2014年12月23日

今年最後の日本出張開始

4時に起きて空港に向かう。キャセイ航空は夏場の運交代制は12便となる。朝9時丁度にAucklandを出て15:25に香港に着く。この便だと香港発16:20の羽田行きに間に合い21:05に羽田空港に到着する。

 

香港の人口は600万人でありこんなちっちゃな空港からキャセイ航空が12便往復就航(1日あたりの輸送量は約300人x2機x往復=1200人)しているのに人口12千万人の日本はあいも変わらず成田から11往復便(600人)。日本と香港の人口比で考えれば計算不能であるが海外生活能力からすれば計算可能である。

 

1980年代に香港の中国返還が決定してから当時約600万人だった香港人の1割にあたる60万人の「移住出来るだけの資金と能力」をもった香港人が米国、カナダ、英国、オーストラリア、そして一番最後の選択肢、つまり消去法的選択としてニュージーランドに移住した(苦笑)。

 

それでも当時移民して来た人々の数は6万人を超すわけでビジネスマインド旺盛な香港人がAucklandにやって来て「魔法の鍋」と呼ばれる中華料理のテイクアウェイ、フードコートでの出店側常連になったのである。

 

元々英国植民地でもあり移住する(出来る)レベルの人々は当然ネイティブとしての広東語、外来語としての英語を使う、更には北京語も話すトリリンガルも極普通であった。更に曾祖父さんの時代から英国式教育にも慣れているから西洋式ビジネスにも抵抗がない。思考回路が一致しているのだ。最近大挙して大陸中国からやって来る「いなご」と呼ばれる大陸中国人とは全く人種が異なる。

 

移住するからにはある程度の資金もあるし近接遭遇戦には強い。つまり大雑把に「いけるな」と思ったら細かい計画などは作らずに相手国に飛び込む。現地で「予測出来るトラブル」等はトラブルではない。問題は「今は存在してない予測不能のトラブル」であるが、何せ孫氏や孟子に鍛えられてるからこういう時の即戦力としての香港人は強い。

 

どのような状況にも対応する香港人の子供が1980年代以降Aucklandで育ちオークランド大学やAuckland工科大学を卒業して医者になったり税理士や法律家、SEになったりしてこの国に生活の根っこを張って、自分に比べれば訛りの強い英語を話す父親に代わって電話を取ったり郵便配達人と受け渡しをしたりして次第に香港の生活からニュージーランドの生活に適応していく。

 

時々香港のテレビ番組主催で海外に住む香港人の末裔たちの美人コンテストがあるが、こんな時はニュージーランドで生まれ育って無茶苦茶にポジティブな教育を受けた若い連中は元気が良い、あたしが世界で一番よ!みたいなANZの店頭広告のような“やっっほー印”でコンテストに挑む。

 

子供たちの英語は完璧ではあるが親の話す広東語を完璧に覚えられるわけではない。更に言えば書き言葉、つまり漢字になるときちんと意識して学んでない子供はほぼお手上げである。

 

親の生活を意識しつつ、近接遭遇戦に強く、広東語に弱くても美人コンテストには喜んで参加する明るい「バナナ!」の誕生である。

 

今読んでる本は山崎豊子の「二つの祖国」だ。戦前に米国のハワイやロサンジェルスに移住した日本人やその子供たちの生活を描いている。442部隊も出てくる。

 

今年最後の日本出張で読む本がこれか・・・、巡り合わせの面白さとでも言うべきか。

 

親はまだいいよ、自分の意志で移住したんだから。けど子供はそういうわけではない。肌の色、言葉、帰属心、どこの国で住もうが、移民の子供はどうしてもそういう事を意識しつつ強くなるしかない。二つの祖国にはさまれて目の前にある現実に立ち向かって考えて答を出すしかないからなのだ。

 

真夏のオークランド空港で襟付きのジャンパー着てる僕はあまり周囲の雰囲気に合ってないが、仕方ない。今から行く北半球は気温10度とか寒いのだから自己防衛は必要だ。

 

行った先で何が起こるか分からない。何も起こらないかもしれない。けど、何が起こっても絶対に負けない、それだけの体力と知力は移民に必要である。よっしゃ、9時ちょうどのキャセイ航空118便に乗り込む。



tom_eastwind at 11:52│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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