2014年06月16日

積読 橘玲について

積ん読ってわけでもないが、昨日の日曜日の午後の僕が座ってるソファの回りには、落語研究会の柳家小三治の自伝、橘玲の「タックスヘイブン」、週刊日経ビジネス、月刊情報誌「選択」、そしてネットで配信される田中宇の中東情勢など、文字通り文字だらけになってる。

 

ぼくのような情報産業では情報がすべてであるから世の中にバラバラに無関係に存在する様々な情報を一通り目を通してどれとどれが「結がる」かをあとで考えて自分なりに世の中の明日がどうなるかを考えて組み立てる。それから戦略を構築する。

 

情報、これはもうとにかく読み込むしかないので読むわけだが、読んでる時点で具体的にどう「結がる」かは分からない事が殆どだ。

 

回りに広げた本の中で今回一番面白かったのが橘玲の「タックスヘイブン」だ。

 

彼の本の一冊目は「マネーロンダリング」だ。この本を読んで、「おー、この人、現場知ってるな」ってびっくりした記憶がある。

 

「マネーロンダリング」を読んだ多くの人はお気づきだろうが、あそこに書かれている事のどこまでが本当でどこから具体的な手口をぼかして真似されないようにしているか、また中途半端な真似をすればドツボにハマる罠を隠しているか、分かりようがない。

 

こちらからすればまるで舞台裏から本を読んでるようなものであり、この橘玲って相当に冗談好きなやつだなー、てか面白い!と思ったものだ。何故なら罠は常にバカが調子ぶっこいてこの本一冊読んで分かったふりをして日本から客連れてくるとドツボにハマるように設定しているからだ(笑)。

 

1990年代の香港を利用した口座開設、資金移動、運用、そしてお金を浮上させる方法、こういうのは理論だけでは成立しない。現場の動きもしっかりと理解しないとダメだ。綿密に作った筈のスキームが銀行担当者のちょっとした勘違いで全部ぶっ壊れることがある。

 

今だから時効で書けることであるが、当時僕は香港で大手日系流通企業の現地採用として宮仕えを6年間やってた。いや、宮仕えやってたって事ではなくその時にやってた業務内容の一部です。当時日本から来た駐在員で英語を出来る人材は限られましてや広東語が話せるとなれば広い社内でも僕一人。

 

だもんでいつも日本から来た駐在では手に負えないケースは「特命」で様々な業務?色んな場に呼び出されて生臭い話、金の話、裏の話をやっていた。

 

生臭い話で言えば日本から来た企業駐在員が中国で死んだので家族の呼び寄せ、死体処理と日本への搬送、各種手配など、この時は臨時に5人程度の香港人と日本人合同チームを作り全員にその場でどんどん指示を出し僕の所にすべての情報が集まるようにしてすべての時間を調整してすべてがジャストインタイムになるように、まさに時間との勝負で動いた。

 

後日この企業のオーナー会長からのお礼状とうちの会社のお偉いさんから食事会に呼んでもらった時には日本から来てた駐在の嫉妬の目がきつかった(苦笑)。

 

この事件以降も様々な案件が来た。金に絡む話がよく来た。銀座に本社のある宝石屋の会長さんのアテンドなんて、要するに税務調査ですか(苦笑)?地元の銀行にご案内して貸し金庫を借りてそこにビロードの袋や小箱に入ってザラザラするのやらを入れていく。

 

その間じいさんはじっとこちらを観ているがぼくが話している言葉が全くわからないのでしょっちゅう「おい、日本語でやれ!」と言うが、あのさ、この支店長は香港人ですよ、そして僕は今、この銀行内にある貸し金庫の隠された鍵が何本あるか、この貸し金庫の裏側に穴が空いてないか、支店長がしょっちゅうマカオに行ってないか、そういう心配をしている最中にしょうもないことを話しかけるな、気が散るっちゅうに。

 

そう、香港ではすべてが騙し合いであり騙された方が負けであり銀行の窓口に行けば何でも正しく行われるのだと信じこんでる日本人にはあり得ない世界があるのだ。

 

