2014年03月10日

知的生産訓練のすすめ

「結婚とは治りかけの風邪のようなものだ。熱が覚めてもセキは残る」

これ、うまい!一票です。週末にちょっと笑えるおもしろいサイトを見てたらこういう一文があった。何か西洋の古典みたいな文体だけど「セキ」は日本語なので語源は日本語にあるのだろう。またはオリジナル?だとすると大したものです。なんか派生でいろいろと思いつきそうだ(笑)。

 

それからこんなのもあった。お題を出されて回答する形式だが、

問:長くフッて短くオトしてください。

答:ごめんね、もう君のことを恋人として見られないんだ。

今までみたいな付き合いは出来ない。

・・・・・・・・・だから結婚しよう。

 

こういうのを読んでると日本人のジョークも楽しいものだと思う。自由な発想があればこういう面白い視点から物が見える。

 

梅棹 忠夫の「知的生産の技術」を読むともっと自由に人生を楽しめる、それも出来るだけ若いうちに読めば長く楽しめる、何故なら人の時間は限られているから。

 

この本は1969年に書かれているがその内容は現在も遜色がない。知的生産の技術なんて言うとコピーマシンが出来てファックスが発明されてパソコンやインターネットがほぼ自由に使えてデジタルデバイドなんて言葉が出てきた現在は「知的生産の技術」が十分に揃っているじゃないかと言える。

 

ただ結局コピーマシンもファックスもパソコンもインターネットも道具であり、道具をどう使うかが一番大事な知的生産作業なのだ。

 

人間の思考回路を入力→演算(認識と理解と解釈と整理)→記憶(必要な領域に同様の情報と合わせて保存)→出力(文章や言葉にする)と分けると分かりやすい。

 

すべての事象が眼や耳から入ってくるからそれをどう演算するかが大事である。最初は演算技術がないからどう処理してよいか分からないがメモを取ったりカードごとに分類しているうちに次第に事象の関連性が理解出来るようになる。

 

この「カード」であるがぼくも1970年代に利用してて、不思議なくらいに簡単な作りなのに電気不要のコンピューター並みに役立ってた記憶がある。

 

僕の場合はA5サイズハード紙の右上に領域を書きその下に5W1Hで内容を記入しておく。新聞記事などはそのまま貼り付けたりもした。大体100枚位の容姿を準備しておきA5がぴったり入るサイズのカードホルダーに入れておく。

 

次に上耳付きカラーハード紙を領域ごとに分けて耳の部分に領域名を書いておく。あとはA5サイズハード紙に必要な事をどんどん書き込んでは領域ごとに放り込んでいく。領域がダブる際は同じものを2枚作りA1,A2と言った具体にコピーがあることを記しておく。そしてカードホルダーも次第に増えていくが常に筆写しているので記憶に残っているから忘れることがない。

 

これを繰り返していくうちに領域の区別が自分好みになっていき(学習効果)、記事をA5サイズに要領よくまとめる筆記能力が身に付いて他人に簡潔に物事を伝える技術が学べる。

 

これ実はすべてコンピューターの動きと同じである。入力→演算→記憶→出力はコンピューターの基本であり学習効果もまさに最近のソフトと同様の動きをする。

 

つまりぼくが1970年代にやってた作業は実はコンピューターと同じ動きだったのだ。だからコンピューターが本格的に業務に導入されるようになっても全く抵抗なく使えるようになった。

 

そしてここがミソなのだが、こういう風に様々な視点から事象を眺めつつ考えていると普通の生活では思いもつかない答が次々と出てくる。

 

こういう時に大事なのは常識を捨てる訓練であるがカードで様々な地域の様々な生活体験を見たり聴いたり日本に存在しない常識や視点から観る訓練をすれば自然と「あ、これは地域の常識」とか「あ、これは世界の普遍的な常識」とか「あ、これは期間限定で政府が作って人々に押し付けてる常識」とかがわかるようになる。

 

そして普通の人には思いもつかないような発想で新しい考え方や商品が「出力」されてくるのである。ここまで来て初めて実社会で役立つ知識となるのだ。

 

世の中にはいろんな知識を身に付けてるように見えて実は何の役にも立たないトリビアだったりその日の新聞や雑誌に書いてた記事とそれに対する認識を棒読みして自分の知識として語る人が多いが、それは学びではなく暗記でありその延長線上に独創性は全く出てこず逆に反論されると自分が論旨をしっかり把握していないから言い返せなくなる。

 

いくらたくさんの言葉を知っててもそれを使えなければ学ぶことの意味がない。まさに無駄な時間を消費しただけである。

 

パソコンネタをも一つ書いておくと、生まれた時にはパソコンなんてなかった世代が仕事でパソコン使うようになり使用時間がどんどん長くなるとだいたい問題になるのが充電とか停電である。

 

会社でデスクトップ形式のパソコン使ってて突然停電したり(今の日本では少ないが東南アジアに行けば普通にある)ラップトップの電源がほぼゼロになって充電器が無い時にものすごく怒って「一体なんでよ、この忙しい時に限ってー!」と叫ぶ人がいる。

 

あれ、やってる本人は仕事充実感から叫ぶのだろうが、あれはあまり格好良くないから止めた方が良い。電気が無い時は電気がなくても出来る仕事、考えるとか思索するとか料理の準備に時間をかけるとか、普段はパソコン使ってて出来ないことをするのが本当にパソコンを使いこなすって事だ。

 

そんな事言うと「だってさー、今すぐ送らないといけない書類だったのにー」なんて言われるが、それなら何故余裕を持って昨日のうちに送らなかったのかと聴きたい。「いやさ、ほんのついさっき頼まれて今すぐ送るように言われたんだよー!」であれば近くにファックスはないのか?てか電源チェックして切れかかってたら先にすることがあっただろう。

 

世の中、突発事件なんてのはそんなにたくさん起こることではない。大体において準備が不足しているからギリギリになって無理して事故を起こしているだけだ。そう、パソコンはあくまでも自分の作業の手段の一つである。パソコンがダメなら代替手段を常に持っておく、そういう思考回路を養うのが知的生産訓練である。だから、機械に振り回されて騒ぐな、みっともないから。

 

実は冒頭の言葉にはお題の前振りがある。

問:「ハゲは商売が下手である。何故ならもうけがないからだ」みたいな事を言ってください。

答:「結婚とは治りかけの風邪のようなものだ。熱が覚めてもセキは残る」



tom_eastwind at 17:16│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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