2013年09月01日

Band of Brothers

このテレビ番組を観ながら痛切に感じたのは、米国は個人を大切にする国ではなくて、個人を大切にしなければ国家として成立しない国なのだって事だ。

 

何故なら移民国家は世界中から移民を受け入れる時に「うちはええでっせー!誰もが法律で守られて発言も自由で誰でも金持ちになる機会があってー」と宣伝せねばならない。勿論「ただね、能力ないとダメでっせ」ということはあまり表に出さないが。

 

それに対して日本は個人を大切にしなくても国家としてまとまるからやっていける。何故なら日本で生まれた黄色人種であればそりゃ日本人、誰もが生まれた時から「日本人」であり純血主義を貫いているから国民に対して国家への誠実を求めるのは当然であり黄色で日本生まれなら国家の為に死ぬのは当然って話になる。だから宣伝しなくても食って行ける国って話になる。

 

ただ正確に言えば人種問題については天皇陛下でさえも元々は朝鮮半島出身でありながらも何世代か経てば日本人という非常に定義不明な民族史観ではあるが結果的に北東アジアの島国で非常に変わった、中国や韓国とは違った歴史を持つ国家となった。脱亜入欧もその一つである。

 

力道山が北朝鮮生まれであるのは史実でありながらも日本人的英雄として扱われてきた。外務省の優秀な血筋である東郷さんちだって元々は朝鮮半島から拉致されて九州で焼き物を作ってた半島人である。

 

話はそれたが、日露戦争、大東亜戦争、国家は国民に対して死を要求した。国民はそれに黙って従い従軍して死んでいった。その数、兵隊が約220万人、民間が80万人くらいか・・・。統計によっては数字に誤差があるが、大雑把こんなところだろう。

 

ただ僕がいつも感じることは、日本は支配側の理屈で社会全体の変化に対応出来た事はないって事だ。

 

日本は何度も危機的状況を迎えて破滅したがいつもその状況から復活したのは優秀な個人であった。結局日本を支えたのは市井の市民であり明治維新においては地方の武士、1945年においては民間の起業家であり、彼らが自分の命を賭けて戦ってきた。役人がやることはそれらの人々の努力を取り上げて自分のものにして国民に服従を強いる事だけだった。

 

Band of brothers」は長編なので週末の休みにまとめて観ないと筋書きが分からない。ノルマンディ上陸からマーケット・ガーデン作戦、そしてアルデンヌの森の戦いと続く場面は、どれもがプライベート・ライアン、遠すぎた橋、バルジ大作戦等など単独で映画になった程の激烈な戦いであった。

 

ぼくがその画面を観ながらいつも思うのは、米軍の物資の豊富さである。戦争のさなかにアイスクリームを食べる時間がありそれを当然とする仕組みがあり、戦いに出れば必ず休暇が取れて、それに代わる兵隊を送り込める仕組みがあった。人を大事にする仕組みがあって戦争をしていた。

 

つまり戦いをする時に人の気持ちを最大限に考慮した上で戦う仕組みを作る、そういう論理性があった。逆に言えばそういう理屈がなければ国家が成立しなかった。一人ひとりの国民を大事にしつつそれでも国家のために戦争に送り込む。その代わり人間として休暇も与えるし食べ物を補給する。

 

だからこの番組を見つつ、ずっと悔しい思いを感じていた。何故同じような仕組みを日本帝国陸軍は作れなかったのか?それは結局陸軍大学校を卒業したエリートが一般市民を使い捨ての道具にしか過ぎないって思ってたからだ。本当の力は国民にあるのに自分たち選ばれたエリートだけが優秀と思い込んでいたからだ。

 

米軍が仕組みを作る同時期に太平洋を挟んだ反対側にある日本の兵隊は「滅私奉公」で休みも取らず死ぬまで戦争をして休みを取ることは国家に対する反逆であるみたいな空気があり、銃後の人々、つまり内地で戦争のために働く人々も「欲しがりません勝つまでは」とモンペを履いて軍事工場で働いていた。

