2013年12月15日

悲しい色やね Part2

●年末年始休業のお知らせ

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 イーストウィンドは、1221日から2014112日まで、クリスマスおよびお正月休暇となっております。この期間中にいただいたメールへのお返事は、基本的に113日以降となります。あしからずご了承くださいませ。

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という事で今年も会社は間もなく終了、約3週間のお休みにはいる。日本で3週間も会社がおやすみしたら、そりゃ永遠のお休みでしょー、二度と起き上がることないよねーって話だが、ニュージーランドでは3週間のお休みがない職場の方が「あんたかわいそうだねー」って話になる。

 

日本人って会社に入る時の条件に給料ばかり見てるけどそれ以外の労働条件はあまり考えないんだろうね、特に年休とか残業とか。

 

日本ではブラック企業なんて言い方が最近出てるけど、ニュージーランドじゃあり得ない表現である。もしブラックなんてあれば労働者によって速攻訴えられる。

 

日本だと給料いくらって考えるけど、それ時給に変換したらいくらなのか?年収制度の場合も同様であり残業手当はないものの実質的に労働している時間を計算してみればどうなのって話だ。ましてや年休、祝日、週末などを時間計算してみたらどうなることやらである。

 

これ以外にも労働条件で大事なのは福利厚生である。米国のように給料が高くても医療保険が高ければ意味はない。オバマケアで現場は相当に混乱しているが米国の医療費が高いという事実は変わらない。

 

その点ニュージーランドの医療は基本的に無料であり有料の部分でも会社負担とか安い医療保険で賄える利点がある。

 

また日本では休暇があってもカネがなくてどこにも行けないなんて話も聞くが、例えば当社の場合は勤続年数に応じて里帰り航空券を会社で負担してる。もちろん社員が日本に帰れば当然ニュージーランドの話になるわけで、これはニュージーランドプロモーションの一つになるし社員にとっても大きな出費が不要なわけで安心して日本に戻れる。

 

だから給料の額面だけ見ててもあまり意味はない。ニュージーランドの労働条件であれば日本の税込み給料の3割少なくてもやっていける。

 

ところが最近のNZドル高でどうなったか?ニュージーランドの最低時給は13.75セント、これは1ドルを90円と計算すれば時給1,237円である。地域別もなければ業種別もない、すべての労働者に適用される賃金であり、簡単に言えば田舎のマクドナルドでも適用されるわけだ。

 

ニュージーランドの労働者の賃金はフルタイムで働けば高校を出たばかりのシロウトでも245万円が額面だ。ここから15%の源泉徴収を払って約210万円が手取りだ。手取り月額で17万5千円。これがニュージーランド国内のどこの高卒でも得られる最低給与である。

 

もちろんこれに残業なし、一ヶ月の有給休暇、基本無料の医療保険、65歳のキーウィであれば誰にでも支給される老齢年金(掛け金不要)が付いてくるのである、それも働いてる時にたった15%を納税するだけで企業及び政府から得られるのである。

 

話は変わるが今回日本に来て串かつの有名な街を歩いてみた。昭和の時代はいつも警察署を襲撃していた地域ではタクシーの運転手さんでさえ結構マジな顔で「あまりこの辺を歩きたくはないですねー」と言ってた。

 

タクシーを降りて「背中に目をつけながら」大正時代から続く遊郭を歩いてみる。

 

ちょっと話は逸れるが背中に目を付けて歩くやり方っていつから覚えたのかもう忘れたが、僕はいろんな街を一人で歩いているがいまだ怪我をしたり事故に巻き込まれたことはない。

 

これは誰かが近づくのを感じるというよりも相手に近寄らせない気配の方が強い。例えば捕食者にとって目の前にのろのろと集団で歩く草食獣がいるのに敢えて単独行動をしている肉食獣を選ぶ必要もない。実は集団で行動する連中のほうが捕食しやすいのである。

 

この街、たしかに建物はどれも風情がある。午前中だったのでどこも閉店状態だったが、道をうろうろと歩くジャンパー姿の人々や道端でぼやっと立ってる人のうちどれくらいが覚せい剤の売人かなって考えたりしつつ道路の左側を歩く。

 

左側を歩くのは、僕の利き腕は右腕なので左側を塀で安全確保しつつ右手を自由に使えるようにするためだ。そんな事考えながら歩かなくてもいいでしょっ、危険って思うなら歩かなければって思う人が多いだろうが、人生は所詮危険なものである。

 

危険を完全に回避して歩くことなど出来ないし自宅にいても車が飛び込んでくるかもしれない。だからと言って何も考えずに街を歩いていたら危険にぶつかる可能性がある。もちろん最後は運であるが、それでも少しの技術を使うだけで危険の度合いを下げることは出来る。それがぼくが海外生活をしながら学んだ事だ。

 

話を戻して串かつの街。確かに危険だなー、時々背中がチクチクする。大正時代は栄えてたとの事だけど、今はもうほんとに「ひったクリーン作戦推進中」なんて看板が出てるが、これはひったくりを推進しているのか(苦笑)って思うくらいだ。

 

「お運びさん募集中」とか、これは麻薬の運び人なのか客と自由恋愛をする人なのか、それにしても独特の文化である。

 

街を南から北にゆっくり歩きながらそれとなく周囲を見るとほんとにずらーっと並んだ同じようなサイズの店が続く。大正の時代はこのあたりが賑やかで、大正の時代はこの街が日本のマンチェスターとして工業都市として栄えて東京を抜いてた。

 

けど新幹線が走るようになり1980年代に超円高で繊維産業が次々と衰退していく中で地元の優秀な若者と文化は次々と東京を目指すようになった。大正の建物と古い脳味噌の人々は残され東京の一極集中が始まった。

 

東京には世界のカネが集まり日本の中心地として一気に成長していったがその半面残された人々は今までの発展の夢に囚われて何が起こっているかわからないまま古い生活スタイルを維持した。その結果現在では東京との格差を完全に付けられて名古屋、福岡など勢いのある都市が背中を追っかけている状況になった。

 

それでもこの街に住む人達は昔からの生活スタイルを維持し続けた。その結果として大正時代の町並みを残す街が出現した。周りが変わる中自分たちが変わらない事で結果的に過去の遺産を創りだしたのだ。

 

ここで生きている人々は何も変わっていない。変わらないことで何かを守ろうとしているのか、単純に変化を嫌がっているだけなのか?もう少しこの街を歩いてみないと分からない。



tom_eastwind at 04:19│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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