2013年09月22日

半沢直樹はこう観る。

半沢シリーズ第一弾が終了。最後の終わり方が納得できんという人もいれば何が面白いかよく分からんという人もいる。しかし視聴率は40%超え。立派なものである、これはやはり役者の力と原作の力の融合ではないかと思う。

 

けど、水戸黄門の時は最後に印籠が出てきて勝つのに何で現代の日本の銀行組織ではそうならないのか?こんなん勧善懲悪になってないじゃん、やる気なくすよー、みたいな意見も多いのは分かる。

 

逆に藤沢数希という金融マンや池田信夫のようなNHK時代にバブル崩壊特集をやった、金融界の現実を熟知している人からすれば「何を茶番な!」と感じているだろう。「こんなもんのどこが面白いのだ、現実はもっと複雑で生々しいのだ!」

 

じゃあ一般の人々、つまり金融も知らないし組織も知らない人はどう観るべきか?ここから先は番組に対する感情論ではなくこのドラマを楽しむ技術論として理解してもらいたいのだが、こういう手合の原作が優秀な小説でドラマ化された場合、原作を読むことで内容の理解が深まる。

 

テレビだと視聴者の理解度に関係なく話がどんどん進んでいって「臨店」とか「金融庁検査」とか言われてざっとナレーションが出ても基礎知識がなければ意味が分からないままに筋書きが進んでいく。

 

銀行員にとって金融庁からの検査がどれほど大変なものか、また自分が責任取らされる事になったら今まで苦労して高校から大学に通って大変な就職試験まで頑張り、入行してからも上司に頭を下げ続けた苦労がすべて吹き飛んでしまう。

 

そんな苦しみはまず原作を読んで分からない部分を何度も読み返したり辞書を引っ張って読めば、何故金融庁という役所の調査に対して資料を「疎開」させるなどという検査忌避行為、もう違法行為であるが優秀な銀行員がやってしまう背景が分かる。

 

本を読む利点の一つが、読み返せるって事だろう。分からない部分を繰り返し読むことで知識として覚える事が出来る。

 

ぼくは偶然だがこの番組が放映される事を知らなかった頃に池井戸潤の原作を読んだ。他の作品、例えば「空飛ぶタイヤ」とか「鉄の骨」とかの間に「俺達バブル入社組」を読み、ほー、すげーな、あのテーマでここまで書けるか、大したもんだなと感じた記憶がある。

 

原作はあくまでも池井戸潤の人生観に基いて書かれたものであり原作には彼が銀行時代に感じた問題点や矛盾点を指摘しており、最後に読者をすっきりさせるのは、それが読み物であると理解しているからだ。

 

原作では次作に「ロスジェネの逆襲」が出てくる。予め原作を読んでいれば半沢がこれで終わりではないと分かっているから次を期待する。原作を読んでないとこれで終わりかと思って「話が違うじゃんか!」となる。

 

池井戸潤の小説は現代の勧善懲悪を基本にしている。それは水戸黄門のような隠れた実力者が最後に印籠を出すのではなく現場のサラリーマンが自分の置かれた立場で一生懸命現実と理想の間で苦しみつつ権力と戦うって発想だ。だから命がけだ。

 

その意味で水戸黄門は上級権力者が下級権力者をやっつけて民衆をやんやと拍手させる筋書きであり半沢のような権力と戦う筋書きとは根本的に違う。そこに池井戸潤の主張があると思う。

 

こんな、権力だらけの世間ではあるが、それでも前を向いて生きていこうよ、夢を捨てずに怖がらずに戦っていけば必ず機会はある、バブル期に社会に出てバブル崩壊で「話がちがうじゃねーか!」と腐るだけではなく、それでも自分の人生なのだから切り開いていこうとするその姿勢を番組では半沢が近藤と剣道の練習をする中で見せてくれる。

 

この本はあくまでも現実をベースにしたものではなく、さらに番組は原作を思い切り甘くして柔らかくして作ったものでありこれまた現実ではない。だから最後の場面で起こった事も現実ではなく、現実でないことに対して良い悪いの話をしても仕方ない。

 

金融界に住む人々からすればまだ甘い認識の半沢であろう。金融界に住まない人からすれば金融界って何て酷い世界だって思うかもしれない。

 

どっちを取るかはその人の生まれたっている位置によるだろうが、少し視点を変えて見ればどうだろう。例えばぼくが今観てるプリズンブレークなどはもっと酷い政治ゲームである。あくまでも番組の中の話であるが、よほど現実に近いのは自分なりの勉強で理解している。

 

政治の世界は金融などが思いもつかない、もっと汚くて大胆な世界である。そこでは普通に人が殺される。特に世界の基準で見てみれば人の生き死になどは日常茶飯事だ。

 

それに比べれば半沢物語では誰も殺されないし誰も行方不明にならない。みんなが粋がって「倍返し!」とか「10倍返し!」とか、ほぼ武器を持たない日本の喧嘩である。

 

けどこのテレビを娯楽としてみればどうであろうか?

 

香川照之の演技が実に良い。この人の品の良さは生まれた時から父親の演技を見て学んだものであり並の人間が出来るものではない。

 

水戸黄門を見たい人々には最高の配役陣ではないだろうか?誰もが良い演技をして半沢を引き立てて番組そのものを高視聴率に引っ張りあげているのは実に大したものである。

 

だから半沢を観る時に感じるのは、金融を知っている人はこの番組を演劇として見てなくて現実と違うって言ってるだけであり、金融を知らない人はこの番組を演劇として観ており、だからこそ最後に水戸黄門が出てこないなから文句を言っているのだ。

 

けど金融を知らなくても原作を先に読んでいれば続きがあるのはすぐ分かること。半沢の倍返しは次があるのだ。

 

こうやって半沢が有名になったのだから、ぼくからすればお勧めなのはこれを機会にもっと本を読もうって事だ。少なくとも原作を読んでいれば今回の終わり方に怒る人はいないし原作を読んでいれば漢字の勉強にもなる。

 

こういう良い番組が少しでも人々に得るものがあれば良いし、これを機会に無料テレビや宣伝本でダマされるのではなく、テレビはお金を払って情報収集するって発想に切り替えてくれればと思ったりする。



tom_eastwind at 18:52│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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