2013年09月12日
新 バブルを知らない子どもたち
オリンピックが日本に決定したって事で、2006年12月に書いた記事を思い出して引っ張りだしてみた。
タイトルは「バブルを知らない子どもたち」、昔流行った「戦争を知らない子供たち」というフォークソングをコピーしたものだ。
http://tom.livedoor.biz/archives/50480862.html
音楽に乗せて歌詞だけ書き換えたので覚えている人がいればフレーズに乗せてみて下さい。即興だったので何も手入れしてませんが、そこそこ歌えるはず(笑)です。
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バブルが終わって 僕等は生まれた
バブルを知らずに 僕等は育った
大学出たら 就職氷河期
年金、医療費 僕らはもらえない
僕等の名前を 覚えてほしい
バブルを知らない 子供たちさ
背伸びをするのが 許されないなら
ITバブルが 許されないなら
不況の時代に 残っているのは
涙をこらえて サービス残業
セクハラパワハラ 毎晩終電
夢を知らない 子供たちさ
バブルの時代に バブルで稼いで
退職金満額 もらった世代は
僕ら子供に 借金押し付け
君らだけが 逃げ切ってしまった
君らの子供の 時代は悲惨さ
借金だらけの 日本経済
お先が真っ暗 日本社会
今日の東京は、晴れているけど星が見えない。どこまで行けば星が見えるのだろうか。
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ちょうどライブドアが日本政府によって潰されてそれまで起業家精神を持った若者たちが叩き潰されて世間を上げて若者が国家公務員を就職先に選び始めた時でもある。
この時はバブルを知らずに育ちIT時代も潰されて夢も何も持てずにひたすら大企業、日本の最大企業である日本政府へ逃げこむしか生き残る道がなくなった、今日だけを生き残り飯を食う事だけを目標にするようになった若者を見つつ描いたものだ。
今回のオリンピックで日本人の間に少しずつ明るい空気が流れ始めた感触がある。直接的経済効果が3兆円とか周辺も含めれば5兆円とか、具体的な数字も少しづつ出始めている。
良いことである。石原さんにはこんな夢のある日本が見えていたのかな、けど彼の場合はちょっと時期尚早だったのだろう。
物事は本当にタイミングがある。「天の時、地の利、人の和」とは古くから中国で伝わることわざであるがこれは歴史的事実である。同じ内容でもいつ言うかどこで言うかいつ言うかで全然結果が違う。
そこで1964年のオリンピックを時系列で見てみた。日本オリンピックが決定したのは1959年。1945年が敗戦の年でありそこから14年後にオリンピックが決定した。そして敗戦19年後にオリンピックが開催されて日本はオリンピックブームで盛り上がった。
1945年 敗戦
1945年+14年でオリンピック決定
1945年+19年でオリンピック開催
1945年+40年でバブル突入
1991年バブル崩壊、緩やかに不景気に陥る。
これを今の時間で比較してみると
1997年 バブル完全崩壊の年
(長銀倒産、日債銀倒産、拓銀倒産、山一廃業等・正確には1997年から98年にかけて)
1997年+16年でオリンピック決定
1997年+23年でオリンピック開催
1997年+40年が景気最高潮期とすると2033年前後頃、つまり今から20年後だ。
じゃあもひとつ大きな過去である戦前を見てみると
1945年が敗戦の年。じゃあその40年前の1905年はっていうと日露戦争に勝利した年である。極東の山猿が西洋の白人を破って、まさに「NOと言えるアジア」を世界に見せつけたのは1853年日本に黒船が来て52年後、1867年に明治維新が起こってから38年めである。
