2013年10月11日

奨学金720万円を返済する方法

 

***ブログ記事抜粋***

奨学金720万円を返済する方法

日本学生支援機構の調べによると奨学金を受給している大学生の割合はうなぎのぼりで増える一方だ。1996年には212%だったのが2010年には507%となった。2人に1人以上が奨学金を受けていることになる。

 

 ところが日本の奨学金は、前途ある若者の学業を援助するためのお金ではない。前途ある若者に多大な借金を負わせる、とんでもない制度なのだ。

byイケダハヤト

***記事抜粋終了***

上記ブログに対するコメントは下記↓

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これさ、結局の所イケダ師の問題認識がズレてるんだと思うよ。

奨学金とは言え「就学」という「投資目的の借金」には違いが無い訳で、いくら社会情勢の変化は本人には責任が無いって言っても、それを理由に借金を免責してたら、一般借金の殆どは免責の理由ができちゃう。なので、返せない学生の存在を制度が狂ってるとか言ってるより、その辺のプランナーを充実させるほうがよっぽど現実的だと思うけどね。そっちの方はもう提言済み?

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大学なんて全員行く必要はありません。専門学校で十分仕事は出来ますし、むしろ大学生が全く専門分野について素人なので使い物になりません。総合学習なんて中学校までで結構、高校以上であれば専門性を磨いた方がはるかにましです。

その代り中学校まではきちんと基礎を教え込む、そして倫理観など生きていくに必用なものを育む場にしてほしいところです。中学校までに自分がどのようになりたいかを考えそして高校生で適性を考え、大学に行くなり専門を取るなりすればいい話です。

社会に出ればどこの大学を出ていても関係ありません。人脈は社会に出てからでも作れますし、学力は自学自習でなんとでもなります。大学の優位性は専門性の高い機材や下地があってこそ作られるもので今の一般の大学生レベルの学習であれば自学自習で問題ありませんね。

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***抜粋及びコメント一部紹介終了***

 

イケダハヤトは毎回ずれたコメントを書くがウケ狙いじゃないかと言われつつも100を超すコメントが入り、そのコメントを読むほうが面白い。一般人の発想がよくわかるからだ。

 

ニュージーランドでは大学の授業料を負担する仕組みは「奨学金」とは呼ばれておらず「学生ローン」つまり明確に借入金と呼ばれている。これとは別に生活費として「学生手当」(Student Allowance)という生活費補助が払われている。これは返済不要だ。

 

機会の均等はニュージーランドの国家の基本である。だからどんなに貧しい家の子供でも健康かつ賢く育てられるように医療と教育は無料という考え方だ。同時にこの国は感情論ではなく数字に基いて論理を構成する。

 

ニュージーランドでは去年までは大学院までが学生ローンの対象だったし大学を留学しても学生ローンが受けられた。しかし今年から5年目の大学生活は自腹でどうぞ、大学院に至ってはすべて自腹でどうぞとなった。

 

これでは機会均等ではないではないかと学生がシティ警察前でデモをしたが全部ゴボウ抜きにされてデモは解散された。それに対する一般市民の反応は「甘えてんじゃないよ」である。

 

何故機会均等であるはずのニュージーランドでこのような事態が起こったのか?そこに数学的統計が出てくる。

 

大学の機会を提供して子どもたちが優秀な頭脳を持って、その為に政府が払った費用が社会全体の成長に繋がっているのか?実は繋がっていないという研究結果が出たのだ。これは英国でも同様だ。

 

つまり多くの人々が大学に行っても行かなくても社会の成長は変わらない。しかし大学を卒業した場合本人の給料は確実に高卒より高い。つまり高卒の払った税金で大学生が大学に通い結果的に賃金格差が発生するのはおかしな話、不公平ではないか。

 

つまり大学に行くのは社会全体を成長させる事ではなく大学を卒業した個人が個人的に豊かになるだけで、つまり大学は個人が収入を増やすための投資でしかないのだ。個人への投資ならば個人で負担してもらうのが当然である、政府のお金を貸す理由など無い。

 

彼ら学生に学生ローンを認めてしまうと、これでは単に個人の投資に対して政府がお金を貸すようなものではないか?だから政府は取り敢えず大学院はローンの対象外にして留年した場合は自己責任で払わせるように変更したのだ。

 

そしてニュージーランドでも大学を卒業した後に学生ローンを返済せずに「ローンなんておかしい!何で返済するんだ!」とアジア人の彼女相手に「おれっさ、政府、おかしいと思うんだよ、だから政府に抵抗して金払ってないんだよ!」とかっこつけて目の前にいない政府相手に威張り散らして「持論」を展開する白人の若者がいる。まさにガキである。

 

しかしそれは「持論」であっても「正論」ではない。何故なら学生ローンはローンという名前の通り借金なのだ。借りた金は返すのが当然である。大学を無料にしろというならその根拠は何なのだ?

