2014年10月28日

これがおいらの「民衆主義」

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川内再稼働に市長も同意 「事故責任、国が負うべき」

 九州電力川内原発が立地する鹿児島県薩摩川内市の岩切秀雄市長は28日、市議会の臨時議会後の全員協議会で「国の責任の下で再稼働することを立地自治体として理解する」とし、再稼働に事実上同意を表明した。

 その後の記者会見で「日本の経済発展で国が責任を持って再稼働させられる原発は動かしてほしい」と強調。ただ将来的には廃炉が必要との認識も示し、「原発に依存していては日本が成り立たなくなる。次世代エネルギーの研究も進めないといけない」と語った。

 川内原発で重大事故が起きた際の責任には「一義的には電力事業者だが、最終的には国が負うべきだ」と述べた。

http://www.47news.jp/CN/201410/CN2014102801001960.html

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(他の記事ではインタビューで語ったことが少し違ってるので比較参考)、

「安全性を国がきちっと整理したと思う。早く結論を出すべきだと思っていた」。岩切秀雄・薩摩川内市長は28日午後に会見を開き、再稼働への同意理由を淡々と語った。」

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となっている。どっちにしても一義的には九州電力に、最終的には国に丸投げ、自分は間に立って同意しつつ何の責任も取らないって話ですね。

 

昨日書いたネタがまたも今日使えるとは、なんて素晴らしい民衆主義でしょ(笑)。一粒で何度も笑わせてくれる。それはこの記事が捏造でないことを前提に書いてるので、後になって朝日新聞みたいにハシゴ外さないでよって話であるが(苦笑)。」

 

どうやらフクシマに続いて鹿児島県川内市も「民主主義は自己責任で考えて判断して皆で決めるけど最後は自分で責任を取る」って言う民主主義の根幹を全く無視してまず原発再開ありきで既得権益団体が利益を得てロケットの第一弾は終了。その後原発が吹っ飛んで何かあれば「想定外」であり一義的に悪いのは九州電力、最終責任は政府、市議会は無責任って話だ。あ、そうか、次の金稼ぎで「被害者意識の会」でも作るつもりでいるのかもしれない。

 

そして市議会をそのように動かしたのは利害関係のある市民、または政治に興味を持たず何の活動も行動も思考も起こさなかった市民が責任を取ると言う事である。

 

こういう権利と義務の基本的な関係を理解していないから「民衆主義」として笑われるのだ。「七人の侍」に出てきた笠智衆のように、権力に頭を下げ何もなかったかのように目をつぶり、まるで「おらは関係ねーだ、おらはしらねーだ」と、砂に頭を突っ込む鳥のように恥を晒す。

 

民主主義を理解してない市議会。さらに、そのような馬鹿を選んだ一般市民のいうことは何時も同じで「だって、あたし一人が何か言ってもねー」で日本的民衆主義の一丁上がりだ。

 

やるのはお上、あたしたちゃ付いて行くけど責任は取らないよ、これこそまさに日本的民主主義、つまり民衆主義である。しかし世の中そんなに甘くない。実際に原発が吹っ飛んでみろ、そこに住めなくなるのは川内市民だ。責任取らないなんて逃げ道はないのだ。そこが分かっているのだろうか?

 

今の日本で原発が必要なのか?ほんとに国民同士の対話が必要だ。間に政治家とか電気会社入れるから振り回されるのだ。国民が正しい情報持ち冷静に対話をして原発の費用対効果、万が一の際の危険性、交通事故で亡くなるより少ない死傷者。様々な視点から検討する必要がある。その結果として市民が原発を受け入れればそれが自己責任だ。

 

後は万が一原発が吹っ飛んだ場合の避難場所確保など現実的な対策を、ここはプロである政府や自治体主導で作成すれば良い。つまり国家にとって大きな決定はまず国民全体の議論をするがその結論を実行するのが政治家と官僚組織、それこそが本来の民主主義の在り方である。そして国民も自分が判断したことなら自己責任となる。

 

フクシマの原発の被害だって主な原因は地震と津波である。何もなければ今も無事に稼働していただろう、見えない人々の命(例えば定期点検で掃除してた浮浪者)を奪いつつ、耐用年数が来て原子炉が自然崩壊するまで。たまたま今回は津波で原発の危険性が判明したわけで元々危険性の高い発電所だったのだ。

 

けどその危険性が例えば黒部ダムの真下で直下型地震が起きてダムが崩壊してみんながびっくり「へー、ほうかい?」なんて言ってる間にダム上部にいる人々や下流にいる人々を巻き込んで多数の死者を出すってのとどう違うのか?

 

昭和の昔はタコ部屋ってのがあって山の中で電気作りに一生懸命だった。いや何もタコが足を振り回して電気を作ってたわけではなく険しい山の斜面と流れる川を利用して何年もかけて水力発電ダムを作った時代、一夏を山の中で、時には雪の降る冬もたこつぼのような飯場で生活をしていた労働者がいた。彼らのおかげで電気がある。

 

更に電力の効率化を計ったのが原子力発電である。だから原子力だって最初は夢のエネルギーであったのだ。だから原子力そのものの技術を攻めるのは違うと思う。

 

ただ費用対効果を考えて自分なりに勉強して、自動車の方がたくさん人は死ぬけど自動車は必要で、原発はそんなにエネルギーが不要になったからあまり人は死なないけど止めようとか、とにかくなんでも良い、いまは自分の頭で考える時代なのだ。 



tom_eastwind at 12:30│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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