1905年からアジアの盟主となり大東亜共栄圏の設立を目指してまずは中国に進出を開始する。当時の中国は無政府状態で欧州各国も列挙して来たが地理的な問題もあり日本は次々と当時の中国の地方軍閥と組んで精力を広げて1925年には孫文が病没、その後日本軍は蒋介石軍と本格的に戦いを開始して彼らを次々と中国奥地に追い込んでいく、まさに日の出の勢いの軍隊であった。
そして1932年には満州事変を起こして満州国を建国させた。まさに絶頂期である。1937年には遂には盧溝橋事件が起こり、いつの間にか侵略軍になってしまった日本軍と中共合作軍との全面戦争になる。
ここまでが日本の絶頂期であった。中国相手の戦争は泥沼であったが相手が中国だけなら負けることはなかっただろう。ところが米国が参戦した事で日本のバブルは一気に弾け散ってしまい1945年の敗戦を迎えることになる。
こう描いてみるとやはり景気の50周年説ってのがあると思う。勿論時代によってそれぞれに変動要素があるが基本的要素はやはりその時代の国民が持つ精神の在り方だと思う。人間は望めば叶う。それが全国民の願いになればそれは更に強く確実になる。しかし民族全体が持つ民族性はなかなか変化しない。
つまり敗戦という国民全体の苦労をばねにして日本人本来の、
1・石にしがみついてでも坂の上の雲に向かってひたすら我慢して登り続ける→1960年代
2・登り続けて坂の上に到着するとどっちに行って良いか分からない→1980年代
3・その頃には敗戦を知ってた人は現役を引退した→1980年代前半
4・現場にいる苦労知らずの若者が目先の拝金主義に走る滅びの序章→1980年代半ば
5・拝金主義が社会全体にはびこりまともな人々をも巻き込んで暴走に陥る→1980年代後半
6・最後はいつもの通り精神論肥大主義になり中身のない命令を国家が発して滅びる→1991年
上記のような歴史の流れがあるのだと思えてしまう。今の日本はバブル崩壊後の長い停滞からやっと少しづつ登り始めようとしている。しかしその為には毎回リセット費用として今まで抱えてきた負の遺産を国民全体が負担して解消せねばならないという我慢が要求される。
それが明治維新においては徳川時代以上の増税、農村の若者の徴兵、野麦峠のような国民の多大な負担となり日露戦争では多くの戦死者を要求した。昭和に入って敗戦、この時は300万人の死者を出してやっと戦争が終わったが戦後も銀行封鎖、ハイパーインフレなどで国民の財産は強制没収された。バブル崩壊では多くの自殺者を出し多くの住宅ローンを持つサラリーマンまで巻き込み家庭崩壊を起こしその後は間違った成果主義などでそれまでの終身雇用をふっ飛ばして社内の人々の擬似社会的連帯感をふっ飛ばして日本全体を寒空の下に放り出した。
今回はバブルから立ち直るためにまず消費税増税や医療負担増やその他多くの真綿を締めるような増税策という形で国民全体から資金を吸い上げると同時に資産家の資産を所得税相続税増税などで奪いすべての国民を貧しく平等な立場に置く。こうやって国民の資産を政府に移動させてその資金をバネとしてオリンピックの成功に向かって発展することになった、ばんざいばんざい・・・。
いつの時代も同様だが何のエネルギー資源も持たない国家の発展期は必ず国民にしわ寄せが来る。これは歴史的必然としかいいようがない。まず2015年に向けてすべての増税システムが完成する。おそらくその時には海外に移住しようとすれば「出国税」が待ち構えているだろう。海外居住を目的として資産を移す場合はその総資産の50%を課税するって方法だ。すでに世界ではいくつかの国で実施されている法律である。
これから生まれてくる子どもたちが大人になる頃はもしかして運が良ければバブルを享受することが出来るかもしれない。しかしバブルのすぐ先はまた長い不況であることも忘れてはいけない。
今回のオリンピック決定はぼくの中で何かがごとりと音を立てた時代の転換点、例えば鉄道の操車場で列車を載せた円形の台がそれまでどっちに行こうかなとくるくると回っていたのを、やっと方向性が決まって出発線に送り込まれたような感じだ。