2013年10月12日

ママ

文月メイの歌を偶然聴いた。泣けた・・・。くそ、やられた。もうちょっと前振りしておいてくれよって思った。

 

いつの時代も家族間の殺し合いはよくある話だ。例えば高瀬舟は兄弟二人だけで生きてきてお互いがお互いを思いつつ起こった事件であった。当時の法律では重罪であった。楢山節考では年老いた親を山中に放置する話である。それにジョージ秋山の「阿修羅」では空腹に耐えかねた母親が子供を殺しそうになる場面があった。

 

小説や漫画ばかり話すんじゃねえって言うなら、間引きという生まれたばかりの子供を殺すことも行われていたと言えばどうだろうか。

 

戦後も暫くは尊属殺人という通常の殺人より重い刑罰があり、これは子供が親を殺した場合に適用されるものであった。親が子供を殺しても傷害致死罪が一般的であった。

 

しかし今の時代のように馬鹿親が自分の無責任で子供を産んでおいてその子供をうるさいからと殴りつけ蹴りつけ飯も食わせずに挙句の果ては殺してしまうのは過去の日本史において存在しただろうか?

 

そう思って戦前の子殺しの記事を探したのだが、もちろん事件そのものは時々あったが、今の時代のようなまるで親と子供の輪が切れた、まるでミッシングリングのような時代を見つけることが出来なかった。

 

もし僕の検索が下手くそであればご指摘してもらうと有難い。

 

ただ1つだけ記憶が蘇ってきた。ある日突然街に異変が起こった。大人が子供をまるで虫をつぶすように殺し始めたのだ。学校では先生が生徒を殴り殺し電車に乗った子供を周囲の大人がニコニコしながら線路に突き落として轢き殺した。そんな場面を何とか逃れた小学生の子供が自宅に帰り母親に「ねえ、今そとが大変な事になってるよ!」と訴えると、それまで台所で料理をしていた母親がにこっと笑って手元の包丁で子供の喉を掻き切ったのだ。

 

もちろんこれはフィクションである。永井豪が随分昔に描いた恐怖短篇集の一つである。

 

しかし今の時代に起こっている子殺しは、まさに親と子供の間のリングが完全に外れた事を意味するのではないだろうか?


***

文月メイ

”どうして、ねぇママ

どうして、ねぇママ

神様が決めたの?

ぼくは生きちゃダメって”


http://www.youtube.com/watch?v=He3kXT3Y31Q

***





tom_eastwind at 14:39│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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