2014年09月08日

浦島太郎

ホテルの部屋はカーテンしていて真っ暗なんだけど何故かピタッと6時に目が覚める。これは日本も同じで6時にぴたっと目が覚める、時差があるのに。まさにめざまし不要の体なのか(笑)。

 

これがオークランドだと午前3時と午前6時の2回がよくあるのだがオークランドの冬になると何故か午前7時に目が覚めるとなる。たぶんこれは僕の体が太陽に連動しているのだろう(笑笑)。

 

カーテンを開けて「スコールの合間のような黒雲の天気だな」と思いつつ朝食レストランに行くと綺麗な作りのレストランなのに今朝もあまり品の宜しくない大陸中国人団体。

 

僕はスタッフに案内された端っこの向かい合い二人がけ片側ソファ席に案内されて料理を取って席に戻ると、何と隣に座ってた厚かましそうなおばさんが自分の仲間に僕の席に座らせようとしている。

 

「エクスキューズミー!」とやるとおばさんちらっとこっち見て何も言わずおっさんを反対側に座らせてたが、大陸中国人のこのあたりの精神構造は何十年たっても変わらないな。

 

これが香港人ならこんな方法はせず、僕が席に戻りかけたら笑顔で話しかけて来て「ねえ悪いけど僕は友達と一緒に朝ごはん食べたいのにどうやらスタッフがその事忘れてあなたをそこの席に案内したようなんだ、大変申し訳ないのだけどあなたは一人で食事のようだし良ければ一つとなりが空いてることだし動いてもらっても良いだろうか?」と平気で嘘をつく(笑)。

 

大陸中国人は予約とか指定とかそういう観念が全くないのもあるし理解出来ないのか分かろうとしないのもある、そう言えば1990年代前半の話である。

 

僕が香港に住んでた頃、ある日系企業の社員30名ほどを連れて北京に行くことになった。これはドラゴン航空である。往路のフライトは普通に予約されて普通にグループに指定された席に座った。

 

ところが帰路の北京空港でチェックインしようとすると最初から印刷された搭乗券がある。名前が印刷された席を見るとバラバラ。おいおい俺たちグループだって予約見れば分かるよねって抗議しても全く聞く耳を持たない。ほんとに耳も傾けず無視するのだ。

 

頭に来たけど当時の中国だから仕方ない、搭乗券の座席だけ突合させてお客様ごとに適当にうまくばらして(何せ当時は名前と旅券を照合する事などなかった)搭乗口に行った。

 

さあ飛行機がいつもの如く遅れつつもやってきた。来ただけましかと思いつつ搭乗口にお客様と一緒に並び自分の座席に行くと、、、すでに他の中国人が座ってる。「あのさ、ここ俺の席なんだよね」というと「お前があっちに座ればいいだろ」である。

 

勿論ドンパチやったけど、機内整備員(スチュワーデスと呼べるレベルではない)も何故僕が怒り僕が何を根拠に主張しているのか全く分からない様子。この席は僕が買ったのだ、私人の権利なのでお前が座ることは出来んのだ!そう怒鳴ると彼らも血相を変えたが、ここが常に駆け引きで本気で機内整備員を怒らせると最悪退場、北京残留の可能性がある(苦笑)。

 

これ以上は怒らず座ってる社会主義者の端くれに指を突きつけて座席に置いてあった荷物を放り投げて追い出した。整備員にとっては問題が「整備」されれば良いのだから何もなかった顔でどっか行った。

 

勿論中国のような大国では常に競争でありちょっとでも隙間を空けると割り込まれ座席指定なんてあっても結局権力の強いものがすべて好き勝手にやってしまうのだから、取れる時に取るって国内の発想は分かる。

 

しかしこちらも権利がありそれは主張されねばならないってのはイエ〜リングが「権利の為の闘争」でもはっきりと主張している。権利は、持っているだけでは駄目なのだ、常に主張して守るのだ、日本国内なら「そんな事しなくても」って話だけど中国では通用しないのだ。

 

ちなみに同乗していた日本人のお客様には「よく言ったよね!」と褒め言葉なのか(苦笑)とにかく後日その会社からうちへの仕事の発注量が増えたのは事実だ(笑)

