2013年12月01日

MASU と 八つ墓村



金曜日は最近開店したMASUという日本食レストランに行く。スカイシティグランドホテル内のレストランでありかなり高級で、あまり興味はなかった。ただ来週弁護士チームの昼食に呼ばれておりどんなもんか取り敢えず様子見で予約した。

 

値段と料理の内容を見ると「え?これで委員会!」って感じであるが、来客は皆幸せそうな顔をしている。あ、そーか、彼らはこの場所の雰囲気を楽しみに来ているわけであり食べ物そのものに何か期待をしているわけではないのだ。

 

ふーむ、結局レストランって、客が客を呼ぶんだよね。美味しいとかだけの単品の要素ではない、総和の中にビジネスが存在するなって思った。空気をどう作るか?これは自分のレストランの要素でもある。ただ単純に安ければ良いってものではない。

 

いかに人を呼ぶ空気を創るか?これって考えなくちゃねー。日本人にお茶を出して1ドル請求出来るか?てか、してしまったらその瞬間に日本人オーナーって意義がなくなるよね。これはうちのビジネスにも繋がるな、この発想を逃したら仕事成功しないなって思った。

 

そんな事考えつつ土曜日の朝は10年使ってるおんぼろ車にガソリン入れて窓を少し洗って午後から「八つ墓村」を観る。

 

んーん、やっぱ良く出来てるなこの作品。1970年代に作られた映画であるが実に滑らかに良く出来てる。映像美ってか、実に綺麗だ。やっぱり日本人だけしか出来ない仕事があるよなーって感じた瞬間。

 

けれど同時に感じるのは、この世界観が示す閉鎖的な田舎ってのは理屈や世界観が通じない。広島とか岡山とか、男だけが偉くて女はバカだとか、多治見家がどーしたこーしたとか、東屋とか西屋とか、馬鹿ばっかり満載のくだらねーアフォーどものの連発である。

 

横溝正史の八つ墓村の元ネタは津山大量殺人事件であるが、21世紀の都会からすれば信じられない事件である。夜這い、本家、それが一体どーしたっちゅうんか、本当に僕からすれば意味不明な世界である。

 

けどその村で生まれ育った人は生まれた時から洗脳されており自分が抱える問題に一切心を傾けることなく信じきって生活しているんだろうなー。

 

人間が自分の生まれ育った迷信とか洗脳から解き放された時、どれだけの力を発揮出来るか?多分世界のGDPは2倍伸びるだろうな。

 

今の世の中はあまりに迷信と盲信と洗脳がはびこりすぎている。おいおい21世紀だぜ、もういい加減に止めようよって言いたいが、やってる本人は至って真面目だからどうしようもない。バカが自分の馬鹿さ加減を気づかないのと同様である。

 

週末、そんな事を考えてた日でした。



tom_eastwind at 17:31│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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