 

1・社会全体の成長?すでに統計によって否定されている。

2・学習する機会の均等?それは高等教育である高校生まで無料で保障している。

 

ニュージーランドでは約50%が中卒で高卒が25%、大学に行くのは残りの25%でありその25%は自分たちの収入が増えているだけでそれは機会均等とは全く別問題である。

 

本当に賢ければ学生ローンを受けて社会人になって返済すれば良いだろう。けれど実際は学生を卒業しても頭のなかは子供のママで仕事もなく失業手当を貰って学生ローンを返済せずに「持論」を展開する輩がいるのが実態である。

 

ちなみにうちの娘も大学に通っており今年卒業するが学生ローンも学生手当も受けていない。親から出してもらえば親子間の借金で済むし親に対して責任もあるからその分一生懸命勉強もする。

 

これが政府のローンで返済不要って認識を持ってみろ、誰が返済するか、毎日バーで遊びまわってるほうがよほど楽しいぜ!という事でそれを実行している。

 

だから高校生卒業までに単位が取れて大学に入学しても国のお金であるから真剣さもなく、一年目の終わりに医学部や法学部では半分以上の学生が振り落とされる。

 

家族で夕ご飯食べながらテレビで学生デモを見た時に娘が「ふざけんな、大学に行ってもろくに勉強してないくせに、金が貰えるから行くなんて駄目じゃん!」と怒ってた。

 

大学が何故存在するのか?大学の社会に対する役目とは何なのか?単純に大卒じゃないと就職出来ないからって理由で政府から金を借りるってのはどう見てもおかしい。

 

ニュージーランドでは大学に行きたい若者にはきちんと道を提供している。けど、その為の費用はローンなんだから、卒業したらちゃんと返せよ、ただそれだけの当然の理屈を言ってるだけだ。

 

他にもニュージーランドは日本と違う仕組みを取っている。論理面ではイケダハヤトに付いてるコメントを読めばよく分かるが、日本国内でわいわいやっても所詮皆が同じ視点から反対方向を向いて議論しているからなんにも進まない。

 

そういう時は北欧やオセアニアなど、日頃日本人が見る機会のない仕組みを調べてみたら良い。一つの問題を様々な視点から勉強してみれば、自分たちの発想がいかに「池の中の蛙」なのかよく分かる。

 

日本でもそうだが、とにかく自分に都合の良い時は奨学金頂戴、返済する時は「社会とはー!」などと屁理屈を並べる。そんなのが大人になると給料が安いと文句を言うが自分の頭のポンコツさは給料と見合っているのかを考えてみようともしない。

 

国民の税金を遣って医療を受ける時は「医療とはこうあるべきだー」とか言っておいて自分が税金を払う立場になれば「税金高すぎ!」と文句をいう。

 

奨学金の話に戻れば、奨学金を受け取る事が出来たために優秀な若者が社会に出て社会に貢献したという実績がある。僕自身はとにかく勉強嫌いで大学なんて考えただけでぞっとしたから奨学金なんて考えもしなかったが、世の中にはどんなに優秀でも貧乏だと自費で大学に入ることは出来ない。

 

イケダハヤト氏の言うような理屈を並べて逆に「じゃあいいよ、奨学金制度なんて止めるよ、今後は大学に行きたければ自分で銀行に行って金を借りて来な」なんて話になったら、本当に奨学金にお世話になり奨学金のおかげで社会に出ることが出来た若者を、まさに本人の責任でないにも関わらず貧乏のために彼の未来を潰すのと同様である。

 

自由な議論は絶対に必要である、たとえそれが間違っていても。しかし自由な議論が正論かと言えばそれは違う事もある。持論と正論は決して常にイコールではないのだ。借りた金は返さねばならないのだ。どうしても理解出来なければサラ金のおじさんに聞いてみればよい「ねえおじさん、お金借りる時はありがとって言ったんだから返さなくていいよね?」って。

 



tom_eastwind at 14:32│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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