2013年09月14日

9・11 自由とは?

アメリカ人の「自由」という理解は「何かをする自由」らしく、ヨーロッパ人の「自由」の理解は「何かからの自由」らしい。アメリカ人が「どんな宗教活動をしてもいい自由」を自慢する一方で、ヨーロッパでは「どんな宗教もしなくていい自由」を主張すると聞いた。

 

では日本人にとって自由とは何だろうか?それはどう見ても本来の意味である「自らに由る」ではなくワガママという事になるようだ。もともと自由は明治時代になって西洋からやって来た新しい言葉であるが江戸時代からお上に自分が自然個別に持つ人権を与えてしまってたから西洋の自由という考え方は馴染まなかったようだ。

 

ルソーの社会契約論は明治時代に中江兆民によって「民約論」として翻訳されたが、あれがもし江戸時代に日本で発表されたらどうだったろうか?それは実際に明治時代に発表されたが自由であるべき人々の心を変えることが出来なかったのだし戦後の昭和の時代でさえもガッコーのセンセーのようなアタマのイイ自由と権利の大好きなロードーシャでも理解出来なかったのだから江戸時代の武士の脳味噌を入れ替えることは不可能だったろうと推測出来る。

 

「自由=ワガママ」思想は戦後の、少なくともぼくが小学生時代までは続いていた。ぼくが小学5年生の時に学校の先生が授業中に子どもたちにこう質問してきた。「おいみんな、自由って意味を知ってるか?」ぼくはすかさず挙手して「はい、自由とは自己責任、自らに由るです」と答えた。

 

するとその先生、今もその時の顔を覚えているが、じろっと僕を見つめてから「お前、何言ってんだ!自由ってのはな、わがままって意味なんだよ!」と怒るような大声で言い放った。

 

そしてすぐに他の生徒を見回して確認するように「おい、皆、そうだな、自由ってのはワガママなんだよな、知ってるよな!」と睨めつけるように言った。すると・・・。

 

次の瞬間周りの子供達はまるで何かに鞭打たれたように「そうです、そうです!」と言い出した。ぼくはその時今まで学校や社会で聞いてきた民主主義がぼくの頭の中でぶっ壊れるのを感じた。

 

当時ぼくの住んでいた県は日教組の組織率が非常に高くて教師がしょっちゅうデモに出ていた。その度ぼくらに「俺達労働者は自分たちの待遇改善をする自由があるんだ!これは俺達労働者の権利なんだ!」とほざいてたのも覚えてる。

 

しょせん日本人ってそんなもんだろう。今の時代の日本の自由は無責任と同意義になっていると感じる。人に何か注意しても「うっせーよ!おれのジユーだろうがよ!」と言い返されるだけ。

 

昭和の時代まで続いた自由=ワガママが現代では自由=無責任となっている。

 

まあいいや、ここまでは枕で、じゃあその米国が自由を使って何をやったかってところだが、まさに米国がやったのは「何でも出来る自由」、911である。

 

本当は911日に書こうと思ってたが、ちょいずれた。諸説があるがぼくは9・11に関しては米国政府の仕掛けた罠であると思っている。それは僕自身が体験した911の朝、成田空港近くのホテルで「さあ、オークランドに帰ろう」と荷造りをしている時のテレビの画面だった。

 

清々しく広がった青空の中、大型旅客機がニューヨークの貿易センタービルに突っ込み突き刺さりもくもくと白い煙を上げる場面だった。

 

ビルに飛行機が突き刺さる?あり得ない場面に最初は映画かと思ったが、そのうち飛行機が突き刺さったままビルそのものが最上階から内側に向けて順々に崩れ落ちてくる光景を眼にして真っ先に思ったのは「ビルの解体工事だ」という事だった。

 

ぼくは本当に偶然だが予定していたキャセイ航空に乗り込み成田を出発したが、それはその日に成田を飛び立った最後の便だった。話は逸れるが日本の東北大震災の時にぼくは名古屋駅にいて14:45発の新幹線を待っててグラっときた。駅内のアナウンスで「静岡以北で大きな地震が起こりました、切符を持ってないお客様もこの新幹線にお乗り下さい、次は・・・ありません」。

