるから巻頭や北海道の人が知らなくて当然なのだが、大阪の人からすれば昔から日本中でやってるものと思い込んだものだ。

 

他にもこのような例は枚挙に暇がないが、人間は自分が置かれた環境や考え方は他人も同様であるという錯覚をすることがよくある。その時に正面向いて話しているとお互いその場で誤解に気づいて「ああ、なんだー」で終わるが、これがネットの向こうにいる相手だとこちらの気持ちが通じないまま喧嘩になる。

 

ぼくは自分の書いている事が短い文章で表現出来ないのは理解しているし人によっては理解しづらい内容になるからあえてツイッターもフェイスブックもやらない。

 

いずれ世の中がこのようなSNSに慣れて来ればトラブルも減少するとは思うが、それでも現実世界での人間同士のトラブルより減少することはあり得ない。つまり当分は常に誤解を生みやすい道具であるって事だ。

 

電話が出てきて100年になるが、最初は声だけのやりとりでも抑揚で相手の気持ちが分かった。それでもやはりうまく伝わらない時は「ねえ、会って話をしない?」となった。21世紀にテレビ電話が出来ても、それでも何かを伝えるときの最高のコミュニケーション手段は直接会って話をすることだ。

 

逆に言えば直接会って話すことで相手が誠意を持って話しているのか、それともこちらに何か言い含めようとしているかが分かる。

 

フェイスブックもツイッターもうまく使えば良いツールだが使い方をしらないままではトラブルメーカーになってしまう。分からずに使えばまさにバカ発見器となるだろうしうまく使えばあなたを表現する有効な道具となる。

 

うまく使うとはリテラシーを持つことであり、リテラシーを持つために最も有効な手段は自分が信じていることや今考えていることが自分の住んでる地域の常識なのか日本の常識なのか世界では常識なのかを検証していき、世の中には普遍的な真実と時間や地域に左右される真実があることに気づくことである。



tom_eastwind at 13:15│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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