2014年10月30日

「光見えるまで」

最近ずっと繰り返して聴いてる曲がある。CCR”Long as I can see the light”だ。携帯電話に入れてここ一週間自宅にいる時は朝から晩まで聴いてる。ちなみに先週はニーナ・シモンだった。そういや先月ランチミーティングしてた時にもニーナ・シモンがかかってたな。

 

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルCreedence Clearwater Revival、略称CCR)は1970年代から聴いてるので僕にとってはもう40年近いのだがいつ聴いても心が洗われるようなドキドキ感がある。ビートルズと同じで本物の独創性と創造性だけが創り出せる音である。

 

”Long as I can see the light”は和訳では「光ある限り」と訳されているけど、僕には「光見えるまで」と読める。ちょっと解釈が違うな、光はそこにあるものではなく取りに行くものだ。

 

1840年代にシドニーからやってきた帆船がニュージーランドに向かっていた。銀を探す旅だったが嵐に巻き込まれてStuart島(NZの南端)の南東300km離れた小島に流れ着いた。南極に近い。

 

そこには水も肉(Seal)もあり食っていける。しかし5人の男に最も必要なのは希望であった。優秀な水夫であった彼らは壊れた船の部品を集めて小舟を作りセイルを立てて、たった2名で北北西300km離れたStuart島に向けてちっちゃなコンパスと羅針盤と少しの水で乗り出した。

 

途中に嵐に遭い小舟は何度も沈没しそうになったがついに5日目の朝、彼らはStuart島に辿り着いた。彼らは自分で希望の灯を点し自分で考えて行動した。そして命を勝ち取った。その後救助隊に同行して残った仲間を救助した。

 

多くの日本人は「どこかに希望、ないっすか?希望、ありませんかー?」って思ってる。希望って誰かが与えてくれるものだと思ってる。けど現実は違う。希望って、自分で自分の心に火を灯すことなのだ。

 

自分の中に常に燃える火を持つ。例え強風で一瞬消えそうになっても自分の中でまた火を強く熾す。人生における希望って、自分の心の中の火に「現実」って冷たい水で消されてもまた自分で火をつける、その繰り返しなのだ。

 

だから他人任せにしていては自分の人生の問題解決には繋がらず本当の力強い希望は自分の心に根付かない。

 

そう、希望は自分で作るものだ。どこかに転がってるものじゃない。そういう、道端に転がってるものは自分の身に付いてないから自分に転がり込んで来たらばかみたいに喜ぶがそれは宝くじのような幸運であり、そんなもんはある時突然どこかに去って、いなくなる。

 

その時あなたの心は恐怖で閉ざされる。心の周りがすべて恐怖になり自分で考えることが出来なくなり今まで自分で描いてた希望と思ってたものが消滅した事に気づく。何も残ってないことに気付かされる。そう、何故ならそれは希望ではなく他人頼りだけでしかない自分の逃げだったからだ。

 

これからどうするのか?答は出ない。だって自分が今まで答を探さず逃げまくってずる賢く立ち振る舞ってどうにかなるって思ってたんだから。

 

離れ小島はStuart島から南南東に約300km離れた場所にある。流れ着いた人々は小島に残っている限り水と食料はある。それでも命を危険にさらして大海に漕ぎだした。死の恐怖に耐えつつ希望を捨てずに戦った。

 

人生は一回こっきりだ。長くだらだらと夢も希望もない生活を続けるよりも希望の光を持って力強く生きることだ。このドキュメンタリー番組を見ながらそう思った。

 



tom_eastwind at 16:48│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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