2013年09月05日

正確に恐れるということ

正確に恐れるという事

 

タバコが体に悪い事はすでに明確であり米国のタバコ訴訟を読めば明確に意味が分かるがそれでもタバコを吸い続ける人々がいる。原発が決して安全ではない事も福島原発事故でやっと世間の常識になったが、それまでは原発安全神話がまかり通っていた。

 

タバコと原発のどちらにも共通しているのは正確に恐れること、科学的に恐れることである。原発と中国の石炭火力発電所ではどちらの危険度が高いか?タバコの発がん性と原発の発がん性のどっちが危険度が高いか?

 

少なくとも日本でよく見かけるような、父親がくわえタバコで子供を肩車して煙草の煙が子供にどばーってかぶさる状態で原発反対デモに参加と言っても現実的ではない。

 

つまり片手で自分の肺に毒を送り込みつつ子供に受動喫煙を強制しておきつつ平和や安全が欲しいというバカな作業をやってる父親に何を語る資格があるのかって事だ。

 

では石炭火力発電所はすべてダメなのかというとそうでもない。例えばニュージーランドでも自前の石炭を炊いて電気を作ってオークランドに送っているが、これは公害防止装置を装着しており操業中でもトンネルから出る煙は透明である。

 

中国では公害防止装置を付けずにガンガン石炭を炊いているからその煙が黄砂に乗って日本を汚染しているのだ。だから日本全体への被害と言えば実は原発の放射能よりも黄砂の方が大きい。日本で原発に対する抗議をするならその前に中国に対して日本政府として抗議しろ、が正論ではないか。

 

ただこう書いたからと言ってぼくは原発賛成派でも推進派でもない。他にエネルギー源がなければ注意して使うべきだろうがそれを安全神話にくるんで活断層の真上に作るなんてバカな事はするなってだけだ。ましてや他に安全なエネルギー源があるのに役所思考で国民の安全を無視してやるなんてバカじゃねーかってだけだ。

 

原発事故が起こる前から反対していたし浜岡は何度もブログで指摘してきた。原発事故前は多くの人に「ばっかじゃない?勘違い左翼じゃない?」と思われたが実際に原発爆発が起こった後は世の中が180度転換して、むしろぼくの意見は原発に積極的に賛成ではなくてもヒステリック気違いのような「反原発派」でないから賛成に近い穏健派と捉えられるようになった。

 

しかしぼくの考えとして当時も今も変わってないのは「科学的に正確に恐れる事」である。原発だから危ないと一段階思考で考えるのではなく危険=リスクという一つの科学において世の中にどれだけのリスクが存在しておりそれが常に自分の身体すれすれを通り抜けており自分が今真夜中の地雷原に灯りなしで歩いてるって事を意識するかどうかである。

 

世の中には危険な要素がたくさんあり車の交通事故もしかり飛行機の墜落、船の沈没、自宅にいればトラックが飛び込んでくる、窓を開ければ公害ばい煙が肺の中まで入り込んでくる。

 

それらのすべてを総合的に勘案して自分の人生の価値観がどこにあるかを見据えれば自ずと取れるリスクと取れないリスクが出てくる。例えば僕にとって取れるリスクは自動車を運転することであり取れないリスクは酒を飲んで自動車を運転するリスクだ。

 

自動車を運転することで移動の自由を得ることは出来るしそれによって万が一交通事故に巻き込まれてしまった場合でも事故が起きるまでに得られた累積利益よりも一時的に被った被害が大きくなる可能性はあるがそれは統計的に考えて得られる利益の方が大きい。万が一の事故の際も自動車保険をかける事でリスクの軽減が出来る。

 

しかしこれが飲酒運転で人をはねて殺した場合、事故を起こす前に得た利益「飲んだ時はタクシーで帰る」のタクシー代を飲酒運転することで節約出来た利益の合計はどう見ても人をはね殺して保険も適用されず刑務所に入り死んだ人への後悔や遺族への反省に一生責任を負う場合と比較しても「算盤勘定」が合わない。

