2014年11月17日

やったね沖縄!

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沖縄県知事選が16日、投開票され、前那覇市長の翁長雄志(おながたけし)氏(64)が現職の仲井真弘多(なかいまひろかず)氏(75)=自民、次世代推薦=ら3氏を破り、初当選を決めた。政府の全面支援を受けて「普天間問題を終わらせる」と訴えた仲井真氏。昨年末の埋め立て承認に対する県民の反発は大きかった。

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やったね沖縄!これでまた4年間、補助金でドカーンと政府からの補償金が保証されたようなものだ。

 

沖縄で起こっていることを表面的に理解してはいけない。民主団体が米軍基地に反対して普天間基地を辺野古も反対して日本政府は辺野古移転を進めているというのは単なる「出来レース」の表面である。

 

根底にあるのは日本における外交政策や軍事政策と、如何に沖縄が「与党野党に移転賛成知事と反対知事」が交代交代に日本中央政府を振り回して日本中で最も多くの補償金や特区申請許可を得るかである。

 

米軍基地は沖縄にとって最も有効な武器であり「米軍反対出てけ!」と沖縄与党でも野党でもいい、またはあふぉーな「あたくしって何って立派!」と思い込んでる連中が騒いでもいい、騒げば騒ぐほど金がわき出てくるからだ。

 

官僚が日本外交の基本政策としているのは対米従属であり米軍に出て行ってもらっては困るので沖縄県民が「出てけー!」とやると「おいおい、ちょっとまってくれ、米軍が出て行くと僕らが独立した軍隊を保つ必要がある、ね、金あげるから黙っててよー」となる。

 

もちろんそのカネは税金なので官僚の腹は全く痛まないし遣う先は沖縄那覇空港の近代化、モノレール建設、南部トンネル等などなので政府の息のかかった本土の建設会社と沖縄地元の國場組(地元政界や東京にも国会議員を送り込む完全な政治会社)のジョイントベンチャーで儲かる仕組みが出来上がっている。

 

沖縄を使って政府と官僚と沖縄が三者三様で時には組んだり時にはガチで喧嘩したりするが、これは1980年代から続くそれぞれの思惑による利益分配である。

 

しかし沖縄の本当の凄さはここではない。小泉元首相が使って有名になった諺の米百俵精神である。いま沖縄が与野党一致団結してやろうとしているのは沖縄の自立、更にその先にあるのは将来の沖縄独立である。

 

その為に必要な費用をいかにして日本政府から引き出すか、インフラ整備するか、内部で争うのではなく沖縄自立のために中央政府と戦う、その為の駆け引きが今行われているのだ。

 

うちなんちゅー(琉球民族)が歴史上長い間やまとんちゅー(日本民族)に抑圧されたが元々沖縄は日本とは別の国であり古くは中国と日本、両国に朝貢していた。

 

日中両国とも海の向こうにある離れ小島で貿易を行っている琉球を直接支配する必要もない、彼らが自治してくれれば良い。両国にとって大事なのは貿易の中間港として何事もなく過ごしてくれる事だった。

 

今から1千年前、世界の中心は中国でありアメリカなど存在もせず欧州が野蛮人の駆け巡る時代だった頃、日本が中国との取引を行うのは全て日本海だった。

 

貿易のルートは北はシベリアから千島でアザラシの皮、そして北海道あたりで昆布、本州に来ると十三湊でフカヒレやアワビを積み込み新潟、富山、鳥取、九州では博多港が貿易の中心となり琉球経由で福建省経由で中国北部へ、または南にくだり今の香港あたりで海に繋がる珠江を遡り広州中国南部の広州にフカヒレやアワビを届けた。

 

沖縄の人々は現在の日本に多く住む大陸から渡来して弥生時代を経験した日本民族とは違う人種である。アイヌと同様で今から約1万25百年くらい前にムー大陸が地殻変動で沈んだ際に太平洋の小島に散らばった末裔である。

 

まあそんな事はどうでもよい、ポイントは日本民族の支配層は沖縄の琉球民族を日本民族以下と位置づけて「お前らを日本人扱いしてやるからおまえらの言葉の使用禁止、名前も金城はカナグスクではなくカネシロにしろと苗字改姓を行い、実は日本が韓国に強いたよりも厳しい態度で沖縄に接して来た歴史がある。

 

