2013年10月14日

1945

1945年の敗戦後、日本は東北と南西に分割された。東京を含む南関東から西が米国、北関東から東北、北海道がソ連と中国の共同統治となった。



その後冷戦、中ソの反発などで北日本はその度に政争の場となり本来は人民が主体であるはずの共産東北日本ではいつの間にか中国派とソ連派が分裂して人民同士の争いとなった。



当然重厚長大産業は育たず人々は何時まで経っても三陸や北海道で採れる漁獲資源と山間地で採れるきのこや椎茸などで自営するのが精一杯であった。



しかし北日本そのものは中ソがお互いのプロパガンダの為に西側に対して「すごいだろ!東はこんなに発展しているんだ、東京なんて問題じゃない、仙台は大都会だし札幌は天国だ!」とぶちあげた。



事実は、札幌はソ連による完全な支配下にありKGBGRU、ソ連極東軍本部が置かれ人々は常にヒラメのように上を見つつ息を潜めて生き、小樽と函館には冬でも凍らない不凍港として新バルチック艦隊が配備されていた。



そして仙台は中国が喉から手が出るほど欲しい西側、特に米国へ直接繋がる太平洋側の攻撃的軍事港として、または米国が攻めこんで来た時の不沈空母として利用すべく防衛網を張り巡らせていた。



当然そのような支配下では北日本住民が自発的に何かを出来る事もなく起業家も自発的産業も育たず政府の補助金と軍事産業のみで生活をしていたから誰もが黙りこみ下を向いて政府に逆らわず誰が特高警察のスパイかも分からないから家族の中でも迂闊な事も言えずに40年間過ごしてきた。



本当にやる気のある人々、自由を求める人々は東北日本が作った「日光の関所」を真夜中に乗り越え南西日本に逃れた。残った人々は逃げる勇気もなくやる気もなく毎日ヒラメ状態で政府に与えられる職場とパンだけで生活をしていた。



ところが1970年代後半に中国で文化大革命が終了、小平が改革開放を唱えて南巡講話を世界に向けて発表し1980年代後半にソ連が崩壊すると遂に日本でも「日光の関所」が崩壊して南北日本は再統一した。



問題はそれからだった。西側社会で工業的に発展した南西日本は経済的に疲弊した北日本を救うために毎年10兆円単位の補助金を投入した。



ところが戦後40年にわたる共産国家支配により人々は起業家精神を失い話をすることを恐れ常に誰かに見張られていると思い一切の積極的経済活動を行わず南日本からの補助金だけで日々の生活を送っていた。



だから今更起業しろと言われてもどうやって良いか分からない。かと言って発展している南西日本に移住するにしても知り合いもおらず飛び出す勇気も能力も自信もない。てか、勇気や能力のある人間は早い時期に南西日本に飛び込み自力で生活を構築した。新しいビジネスを起こして一生懸命遅くまで働いて家族を養ってきた。



それまで東北日本で運営されていた国営企業や工場は効率が悪くあっという間に南西日本の企業が東北日本でビジネスを展開して南西日本の工場で作られたものを効率的に販売したものだから殆どの国営企業は倒産してしまった。



南西日本からの支援による東北日本にいる限り取り敢えず飯は食える。けど自由になって南西日本のニュースを見る度にその豊かさに腹が立つものの、だからと言ってどうこう出来るものではない。



そこで失業した若者たちは毎日街に繰り出して日本酒でうさを晴らし、共産主義時代に北朝鮮から移住して来た人々を日常的に攻撃し、たまに地元で野球の試合があれば暴徒となり球場で暴れまくり逃げ惑う人々を見て喜んでいた。



本来なら警察が取り締まるべきだが共産国家時代は共産主義に反対する組織が現れれば若者を組織して暴徒として攻撃させ警察は知らんふりをするのが今までの風潮だった為、今更若者を押さえつける事も出来ない。



東北日本では国営企業が倒産した後に新しい産業は育たず若者は仕事がなくて暴れまくり治安は悪化して人々は遂に本当は嫌いだったはずの共産主義時代の方が良かったなど言い出して手元に与えられた「何でも出来る自由」を使いこなせない自分の責任は棚上げにして政府にもっと金を払えと言い出した・・・。

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これは現在の東ドイツの状況を日本に置き換えて描いてみた「もし日本が分割されてたら?」というフィクションである。「北朝鮮から移住して来た人々」は今のドイツにおけるトルコ人差別問題である。つい最近もネオナチによるトルコ人連続殺人事件裁判が始まった。



だからこのようなフィクションも1945年当時においては「十分にあり得る筋書き」であった。



日本人は染まりやすい。だから共産党が日本を分割していたらその地域はソ連や中国以上に狂信的な共産党員が輩出されただろう、もともと日本人と共産主義は相性が良いのだ。



「日本人と共産主義の相性が良い」という意味は、日本は元々が農村や漁村であり例えば漁業権などは誰か個人が持つわけではなく全体の財産であった。田畑もお互いが協力して灌漑水を引きこみ皆で共同利用した、つまり原始共産制度が元々から存在したのだ。



ついでに言うとニュージーランドもマオリが原始共産制度であり個人の財産ではなく村全体で管理する財産という概念だった。だから日本の古代社会に近い。



長い冷戦が終わりベルリンの壁は崩壊した。そこから約20年、現在は旧東ドイツ出身のアンゲラ・メルケルが首相を務めて今年のドイツ総選挙でも勝利し欧州大合同に向けて政治経済の合流を図っている。



歴史を振り返ってみれば20世紀はドイツの時代だと言えるかもしれない。ドイツ統一後2度の世界大戦を起こして2度の敗戦、そして1945年以降はまたも工業国として実力を付けて現在の欧州大合同を牽引してきた。



それでもドイツ国内にある旧東ドイツを成長させる手立てはなくトルコ人への差別は止まず、戦争と共産主義の傷跡は今でも残っている。



歴史に“もし?”という選択肢はないと言う。けどもし本当に、戦後の日本が分割されてたらと思うと、ぞっとすると共に今までの日本がどれだけ恵まれていたかを実感することが出来る。



tom_eastwind at 14:41│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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