2014年02月22日

格差の固定化が始まった。


 

今回は富裕層向けパーティでニュージーランドブース参加が2回。それにしても二晩続けて数百名が集まるのだから東京はすごい。いくら日本が失った20年と言っても彼らは何も失ってないのだろう。デフレが進めば進むほど物価が下がり彼らの現金に価値が出てきて彼らはますます豊かになっているのかもしれない。

 

1980年代に一億総中流と言ってたがそれはあくまでも一時的に下流層が60歳まで続く毎年の昇給と退職した後もついてくる社会福祉や企業年金などの恩恵で中流に留まることが出来たからだ。それが失われた20年で昔いた場所に戻っただけだとも言える。

 

この会場で「皆さん知ってますか?あなた達がこうやってパーティを楽しんでいる間に、所持金数十円しかなくアパートを追い出された家族が、ホテルの一室で父親が妻と子供を包丁で刺し殺して自分も農薬を飲んで悲惨な自殺をしているんですよ、お金がないだけで!」なんてやったらドッチラケである。当然であろう、彼らが生きている世界ではお金の話などみっともなくてしないからだ。

 

イベントに参加する方は基本的に賢そうだし美しく上品な奥様を連れてくる。何故こうなるのか?それは上流家庭に育った男の子はハンサムでなくても品があり、そういう男性のもとには高い確率で品があり綺麗な女性が嫁ぐ。上流家庭の子供が通う学校では小学校時代からの同級生や先輩後輩の間で結婚するから二人の間に生まれた子供がおとなになってまたも同じような環境の女性と結婚してこれが繰り返されて男女ともに上品で綺麗な夫婦になるのだ。

 

こんな事書いたら上流層の人々も「好きでこの家庭に生まれたんじゃねー、これでも悩みは一杯あるんだ」という反論があるだろう。

 

それは当然だ、どんな家庭にも悩みはある。それはロシア革命時に貴族の息子が共産主義者になろうとすると労働者に追い出されたその時に「ぼくは貴族の息子に生まれた事が悔しい」と言うのと同じである。

 

しかしそれは「食えない悩み」と根本的に違う。たいした違いはないかもしれないが、人はパンのみにて生くるにあらずだが、それでもカネがなく食い物がなくなれば人は確実に死ぬ。

 

貴族と言えどフランス革命が起これば殺されるしロシア革命では貴族は皆欧州に逃げてその後は故国を失った流浪の民となった。しかしそんなことは100年に1回もないわけだし目端が利けば戦前のドイツから米国へ逃れたユダヤ人のように生き残る機会もある。

 

それに対して貧しさが人を襲う可能性は日常的であり一旦その罠に陥ると逃げきれず、貧しさは常に地球のどこかで起こっており現在の日本でも発生している。そしてそれはいつも家族道連れの一家自殺とか電車飛び込みとか路上生活者となり浮浪者狩りに遭って殺されるかヤクザに誘われて原発掃除をするか、いずれにしても明るい未来はない。

 

そして今回の日本出張で特別に感じたのが、今回の格差問題は固定化するという事だ。例外はあるにしても多くの家庭で格差は固定する。

 

今までは中流層が下流層に落ちていくだけだったが、これから起こるのは一旦下流層に落ちてしまえばそこから上がることは出来ず、更にその親の子は親以上の仕事を得る機会は無いだろうという事実だ。

 

何故ならこれからの教育はカネがかかるが親にはそのカネを払う余裕がない。そして、何とか無理をして子供を大学に奨学金で行かせることが出来て無事に卒業したとしても普通の大卒にはもう社会が必要とする仕事は残っていない。

 

普通の仕事などすべてコンピューターとインターネットが奪っており更に工場や介護の仕事でさえロボットに代わっていく。

 

こんな時代に必要なものはよほどに強い生き残る能力か親のコネであり血筋であり機械やインターネットで代替出来ない特別な能力だ。例えば歌舞伎役者、ホテルのマネージメント、医者、経営者など、機械やインターネットを使いこなして仕事をする人々だが、そのようなポジションはコネも血筋もなく学費も出せない“普通の”学生には用意されていない。

 

そのような仕事は上流階級の人々の中で整然かつ黙々と彼らの中で仕事を回し合い助けあうのであり何の縁もコネもない人々には回らないのだ。

 

学閥、閨閥のない見知らぬ優秀そうな若者よりも子供の頃からよく知ってる学閥や閨閥のある普通の若者を選ぶのが経営者の常だ。

 

「何で俺がダメなんだ!学力も高いしやる気もあるのに!」とどんなに怒っても、その若者が部落出身者と分かれば採用されなかった時代だってあったのだ。

 

「橋のない川」はぼくが20代の頃に読んだので不覚にも何度も涙したが、あれは現実だ。カネのない貧しさはあの本を読めばよく分かる。あの本を読んで涙が出ない人は貧しさを経験した事がない人であり怒りを感じない人は差別を理解出来ない側にいる人である。

 

そして今の日本でそのような状況が起ころうとしている。貧しい家の子供は貧しいまま大人になり貧しいままに結婚して子供を産みその子供はまた貧しいままに・・・という貧困の環が回り始める・・・・。

 

今晩のイベントでほんとに上品そうな人々を見ながら、数年前に個人的に経験したある事を思い出した。あれが二極化の固定の始まりだったのかな・・・。

 

いつも書くことだが僕のブログは基本的に書き殴りだ。思った事や感じたことをさっと書くだけで、社会学者のようにデータを並べることはしてない。

 

頭のなかには基礎データを入れている。数字で判断するのが僕の仕事だから数字はあるけど、それよりも今までの人生体験の方が大きい。何かを観た瞬間に頭のなかの数字と様々なデータがぶつかり合い即時に答が出るのだ。

 

その直感が今日はっきりぼくに言ったのはセレブのパーティにNZブースを出して彼らと次々に話すうちに感じた「これから格差は固定する」である。

 

これは、これから子供を産もうとか今ちっちゃな子供を持っている普通の人々にはかなり怖い話だと思うが、僕の直感は数字を基礎にした上で飛び出してくるので殆ど外すことはない。間違いなくこれから格差は固定する。そしてそれは少なくとも20年は続く。

 

華やかなパーティでとびきり美味しいニュージーランドワインをニコニコと笑顔を見せてお客様に振る舞いニュージーランドの事など思いも浮かばなかったお客様に何故ここにニュージーランドブースがあるかをご案内して、素晴らしい自然や高級ロッジや自然の栄養に満ちた食材、優しい人々、原発のない国、そんな事を説明して素直に喜んで頂ける人々の顔を見つつ、何故かこれからの日本を考えて、心の中で涙が出てきた。



tom_eastwind at 13:00│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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