2013年12月22日

唐津 洋々閣

「ねえお父さん、唐津の津って“港”って意味があるの?」

ちょっとびっくりしたように娘が聴いてきた。花山の翌日、地下鉄を利用して約80分、学生服姿の若者をたくさん見つつ博多駅から唐津駅に移動して駅内の様々な資料を観ていた時のことだ。

 

駅内には簡単ではあるが案内所もありそこには日本語で「唐津は日本が唐と貿易をしていた時代から日本側の港、津として使われていました」と書いている。1400年くらい前から中国と貿易をしていた街はさすがに歴史がある。江戸、てか東京がまだぺんぺん草しかなかった時代に既に中国の最先端の文化を取り入れて発展した街、それが唐津だ。

 

むすめからすれば今の日本と中国の喧嘩は少しは気になるが、それよりは毎1時間ごとに喧嘩して毎30分毎に冗談を言って毎15分毎にきゃっきゃと笑ってる両親の方が余程気になるのだろう、こういう中国と日本が1000年以上も貿易をしていた事実、米国よりも英国よりも古い付き合いのある国ってのがわかって「ああ、だからうちの両親もしょっちゅう喧嘩したり笑い合ったりしているんだー」なんて納得しているのかもしれない(苦笑)。

 

日本と中国は現在非常にやばい関係になっているが、1400年くらい前から付き合っている国である。時には貿易をして時には元寇で攻め込まれ神風に救われて相手を撃退し、それから数百年は仲良しの貿易関係が続き沖縄を通じて仲良くしてきた。

 

その後明治時代になり中国の清朝に反対する中国の若者は日本に留学して勉強して政治を学んだ。日本でも長崎や福岡の国士が孫文や魯迅を応援して資金的スポンサーにもなった。中国でそれまで存在しなかった欧米の考え方を漢字で導入もさせた。中華人民共和国のうち人民と共和国は両方共日本生まれである。

 

孫文が中華民国を作るが国内の派閥闘争で失脚したり地方の軍閥が台頭して中国がめちゃくちゃになると日本が乗り出して、その頃から日本側でもスケベ心を出した連中が国士とは違う動きを見せて中国侵略をした。

 

しかし侵略と言っても当時は世界中でどこの国もが行っていた行為でありある意味乱れた隣国を救うための方法であったと言える。少なくともその当時の中国人に任せたままでは人民の虐殺の被害は更に広がったであろう、その意味で欧州の侵略に比べればずっと「まし」であるし、第一当時の価値観を現在の物差しで計ることは出来ない。

 

もし現在の価値観で過去を語るとすれば明治の元勲などはスケベオヤジばかりであり不倫で訴えられてもおかしくない話である。

 

なんて事をつらつらと考えつつ、今日は時間があるので旅館まで歩くことにした。歩いても1時間はかからないようだし。でもって駅前からバスセンターまで歩くと、途中に城下町や町家の案内などがありその歴史の長さが良く分かる。

 

ただ、途中で通り過ぎる人の多くが人殆ど老人だ。シャッターを閉めたままの店も目立つ。老人は背中を丸めて杖をつきゆっくりと歩いてきてバスを待っている。センター内の喫茶店に行き昼食を取るが、その時も後から入ってきた背中を丸めたお婆ちゃんが隣のテーブルにチョコンと座る。

 

ところが注文したのはサイコロステーキランチで、料理が出てくるなりばくばく食ってた。なるほど体力はしっかりではないですか。

 

そのうち奥さんがこそっと聴いてきた。「ねえお父さん、この街って老人しかいないけど、若い人ってどこに行ってるの?途中で学生さん見かけたけど、彼らってみんな福岡に行ってたよね」

 

この唐津でも福岡を中心としたストロー現象が起こっている。何も変化しない唐津。老人が支配する唐津。そこでは何も変化せず変化を嫌う老人が街を支配している。そんな街に抵抗を覚える若者は自由にやりたい事が出来る福岡を目指す。

 

それから美しい天守閣を持つ唐津城を眺めつつ舞鶴橋を渡り、今日は子どもたちに日本の旅館と畳部屋と布団で寝ることを知ってもらいたくてあえて大正時代から続く古い旅館、洋々閣を選んだ。和室の畳にびっくりしつつふすまを開けると奥に布団が入ってるので子どもたちはびっくり(笑)!

 

玄関から小上がり、靴を脱いで板張りの床はよく磨きこまれ部屋番号はあるものの実際は「小富士」など部屋ごとに素敵な名前を付けられており、部屋ごとに仲居さんがいて面倒を見てくれる。

 

りょうまと二人でお風呂に行くがこぶりながら静かで手足が伸ばせて二人でごろーっとする。奥さんと娘は部屋にある檜風呂に入ったのだが「すんごいねー、香りがいいねー」と喜ぶ。

 

料理は部屋食。仲居さんが最初に飲み物を持ってきて順々に料理が出てくるのだが、どの料理も新鮮な素材を旬に合わせた料理に仕上げており実に旨い。和食もこのレベルまで来ると和食を全く知らない人でも「なんじゃこりゃー!」ってびっくりするだろう。好き嫌いの問題ではなく旨い。和食を知らなくてもこれを食べさせれば絶対に納得出来るってレベルの味である。素晴らしい。

 

この旅館は伝統を守り、まるで時間が止まったような素晴らしいサービスを提供してくれる。まさに「おもてなし」である。

 

しかしこれは同時に変化をしていないという意味である。伝統を大事にしつつ変化をする、これは本当に難しいことだと感じるが、けど変化しなくちゃ街はどんどん古くなる寂れてくる。

 

洋々閣のフロントに置いてあったパンフレットを取る。こんな旅館にしては珍しく「クリスマスライブ・コンサート」のご案内がある。それも超一流スタジオプレイヤーによるギターである。こりゃずいぶん近代的だよなーって思いつつ内容を見ると、帳場の隣にある談話室を使って素晴らしい日本庭を背景にして最新機種のPAなどを置いている。毎年ここでコンサートをやっているとの事。

 

裏を見ると主催者は「唐津はこのまんまde委員会」で洋々閣が主導しているようだ。クリスマスコンサートを毎年企画しているのが伝統を引き継ぐ唐津の若者なのだろう。この名前がまさに今の唐津を表しているのではないだろうか。

 

唐津は貿易で利益を得た。昭和の時代には商店街も繁盛した時代があった。彼らは利益を得て財を成し引退した、後輩のことは考えずに。

 

自分の生まれた街を守るために頑張る若者と自分の夢を叶えるために都会に出る若者と、どちらも人生である。どちらが良いかなんて責任のない他人が評価する問題ではない、どちらも一生懸命やっている限り。

 

唐津での一晩、家族は初めて経験する古い日本旅館と食事に満足し、ぼくは日本の現在の凝縮版を見ているようで不思議な気持ちで過ごした一日だった。



tom_eastwind at 02:47│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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