2014年02月12日

Please leave the bath and wipe the body

 

苗場でスキー初日を楽しむ。天気がよくゲレンデが視界良好。

 

事故らないように気をつけて飛ばして滑りつつ太陽が沈んで斜面が暗くなる前に上がり、おもいっきり筋肉を使った身体を大浴場に持って行き、お風呂の中で筋肉をほぐす方法をりょうまくんに教える。その時に目に付いたのが表題の英語である。

 

りょうまくんに見せると「へー、けど、あれ?」と言う。そう、何かおかしいのだ。ぼくは「あれは、本当に言いたいことは脱衣場に行く前に身体を拭いてください”Please leave the bath after wipe the body”って意味なんだよ」と説明すると「うん、分かるよ、けど・・」。

 

これにかぎらず日本に来るとほんとに面白い英語にぶつかることがある。ぼくも英語のネイティブではないが読んでて???と思うことがあるくらいで、りょうまとお姉ちゃんにとっては英語のサインを見る度に毎回「???」な生活である。

 

ただ英語のネイティブである彼らも間違った英語のサインでも気持ちは伝わるようでおそらく東京に住む多くの英語ネイティブも「それなりに」理解して行動出来ているから言葉とは面白いものだ。

 

ところで、このような書き方をすると「英語が出来るだけで何を上から目線!」なんて思う人もいるだろうが、ぼくの視線は「上」ではなく「横」だ。

 

ぼくと同世代の人々と若くて元気の良かった時代を日本で過ごし一人は海外へ、一人は日本に生活の拠点を持つ。

 

同じ地球の上で日本から離れた「横」からかつての日本を知る世代として現在の日本を見て感じることは日本にもっと頑張ってもらいたいって気持ちの方が強いのである。ぼくはNZ国籍を取得して日本国籍を離脱したが心は日本人である。

 

日本は今も世界に誇る様々なものがある。それはぼくがニュージーランドに住んでて英語を話せることなんて何の意味もないくらい素晴らしい文化である。そんな素晴らしい文化を持つ国に対してどうやったら「上から目線」で語れるだろうか?

 

ただ、長い失われた20年で縮こまらずにもっと外向きに頑張ってもらいたい、だからこそ外国で生活をする日本人の「横から」視点を理解してもらいそれを日本復活の一つの材料としてもらいたいと思っている。

 

ただぼくは日本を愛するが日本を愛しすぎて贔屓の引き倒しはしたくない。日本がやってても、間違ったことは間違っていると指摘するべきだと思う。例えば悪い例で言えば米国籍の韓国人が慰安婦問題で米国内の政治まで動かすことは大きな間違いであり、ああ言う愚挙は絶対に反対である、あんなのは逆に韓国を弱くバカなままに時代に取り残されるだけの愚行である。

 

そしてぼくは今ニュージーランドに住んでいるが、だからと言ってクジラ漁やイルカ漁を批判するキーウィが喧嘩を売ってくれば冷静に「自分たちの価値観だけが正しいと思い込むあまりの脊髄反射は子供と同じだよ、君はまだ他国の文化を理解できないこどもだよ、これが間違いと思うなら今日本で生活をしているキーウィ100人に聴きましたってやってみれば良いと思う」と言って様々な客観的証拠を提出するだろう。

 

二つの国で生活をしているが、どちらかを在米韓国人のように韓国だけを無条件にべた褒めしたり日本を無理性状態で批判したり行動を起こしたりすることはしたくない。

 

日本以外で生活をする日本生まれの日本育ちの現在国籍が日本じゃないって人は現地で生活をして二つの文化や言語や価値観を経験しているわけで、だから日本に行くと違和感を持つことがあるのが現実だ。それを「上から」として使う人もいるが僕は常に「横から視線」で見ている。

 

実はぼくもニュージーランドではブロークンイングリッシュで文法なんてしょっちゅう間違っているがそれでも相手に伝わるのだから面白い。例えば「おれは何も知らないんだ!」と言う時に“I don’t know nothing !(俺は知らないことは何もない!)”と言ってみたり「絶対に触るんじゃない!」って時に “Never touch nothing(日本語に翻訳が難しいけど何でも触れ!みたいな意味)になったり(苦笑)するが、相手は雰囲気で理解してくれる。

 

でもって今回は更におくさんまで不思議に思ってぼくに聞いてきたのは「ねえお父さん、道路工事してるところに全身防寒服で身を包んだおじさんたちが明るい警棒を振って車にサインを送ってるけど、あれって単純作業なんだし、何で機械でやらないの?」とかスキー場でも「ねえお父さん、ゲレンデの下で“特別警戒中”って旗を持ってる完全防寒服のおじさんがいるけど、あれって必要なの?普通に旗を刺しておけばいいだけじゃないの?」と聞いてくる。