 

あの時に感じた直感はその後もずっと脳から離れず、アフガニスタンの侵略、イラク攻撃と続く米軍の行動とパールハーバーの歴史が見事に一致した。

 

こんな事書くと僕は「とんでも!」人間に思われるだろうが、歴史を勉強していればこのような国威高揚の方法を使った例がたくさんあることは周知の事実である。

 

真珠湾攻撃、パールハーバーでの日本軍の行動は事前に米国諜報部によって察知されていた。何故なら日本軍の使う無線はすべて米国によって傍受されていたからだ。しかしその事実を明かすことなくあえて日本軍に真珠湾攻撃を成功させた。

 

日本人の思考回路からすれば普通には「あり得ん!」話であるが、これは政治の世界ではいくらでも「あり得る」話である。

 

ワシントンから数千キロも西に離れたハワイのパールハーバーでどれだけ人が死のうと所詮は数千人、それに対して米国が参戦することで救われる生命と財産が数万人であればこれは計算が成り立つ。

 

このような事は戦後も何度もあった事である。有名な事件はフォード・ピント車事件だが当時アイアコッカが率先した小型車ピントは欠陥車であった。ところが費用対効果を考えれば成立する車であった。

 

話は逸れるが、簡単に言えば安物を買えば壊れる、けど人は自分だけは怪我をしないという信念によって「安いから」買う。その結果として自分が怪我をする。その時になって「何で壊れるんだ!」と文句をいうが、だったら最初から保証の付いた良い物を買うべきなのだ。自分や家族の命をお金で計算した人間には当然のように神は同じ理屈で回答する。

 

戦時中も同様の事件は起こった。英国はドイツ軍の秘密情報「エニグマ」の傍受に成功していたがその事実を隠すためにコベントリーの街が爆撃を受けることを知っていてあえて何の避難命令も出さずに市民を見殺しにした。

 

まさにこのような歴史的事実を基礎としてニューヨークの911テロが起こったとぼくは今も思っている。

 

アフガニスタンという国は地政学的に微妙な位置にある。古くは英国が支配しようとして結局地元ゲリラに勝てずに撤退した。その後当時のソ連が攻めこんで来た時は米国が武器を供与して最終的にソ連が撤退した。この時の雰囲気を知りたければ映画「ランボー3」を見ればよく分かる。

 

ところがソ連が撤退した後に何故か米国はアフガニスタンを無視する。その結果としてタリバンというイスラム原理主義国家が創立された。彼らは異教徒排除のためにバーミアン石窟を破壊して力を付けていた。彼らの異教徒排除の先にあるのは全世界イスラム化である。

 

米国からすれば面白くない話である。自分たちが(本当は自分の都合なのだが)助けた国がいつの間にか自分たちの潜在的な異教徒となり自分たちの反対側、敵国になってしまったのだ。

 

じゃあこいつらを叩きたい、けど何の問題もない現状ではアフガニスタンを叩くことは出来ない。ではその解は?

 

そこで出てきたのがパールハーバー、コベントリー、ピントに続く9・11である。

 

9・11を最初に計画したのはイスラム原理主義者だとぼくは思っている。ただそれを傍受した米国はあえてその行動に機会を感じ取り少数の市民の犠牲で国家としての利益を得ようとした。結果的に4千人以上の被害者を出したもののアフガニスタンに侵攻する理由を作れた。

 

世の中の表象的な現象を見ても意味はない。その背景に何があるのか?その為に自分はどうするべきか?世の中の大きな部分から目の前で起こる現実的な部分を噛み砕いて見てみれば、そえだけでかなり自分の家族が生き残れる可能性は高まると思う。

 

もちろんどれだけ危機管理をしてもいつか人は死ぬ。しかし無意味に生きてたり死ぬ時に後悔しないように生きることは出来る。そのためにも911は良い題材であるし自分の生きる場所を真剣に考える機会でもあると思っている。



tom_eastwind at 13:01│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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