2013年09月08日

結婚の規定・

***記事開始***

結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続分を結婚した夫婦の子の半分とした民法の規定について、最高裁大法廷(裁判長・竹崎博允(ひろのぶ)長官)は4日の決定で、「法の下の平等」を保障した憲法14条に違反し、違憲・無効とする初判断を示した。

 

 ただ、過去に決着済みの相続には、今回の判断は適用されないとした。この裁判の決定を受け、政府は規定を削除する民法改正案を秋の臨時国会にも提出する方針を固めた。

 

 審理に参加した14人の裁判官全員一致の意見。大法廷が法律の規定を違憲とするのは戦後9例目で、民法については初めて。1995年の大法廷決定では「法律婚の尊重と、婚外子の保護の目的があり、著しく不合理とは言えない」として規定を合憲としていた。

 

 今回の決定はまず、「立法府の裁量権を考慮しても、相続格差に合理的な理由がなければ違憲となる」との判断基準を示した。その上で、婚外子の出生数が増え、家族形態も多様化し、国民の意識も変化したと指摘。欧米諸国に格差規定を設けている国はなく、国連などから再三、格差是正を勧告されてきた経緯も踏まえ、「家族の中で子を個人として尊重すべきという考えが確立されてきた」と述べた。

 

 決定は「父母が結婚していないという、子どもにとって選択の余地がないことを理由に不利益を及ぼすことは許されない」と指摘。遅くとも今回の裁判の対象となった相続が始まった2001年7月の時点では、規定の合理的根拠は失われており、違憲だと結論づけた。

****記事終了****

 

ニュージーランドでは「デ・ファクト」DeFact という言葉がある。フランス生まれで現在は英語としても普通に使われているが、実質婚の事である。結婚してない男女(男男叉は女女でもよい)カップルが一緒に住んでる状態である。

 

この場合は女性に対して「ねえ、あの人旦那?」と聞けば「パートナーよ、まだ結婚してないけど、もう10年一緒」みたいな返事が返ってくる。

 

多くの日本人は結婚というと恋愛の行き着く先、みたいなイメージがあるが実際には社会的な規則であり財産分与の為に存在するのみであり愛や恋など関係ない。あくまでも財産権をどのように位置づけるかだけの社会規則なのに、結婚が何だか特別なものと思い込む人々。

 

戦前はお金持ちが愛人を囲うのはごく普通の事であり明治の元勲などと呼ばれたオヤジどもは同じ敷地内に本妻と妾を一緒に住まわせたツワモノもいたのだ。

 

戦前は親の財産は長男がすべて相続して長男が一家を仕切るのが普通であった。そのような社会だったのだ。それが戦後米国式民主主義が中途半端に日本の社会規則をぶっ壊して、その時に結婚とか相続と言った新しい規則に生まれ変わった。

 

ただその規則は仏作って魂入れず、米国式民主主義の表面だけ真似をしているが実際は古くからの日本のしきたりの上に表面だけ貼り付けたハリボテ民主主義であった。だからキリスト教のように一夫一婦制度が根っこの所にないし外で「遊んでくる」のに抵抗のない日本的文化が残ってたからそれに合わせた変な法律が出来たのだ。

 

ちょっと話はそれるがこのハリボテに調子こいて女性をおだてて戦後に日本で大儲けをしたのがユダヤ資本のデ・ビアス、世界最大のダイアモンド会社だ。ぼくは日本に住んでた時からデ・ビアスの宣伝に釣られてダイアモンドを買う女性や買わされる男性の顔を見る度に「どこまでバカ?たかが光る石ころでしょ」とげんなりしたものだ。

 

何で戦争で負けた挙句に勝ち組に更に騙されて給料の何ヶ月分も勝ち組の店にわざわざ訪れてお金を払う必要があるのだ?「結婚するなら給料の何ヶ月分のダイアモンドを買うのよ」と言われて素直にかねはらう連中など、まさにおれおれ詐欺に引っかかる典型的なタイプであろう。

 

第一その石ころはアフリカでブラック・ダイアモンドと呼ばれて独裁政権が己の利益だけの為に黒人奴隷を使って採取しているものだ。そんなものを買うこと自体がアフリカを暗黒大陸に貶めているのに気づこうともしないのか単純にダイアモンドの光に眼が眩んでいるのか?

 

ハリボテ民主主義で結婚が愛ではなく財産権の確定するだけの規則であると理解せずに結婚する時はダイアモンドを買うものだと思い込み、その間違いを指摘する男に「あなた、何も分かってないわね」という女。

 

結婚した女は出来る限り自分の財産を取りたいし他の女に一円たりとも金を渡したくない、ましてや他の女が産んだ子供に金が行くなんて!という事で戦後日本では世界でも珍しい「婚外子の財産贈与制限」を生み出したのだ。

 

結局は女のわがまま、愛だ恋だと言いつつ結婚すれば財産を分捕りに来るではないか。愛だと言うなら旦那が自分からすべての財産を奥さんにあげるって言わせれば良いのだ。それなしに法律で相手を縛って財産を取ろうとするその行為の一体どこに愛があるのだ?


好きな相手がたまたま金持ちだった?こういうのはニュージーランドで言い換えれば日本人女性が「たまたま好きになった人が白人だったのよ」というようなものだ。
 

ニュージーランドの事を書くと、まずこの国は婚外子であろうが相続は平等である。また通常は元気なうちに家族信託を設立して家族全体の財産として代々引き継ぐのが一般的である。てか、元々相続税がないからあまり面倒くさい事にならない仕組みだ。

 

そしてここが日本と大きく違う点だが、ニュージーランドは破綻主義である。日本のような有責主義ではない。だから愛がなくなればそれが離婚の理由になるし財産はその時点でお互いに半分こしてそれで終わりだ。

 

その後奥さんが他の男と結婚したら何とそれが自分の親友だったなんてのも狭いニュージーランドではよくある話だ。

 

いずれにしてもこの法改正を機会に日本人も自分がやってる結婚ってのが実態は何であり法的にどう規定されているのか、そういう事を真剣に考えてみればどうだろうか?



tom_eastwind at 13:22│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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