 

ぼくは「あれは特別警戒中ではなく特別雇用対策なんだよ、日本ではリストラされて仕事がない人がたくさんいて、彼らが転職できる市場価値がない場合、彼らの生活を安定させる為にも政府が失業保険や生活保護を支給するのではなく実際に働いてもらい雇用を生み出すんだよ、これを公共雇用対策と言って、見るからに意味のない仕事だけど彼らに失業手当や生活保護を払うよりは仕事をさせて少しでも社会に貢献してもらう為なんだ」と説明する。

 

すると奥さんは「まあ、そうなんだかわいそう、あんな寒いところに立たせるなんてPunish(刑罰)だよね」と妙に納得する。おいおい奥さん、ここは中国ではないし別に刑罰ではないんだよと思うが香港育ちの彼女からすればこんな非合理な仕事に生身の人間を配置する無駄をどうしても理解出来ないのだ。

 

これが中国なら「仕事もないし労働市場に出しても価値がないんなら臓器売れよ」って話だろう(苦笑)。思わず昔観たチャールトン・ヘストン主演のSF映画「ソイレント・グリーン」を思い出してしまった。

 

やはりお国が違えば考え方も違うんだよね。夕食前に奥さんと一緒にラウンジに行きナイターを楽しむ人々を見る。奥さんは「ねえ、もう外は寒いし暗いのに何でナイトスキーをするの?」って聞く。

 

日本人はいつも忙しくて時間がないから雪が降っても夜になってもスキーをしたいんだよね。楽しむってよりは訓練、みたいに考えている人も多い。早く上達したい人にとっては夕食を食べるよりもスキーが大事なんだよね」

 

「たしかにねー、夜にライトの光だけで滑ればいろんなテクニックが身に付くんでしょうね・・・」

 

クイーンズタウンでは毎年7月から9月中旬にかけて北半球のスキー大好き家族がやって来る。子供の夏休みだしせっかく南半球まで飛行機で20時間以上かけて来るんだからたっぷり楽しまなきゃと一週間から二週間くらい滞在していく。

 

特にヨーロッパから来るスキー大好き家族はクリスマスシーズンはツェルマットやドロミテあたりで長期休暇を楽しむ。

 

彼らにとってスキーはリゾートの要素の一つではあっても競技のための練習に来てるわけではない。だからスキーリゾートはアフタースキーを楽しめるように高級レストランや素敵なバーが連なり高級ブランドショップが立ち並び客は高級なコートに身を包んで買い物や食事を楽しむ。

 

しかし日本ではプリンス系列スキーリゾートが建設されてからも野沢や白馬のようにスキー合宿が盛んであり食事は食堂、部屋は雑魚寝、バーがなくて部屋に酒を持ち込んで今日一日のスキーの反省会?をやってとっとと就寝。

 

日本人はスポーツをする時でも道を極める精神性とかどっちかと言うとすごくまじめに取り組む習慣がある。当社のお客様に話をお伺いすると「スキーに行くときは夜行列車で床に新聞引いて寝てましたなー、特訓の時などは板を担いで何十分もかけて山の頂上まで行き滑ってましたなー」とおっしゃる。

 

しかしそのようなスキーの準指導員まで取得された方がヨーロッパにスキーに行くとスキーに対する思想の違いに文化の違いを感じて今でも新しい物事を取り入れる勉強している。頭の下がる思いである。

 

結局文化はそれぞれの民族に固有なものであり無批判にべた褒めするものでもなければ無条件に否定するものではない。

 

まさにどちらが良いとかではなく文化の違いなのだ。

 

今日は朝から雪が斜めに吹き付けてくる天気だ。高校生の修学旅行らしき団体が来てグループを作って雪の降る中スキーの練習をしている。この世代の子どもたちがスキーを楽しいと思ってくれればまた新しいスキー世代が生まれてスキー場は復活出来るだろう。去年から今年にかけてスキー客が増えている。

 

みんながんばれ、こければ痛いが、だからと言ってスキーをしなければスキーを楽しむことも出来なくて生活の選択肢が狭まるだけだ。自分を信じて、無条件に信じて努力をすれば絶対に結果は付いてくる。これだけは彼らの3倍近い人生を生きてきた先輩として「上から目線」で言えることだ。



tom_eastwind at 17:52│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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