2014年01月19日

土曜日の午後

年明けで最初の一週間は仕事の感覚を取り戻す為の試走期間だった。

今年の日本はどの程度動くのか?ニュージーランドはどのような意識なのか?オークランドのビジネス社会は今年どのような期待を持っているのか? 日本には12月中旬から滞在して、一般的な感覚は掴めた。オークランドに戻って街の話をあちこちで聴いて、これも大体イメージが掴めた。

なるほどなーって事ばかりだ。 まず日本。アベノミクス効果で東京の人々は「まだいけるんじゃない?もっと伸びるかもー」って印象だろう。地方では国勢とか世界情勢は何も考えずに、若者は如何にこの街を成長させるかを毎日考え既得権益層はめんどくさい事やだなー、だっておれ、死ぬ時までのカネあるしーである。

ただ、出口論が語られてないのが問題。入口論としてあーせーこーせーと言い、ある程度成功した者にはどーせーこーせーと語るが、では出口論は?という視点で見てみると、殆ど出口論を見かけない。 例えば京セラの稲盛さんが主催する盛和塾などは結構出口論が語られていると思う。

目先のカネではなく、なぜ人生を生きているのか、そういう事をしっかり語っていると思う。問題はそれを聴くほうが受け止めるだけの器があるかどうかだが。 出口論とは自分の死後をどうするかって事である。子供に財産を残すのか、それとも自分で使いきるのか、血族を守り自分の血筋を守るのか?

社会にすべて貢献するのか?どれも良し、本人次第であるが一番いかんのは何も考えないことである。 なぜ生きているのか? 何も考えず時代に流されてカネが入ったり出たりするだけでは、これだけは間違いなく言えるが、死ぬ時に後悔するよ。 サラリーマンの時であれば言い訳をして誤魔化してそれなりに見繕いをすれば目の前の問題から逃れられるが、定年退職して自分の人生を取り戻した時に振り返ってみればそこに何があったのか?

人生の出口とは次の世界への入口である。人によっては死んだらそれですべて終わりと思う人がいるしそれはそれで良いのだが、もし少しでも次の世界に対して疑問を感じるようだったら出口論を考えた方が良いと思う。

あはは、べつにぼくは宗教屋ではないし土曜の午後にゆっくりとニーナ・シモンとかアズナブールとかユーミンとかチューリップを聴きつついろんな事を考えてるだけだが、やはり今年は出口論を考えてしまう。 .「今だから/松任谷由実・小田和正・財津和夫 」.この組み合わせ、今ではあり得んだろうなー。

冗談で作った歌だろうが、まさに1980年代の日本の楽しさをそのまま表してる歌だ。 しかし、どんな楽しい人生にも終りがある。出口。そこを考えない人生は線香花火のようなもので、もちろんそれで良いと思うなら何も言う事はないが、もし何か自分が死んだ後に誰かに何かを残したいと思うなら、出口論を考えた方が良いと思う。

今日は最高の晴れ!財津和夫の「サボテンの花」を聴きながら、いかにこの人が天才でビートルズの影響を受けてそれを真に受けて東京に行って最後に成功していったかを考える。 期待せず、自慢せず、満足せず。 出口論を、今年は考える。

tom_eastwind at 08:50│Comments(0)TrackBack(0)

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