2014年05月12日

これ、書かなきゃ。 「原発ホワイトアウト」 

最近も本は読んでるけどついつい感想を書き忘れたまま時宣を外すことが多かった。けどこの本は「これ、書かなきゃ」と思い、眠い目をこすりつつ書いている。

日曜日の夜、真夜中過ぎの2時に読了。月曜日の仕事もあるので本当は夜の10時位に寝ようと思ったのだけど途中まで来るともう手を止めるのが嫌になり一気に読み通した。

 

それにしても読み終わって最初に感じたのは「ほっ・・・、ニュージーランド国籍にしておいてよかった」である。

 

日本が法治国家の体を取りつつも何かあれば政府は中国共産党のように警察と検察という暴力装置を使って人が治める人治主義になるのは分かりきっていた事実だが、体制派の中に現在いる人からここまで明確な内部告発をされたのは強烈である。

 

まず日本政府は原発が吹っ飛んだ時点から次の原発再稼働を考えその時期を狙いつつ虎視眈々と水面下で動いていた。爆発ごとき大した事ではないとばかりに一度たりとて政策の見直しはせずにいかに再稼働するかを考えてきた。

 

あれだけの核爆発を起こしながら国民の生命と安全など全く無視して霞ヶ関では「日本というお国」のために東大法学部を卒業した本当のエリートだけで国家運営を考えていた。

 

もちろんそれは僕も以前から理解していた事だけど、今現在進行中の核再稼働がここまで時系列具体的に書きだされているのはすごい。正直、今喧嘩している相手の手の内をそのまま見せられた感じだ。

 

***

「原子力エネルギーから一切背を向けるというのは、火傷や山火事を起こした原始人が火を使わなくなるのに等しい〜中略〜現在の大衆は、原始人よりも粗野で愚かで短絡的だ」

 

「私達と山下次郎(前回参院選で当選した反原発芸人)とでは、学歴もIQもこれまで払ってきた努力もまったく違います。経産省や電力会社がこれまでの日本を引っ張ってきたんですから、それに見合った待遇を受けることは当然ですよね・・・」

 

「東大法学部と経済学部との偏差値の差も、経産省のキャリア官僚と電力会社役員との社会的立場の差も、電力会社のカネの力を笠に着て、自分と同列に自らを論じるコジマに、日村はおぞましいさを感じた」

 

「国家公務員上級職は戦前では官吏と呼ばれ、天皇陛下に任命されたはずの職業なのだ。こういう高貴で完璧なキャリアを有する自分たちが、大衆の嫉妬で公務員バッシングされながらも、それでも大衆の幸せな日々の生活のために仕事をしている。そういう自分だからこそ、それに見合った待遇を受けるべきなのだ」

 

「優れた政治家というのは、頭が切れる必要はない。よく官僚に説明をさせて、それを正しく理解し、しばらくの間記憶が保持できる、それだけでいい。日本国の総理大臣とは、その程度のものなのである」

 

「原発の電気は発電時には安いと称しているが、実は白紙小切手の振り出しのようなもので、後の放射性廃棄物の処分でいくらかかるか分からない、というような不都合な真実を、総理独自の情報源で入手し、官僚の説明と付きあわせて自分の頭で勉強するようなことはしなかった」

 

等など、非常に現実的で分かりやすく政府中枢の言葉で書かれている。東大法学部卒以外はすべて顔のない国民なのである。

 

ぼくらはすべて東大法学部卒に支配された被支配層であり国家が決めた政策の日々の実務作業を実行するために休みも満足に取れない労働者なのである。

 

更に可処分所得がなくなる低給与層のサラリーマンは「働いても働いても何も残らない」奴隷層に陥ってしまうのである。

 

しかしそれは最初から支配層の「想定内」である。江戸時代から何も変わらない、「百姓は生かさず殺さず」政策なのである。

 

これは原発推進派でも反対派でも良い、もし日本の原子力問題やエネルギー問題に少しでも興味があれば是非とも購入して欲しい一冊である。

 

ちょうど時期良く週末に「美味しんぼ」で士郎が鼻血出す描写で日本中あちこちで原発反対派、東電、経産省、福島市民がバトルロワイヤル状態である。

 

ここに入り込んで周囲をぼこぼこにして回る懐古左翼も多い。団塊世代で退職して十分な退職金と年金を死ぬまで受け取れる世代の人々は毎日ヒマしているからこーいう炎上が大好きでだ。

 

70年代安保で共産党に洗脳されて帝国主義反対と言って活動したけど経営能力なくて(元菅首相みたいなものだ、理屈は言うが実務が出来ない)潰された元若者がとにかく何でも反対したいのだ。

 

だから今回もまず福島の鼻血と出れば「福島の風評被害であるー!」と叫び次に「原発ハンターイ!」と叫び、自分の声に酔いしれる。

 

バトルロワイアルに参加している人々は、議論の中に傾聴すべき理論があっても感情で反論して数の理論で潰してしまい、次の段階では人格攻撃に移りもし相手がちょっとでも自分に反論したら自分の全人格をかけて相手を否定して必要ならネットからリアルに引っ張りだして晒してしまう。

 

こうなるともう魔女裁判でありまともな議論が成立しようがない。日本人の一番苦手な「理論的に考える、自分の頭で考える」事が出来ないからこういう議論にもならない言い合いになる。隣国のフェリー沈没事故で韓国は自国を「三流国家・・・」と反省した。こと原発に関しては日本人も全く同様である。

 

そう言えば日本の国会でも昔は国会内での強行採決など殴り合い引っ張りあいだった。今は少しまともになったと言え英連邦の議会運営と比較すると情けないばかりである。これが民度というものだろう。



tom_eastwind at 16:33│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 最近読んだ本 

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