例えばあなたがハンセン銀行で口座を開いたとしよう。入金の為に連れていかれた5メートル四方ほどの入金専門の銀行窓口でお金を渡して領収書をもらいバンザイ!ところが翌朝その銀行本店に行くとお金が入金されてない、あれっと思って昨日入金した窓口に行くとそこは空き事務所。もぬけのから。

 

そんなのが日常茶飯事であり金目のものを持ってセントラルあたりの宝石屋に行くとトラックで店に突っ込んで自動小銃振り回す強盗団に遭遇したり、バスに載ってると深センの港から大型エンジンを積んだ高速ボートでやって来た強盗団(時には解放軍)が目の前を横切り隣のマージャン屋を襲い警官隊と撃ち合いになって警察官が逃げたり(笑)。これすべて実話である(笑笑)。

 

そんな世界で1991年から1996年まで過ごした。香港の景気が良く日本もまだ1997年の銀行崩壊の手前であり、香港ではまさしく金が舞っていた。どっかのホテルチェーンが香港にホテルを高値で掴まされ買ったがその後すぐに日本でバブル崩壊、結局半額以下で元のオーナーに買い戻されて大損、その後倒産。

 

とか、香港側の海沿いに立つ高級ホテルのオーナーは日本人で、東京香港間では絶対に日本航空の1Aしか座らなかった人物がいた。

 

彼はぼくの働いてた会社の本社総務部の中でも特別中の特別扱いで支店長がわざわざ空港まで出迎えに行くほどの人物で、夜の接待も必要であるが、日本食レストランなら問題なくても中華とか珍しい店とかナイトクラブとなるともう特命である(笑)。

 

それも当社だけではなく商社や航空会社や銀行も出て来る程のVIPであり、まさに企業駐在員の命は接待にあり!

 

この人も相当にいろんな事を香港や日本で仕掛けて派手に飛び回ってたが、僕がそばで観る限り寂しそうな老人だった。その後、風の噂で彼が自殺をした事を聴いた時は「ああ、これで一つの時代が終わったのかな」なんて思った。

 

当時は日本から香港の金融現場も知らず日本と香港の法律も理解せず一発屋が日本からお客を連れてやって来て大失敗、でもってうちに駆け込むことの多さには呆れたものだ。こんな一発屋の言うことを大企業の社長がどうやったら信じるんだろうね?

 

てな感じであるがこっちは宮仕え、相手は当社の株主となればやるしかない。だもんで相手の希望している事は何なのか、そのお金は白いのか黒いのか、黒いのは白くしたいのか、日本に戻したいのか外国のままでいいのか、税務対策は日本国内でどのような事をやってるのか。

 

そういういろんな事を聞き込みつつ少しづつ相手の希望するスキームを描き同時にリスクの説明をする。スキームが出来上がれば後は実行するのみ。

 

スキームは相手の理解度に応じて作り分けるがどれだけ簡単なスキームにしても基礎知識がなければどうしようもないから、時には「私が作りたいのではなくあなたですよね?私を信用してもらえばここから先の手続きをしますが、信用出来ないならどうぞよそでやって下さい」と突き放す。

 

さて、腹をくくってもらえば後はパスポートとボールペンを持って朝から銀行を回り弁護士事務所に行き必要な書類にサインをしてもらい相手が希望する場合はPOAもその場で作成して非常時に備える。

 

大事なのは予め用意してもらった書類の内容確認(英語と広東語で書かれている)と落とし穴がないかチェックして正しい場所に署名すること、一通り終了する頃には一日経ってしまうが、この一回のみでその後は香港に渡航不要であるから一気に回る。

 

そんな生活を、今は時効であるから話せるが橘玲の「マネーロンダリング」を読んだ時はオークランドで生活を始めてずいぶん経ってた頃だから2010年頃か?時期はあまり記憶にないが「ほー、現場知ってるね、てかあの時代の現場にいた人だなあ」と懐かしく読んだ記憶がある。

 

あれ?タックスヘイブンの話を書くつもりがいつの間にかマネーロンダリングの話になってしまったぞ(苦笑)、ダメだな、書き始めると筆が、じゃなくてキーボードが止まらなくなった、はは。

 

タックスヘイブンの話は明日後日あたりに書きます(苦笑)。



tom_eastwind at 14:57│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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