1900年代初頭の韓国や中国は日本より文明開化が遅れていたとは言え当時の日本からすれば同族であり同化して救うべき民族と考えることも出来た。福岡で生まれた頭山満などは中国からの政治亡命者を受け入れ匿い武器と教育を与えて中国に送り返した。あれ?見方を変えれば今のIS、イスラム国と同じテロリスト養成塾だったかも(苦笑)。

 

孫文、魯迅などは日本で学び中国の近代化を図った。韓国では優秀な若者は旧日本帝国軍に入り優秀な成績で卒業して戦った、今の朴大統領のお父さんは帝国陸軍軍人として満州で満洲国軍将校として戦った。

 

ところが沖縄。ここはあくまでも半島や大陸よりも低い位置に置かれていた。だからこそ同化教育を行いつつも「おきなわ」として差別し顔つきの違いをネタにしてからかい、戦争になれば焦土とすることも厭わなかった。本土、ひいては東京の皇居だけ守れば良い、そういう感覚で沖縄は扱われた。捨て駒である。

 

戦後沖縄は米国に接収された。USドルが使用され左ハンドルの車が走り、ベトナム戦争では沖縄からB52爆撃機が発進して北ベトナムに爆弾を落としまくった。その間日本政府は黙っていた。

 

佐藤栄作内閣の時に沖縄地元民の強い希望で日本に返還されたが、受け入れた日本の対応は実に冷たかった。米百俵さえ送らず本土の利益だけを追求した。

 

沖縄の人々に対する差別は変わらず、例えば沖縄には基地ビジネス以外の仕事がないので若者が高校を卒業すると琉球海運の大型フェリーに乗って大阪の工場に集団就職した。

 

社員寮で生活する若者は大阪の薄味の味噌汁に馴染めずついテーブルの上に置いてあるマーガリンを味噌汁に入れて飲む。食べ終わったお椀を洗うおばさんは汚そうな声で「また沖縄がこんなことしているー」と文句を言った。汚い沖縄人のイメージが定着した。今年亡くなったやしきたかじんがこの世代だ。

 

沖縄は日本に返還されたが沖縄の位置づけは戦前と何も変わらなかった。日本本土がやりたくない米軍基地は沖縄に集中させる、核爆弾は本土ではなく沖縄に保持させる、つまりここでも自分の体だけは綺麗にしたいけど米軍の核の傘が欲しい日本中央政府によって贖罪羊にされたのである。

 

沖縄の人々は返還当初は喜んでいたが実際に沖縄海洋博が行われその利益すべてが本土の建設会社に奪われ沖縄に残ったのは58号線沿いの廃墟であったことを理解すると、そこから考え方が変わった。

 

「彼らやまとんちゅーは奪うだけしか考えてない、我々は自分の生活を自分で守るしかない」

 

1980年代、古い那覇空港で本土からの観光客が北部で買ったパイナップルや酒税法でウイスキーを安く買えたのでおみやげに買ったお客のウイスキーを買い物袋に詰めて、ターミナルの中に入れないのでジリジリと焼けるような空港の入り口で買い物袋を並べて本土様の観光客を到着を待ちつつ考えた。

 

あれ?俺たちって本土返還されたけど、何かいいことあった?

 

そして沖縄の人々は考え始めた。俺達の中で与党野党って喧嘩してる場合か?うちなんちゅーが一致団結してヤマトンチュ−と対決すべきじゃないか?

 

そして1990年代になりやっと沖縄はひとつになった。2000年代になり基地を利用して本土から金を引っ張ってくる方法を分かった。一昨年だったか、米国の日本担当者が「沖縄の連中はタカリをやってる」ってのはまさにその通り!あんたの言うとおりです、ぼくはあのタカリ発言事件が笑えた。ほんとの事を言ったら首が飛んだ、ばからしい話だ(笑)。

 

今回の選挙で辺野古移設反対派が勝った。では以前の知事である知事は?彼も辺野古反対だったが途中で賛成に移り多くの補償金を勝ち取った。そして今回の知事選では前知事が負けて新しい知事がまた辺野古移設反対であるから、今まで払ったカネは前知事とともに消えた。

 

新しい知事が辺野古賛成になるまでまた中央政府は金を払い続け脅し続けるだろう、そして新しい知事が辺野古賛成になるとまた選挙で反対派が勝つ、そんな事の繰り返しをしながら沖縄は強くなっていく。その先にあるのは、、、、やっぱり独立じゃないかな。21世紀、ほんとに国境、変わるだろうな。



tom_eastwind at 06:35│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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