 

ただひとつ日本と米国が違ったのは、日本では陸軍大学を優秀な成績で卒業した支配層の連中は労働者階級を無視して自分だけは美味いものを食い女遊びをして兵隊を最前線に送り出して、戦で負けては部下の責任にして戦に勝てば部下の手柄を取り上げて、まるで半沢の世界を作り上げていた事だ。

 

少なくとも当時の米国では個人の例外は別にして戦時の組織として官僚的支配層が存在せず平時は変わり者と言われた叩き上げ軍服組がトップを占めて常に兵隊の事を考えて最大限の効果を考えた。

 

ぼくは個人的にバカが血統だけで入れる日本の支配層だけは許すことは出来ない。バカがいつも日本のトップで身内の出世争いばかりしているから日本という国はいつまで経っても準一流にしかなれず、せっかく世界でトップクラスの優秀な国民がいるのに全然使いこなせていない。

 

個人的には大嫌いだが今の日本にはシンガポールのリー・クワンユーのような優秀で独創的な支配者が10年くらいいてもらった方が良いと思ってる。但し期間限定、10年、彼は優秀過ぎるからそれ以上やると日本が独裁国家になってしまう。

 

番組に戻ると欧州戦線では出征した多くの若者が死んだ。さっきまで馬鹿話をしていた仲間がたった一発の弾丸で頭を撃ち抜かれて死んだ。

 

勇敢な者から死んでいくのが戦場だ。生き残ったものは誰もが思う、おれは英雄じゃない、英雄は死んでいった仲間だって。

 

バンドオブ・ザフラザースではまさに血で血を洗うような戦いが展開される。ノルマンディー上陸では砂浜に着く前からドイツ軍による機関銃に遭いマーケット・ガーデン作戦では行き過ぎた戦線の先っぽで集中攻撃を受け、アルデンヌの森ではドイツ軍による大型戦車の砲撃に晒され、101空挺師団E部隊は殆ど全滅の状態になった。

 

生き残ったほんの一握りのベテラン、戦争経験者が番組の最初にインタビューを受ける場面が印象的だ。誰もが涙ぐみながら60年前の戦いの記憶を思い出している。

 

しかし彼らはまだしも幸運だ、だって勝ったんだもの・・・。

 

日本は負けた。バカな指揮者と支配層の為に300万人の優秀な多くの人々が死んでしまった。戦争の記憶さえ封印された・・・。

 

それでも敗戦後、日本は復活した。何故か?

 

それは日本に根源的な生命力があるからだ。それは決して支配層からは生まれない力であり、生きている人々一人ひとりが持つ力なのだ。日本人はいい加減に気づいて欲しい、一体日本の何が良くてここまで世界で戦ってくることが出来たのか。それが分かれば次に何をすべきかは自然と見えてくる。

 

それは少なくとも固定的になっている日本の支配者が自分たちの地位を守るために一般国民に日本人が優秀であるという真実を教えず支配層に従って生きることが成功する唯一の生き方であり失敗すれば世の中から捨てられてしまうという嘘を刷り込んだ教育そのものが間違っているという事だから、その正反対の事をすれば日本は世界で冠たる一流国に戻れる。

 

番組を見終わって感じた。戦争中にアイスクリームを食べる連中と戦っても勝つわけはない。竹槍でB29を撃墜することは出来ない。精神力で日本は米国を相手に戦い続けたが、それは一般の無名兵士の努力であり戦時中の大本営は兵士の邪魔ばかりして死地に送り込んだ。そんな戦いにも限界がある。そして日本は負けるべくして負けた。

 

日本の構造はいつも同じであり上に行けば行くほどがバカが増えて一般の人々の邪魔ばかりして日本を滅ぼしてしまう。そして支配層がすべて滅びて初めて日本は再生をする。いつの時代も同じことの繰り返しである。



tom_eastwind at 13:51│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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