 

朝ご飯は美味しく頂き部屋に戻って夏用のジャケットにビジネスジーンズ(そんなのあるんか*笑)で弁護士事務所のあるセントラルに向かう。おお、このビルまさに香港の中で最も香港らしくてどまんなかのど真ん中にあり、古いけど重厚で懐かしいビルだ。

 

時間通りに到着してどうも受付の机の下で靴を脱いで半分立膝みたいにふんぞり返った女性に来意を英語で説明すると、いかにも香港人女性受付って顔で香港人女性らしい英語であごを上げて「待ってろ」。

 

この人、昭和の時代からこの受付に座ってるんじゃないのか(笑)などと思いつつ受付のソファに座ってると、この事務所は白人弁護士と香港人弁護士がしょっちゅう出入りしてて、中には若い白人弁護士がドアから出てきて僕に向かってHI!だけど、ぼくはあなたの客じゃないよって顔をしたら慌てて隣の会議室に飛び込んで大きな声でHI!と言ってた、はは、忙しい人ですな。

 

受付の女王は相当に地位が高いようで椅子から一切動かずに数名の女性秘書に次々と命令して水を持ってこさせたり会議室に案内させたりしている。そのうち一人の女性秘書が僕の前に来て広東語で「あの、待ち合わせに後数分あるしお水飲みます?」と質問したら受付の女王がそれを聴いてびしっと一言「英語!」。

 

彼女は突然雷に打たれたようびくっとして英語に切り替えたのだけど僕が「どっちでもいいですよ」と広東語で答えるとほっとしたような顔でまた広東語で「もう一人お見えですよね、お二人揃ってご案内します」。

 

今の時代になってもやはり広東語を話す日本人と言うのは不可解な存在なのだろう「俺たちの言葉を俺たちの言い回しで話せる日本人?」てな感じだ。

 

待ち合わせをした今回の企画パートナーと合流すると弁護士も出てきて11月に香港とシンガポールで移住セミナーを開催する事で話をまとめる。後はそれぞれが自分の作業に入ることになる。

 

昼時だったので隣にあるホテル(そう言えば全面改装してから一度も来てない事に気づく)で飲茶しようって事になりレストランのある25階に上がるとかるーく{満席}。あらま、けど隣のバーでランチ飲茶があるってのでセット飲茶を鉄観音茶で頂きつつ現在の日本や東南アジアについていろいろと話す。

 

日本の二極化は東南アジアに飛び出してまさに冒険を繰り返す少数の気合の入った連中と、地元に生れて地元に育ち地元に就職して都会を望まないマイルドヤンキーとに分かれている。これは本当に感じるなー。

 

とか話しつつぼくはふと外を見ると香港セントラルの一番有名な低い建物の上部が竹で囲われて工事中なのが見えた。その瞬間何故か「あ、あの建物、小さく見える」って感じた。子供の頃に観た大きな建物が何十年も経ってもう一回見ると、あれ?小さくてって、あの感じだ。

 

今は香港から広州に新幹線が走ってるって聴いてびっくりした。僕が住んでた1990年代初頭、香港のビジネスマンが深センや広州に入り込んでビジネスを仕掛けた。ところが今は大陸中国人が香港に乗り込んで来てるのだから、30年という単位で物事の変化を感じている。まさに浦島太郎だ(苦笑)。

 

世の中はまさに「諸行無常の響きあり」である。昨日の敗者が今日の勝者になり、それは日本も同様だ。彼と話しながら感じた、戦える、勝てるぞ。直観だ。

 

これで17日間にわたった出張仕事は終わり、今晩の飛行機でオークランドに戻る。9月はオークランドに腰を据えて溜まってる仕事を片付ける予定。あくまでも、予定。もしかしたらまたすぐ日本に飛ぶかも。

 

それにしても今回の出張は実り多かったなー、疲れたけど、一気に市場が広がったぞ。日本と東南アジアとニュージーランドを結びつけるラインが見えてきた(にこ!)。



tom_eastwind at 19:49│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