 

ちょっと話はそれるが、飲酒運転による事故を防ぐ一つの方法は「飲んだら乗らない」為の仕組みを政府が作ることだと思う。例えばすべての街に「提灯タクシー」を普及させる。このタクシーを運転するのは地方公務員でありお酒を飲んだらだれでも無料で利用可能とする。シラフで乗ることは出来ず免許証がない人も乗ることは出来ない。

 

同時に飲酒運転に対する最高刑を殺人罪とする。これは酒を飲んで運転することが「未必の故意」であると認定すれば良い。過失致死ではなく殺人罪とすることで最高刑を死刑に出来る。さすがに死刑になるリスクを取って飲酒運転をするバカもいないだろうし、いれば死刑にすれば良いだけだ。

 

またも話がそれるが、これをやると一番困るのが田舎の村会議員とかだろう。彼らは口先では立派な事をいうが田舎の法事や結婚式では面倒くさいのもあってしょっちゅう自家用車で法事先に行って一杯飲んで自家用車で帰っている。彼らはいちいちタクシーを呼ぶのが面倒だし自分は法律の及ばない埒外にいると思っているからだ。

 

本来はそういう奴らこそ刑務所に叩きこむべきなのだが、そういう奴らを田舎の議員に選んでるのがその街の住民なんだから結局一番のリスクはバカの住む街に居住することであろう。このあたり「わらの犬」とも繋がるリスク管理である。

 

さて原発に話は戻るが現在の原発は軽水炉であり今後も爆発する可能性がある。エネルギーの作り方に原発以外の方法が全くなければ原子力も検討材料になるだろうが、他の作り方は技術的に可能であるにも関わらず経産省の鶴の一声で原発のみが唯一の手段だとされて他のエネルギーの開発をしなかったのがすべての原因だ。

 

ニュージーランドでは熱源の5%程度だが地熱エネルギーが利用されている。この技術は何と日本の九州大学の教授が1970年代に開発してニュージーランドで実現させた。他に主な熱源は水力発電と地元で取れる石炭火力発電だ。

 

ニュージーランドでは原子力発電は行っておらずこれから将来的にも行うことはないだろう、国民全員が日本人や中国人にならない限り。

 

そう、この国では少々電力が不自由で真冬の嵐で電気が止まってもキャンドルナイトだ!ってはしゃげる心の余裕があるし、シティのど真ん中で一ヶ月停電が続いてホテルのエレベーターさえ動かずビルのエレベーターも止まる中でも市民は普通に仕事をして、街の交差点の信号が全部止まっても交通渋滞は起こらず誰もクラクションを鳴らさずに普通に道を譲り合ってきた歴史がある。

 

電力の安定供給は大事だがその為に人の命が危険に晒されるのはおかしな話だ。近代化や文明化がどれだけ大事でも、その為に人命が危機にさらされるのでは本末転倒である。

 

だからこそぼくらは常にリスク管理、つまり正確に恐れることが必要なのであり、政府が言ってた「原発安全神話」に脳を閉じて飛び込むのでもなく、だからと言って目の前に見えるリスクである原発を脳を閉じて反対するのではなく、正確にリスクとリターンを自分の頭で考えて行動すべきなのだ。

 

今福島で汚染水問題が発生している。同時に「あまちゃん」も大人気だ。ぼくらが行うべきことは福島を同じ仲間、手の届く日本人同士で助ける事であるが、それは気違いみたいに反原発を唱えることでもなくあふぉみたいに政府の言うことを真に受けるのではなく、水俣のチッソが垂れ流した水銀を飲み込んだ魚を食って「イタイイタイ病」に罹病した悲しい歴史を持つ日本人として正確に原発を恐れて科学的に行動することだ。



tom_eastwind at 16:32│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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