2014年12月28日

神田川

今日は東京駅に行く。定点観測とその後の東京駅近くでの仕事。元郵便局が完工して営業開始してよくこなれた状態のKITTE、東京ステーションホテル、そして東京駅南口(つまり丸の内の入り口)の素晴らしいドーム型天井(ニューヨークのグランドセントラルと良く似ている)、何かお上り気分であちこちを見て回る。

 

それにしてもこの高層建築の数といい質と言い、これが日本が失われた20年に作られてたのかと思うとぞっとする。この建物群を見上げていると一体何が失われた20年だ?と思う。

 

失われた20年、それは日本の地方に住む多くの日本人にのみ適用されるものであり東京都心に住み政府や三菱や三井の本拠地で生活をして仕事をする東京のエリートたちには全く関係ないのではないか。

 

そのような立派なビル地下の郷土名物料理フロアに行くと鹿児島名物や沖縄名物料理、比内地鶏料理店などが軒を並べ家族連れが美味しそうに地元料理を楽しんでいる。

 

通路の反対側の反対側のコンビニに行くと通路の一番端っこの隠れるような壁沿いの硬いベンチに少し疲れた様子のちょっとくたびれた服を着た多くの人がぎゅうぎゅうに座りつつすぐ前のコンビニで買ったパンやおにぎりを食べている。

 

東京駅線路下の店はあいも変わらず古ぼけててレトロと言うより手書きの献立と雰囲気は昭和の時代に流行った「故郷酒場」を明らかに彷彿させる。

 

そうだろう、これだけの工事を何年もかけて作ったのだ、現場で夏は汗にまみれ冬は寒さに凍える下請けや孫受け会社とその労働者家族も東京に住んでいるのだ。しかし彼らは東京に住んでいても扱いはあくまでも「不可視層」なんだろうな。

 

今この東京駅丸の内の地下街の主役は明るく素敵なレストランでベビーカーを引きつつ美味しそうなものを食べている若い家族たち(何故か両親も子供も上品で奇麗)が主役であり彼らの視野に入らないのが主役の為のインフラ整備を雨の日も雪の日も行い道路工事やビル建設で働いている影の人々である。ここにはヤンキーさえいない・・・。

 

昭和の時代までは東北の人々にとって東京の入り口は上野駅であった。啄木の「ふるさとの訛り懐かし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」のは上野駅だ。NHKの新日本紀行では東北から出稼ぎに来る人々の姿がよく撮られていた。ところが東北新幹線が東京駅まで乗り込むようになるとその様相が変貌した。東京駅がいつの間にか東北から来た人々にとっての入り口になったのだ。

 

そして彼らは東北の地元で得られない仕事を得るために東京に出て来て派遣でも孫受けでもとにかく仕事があるだけ良い、東京の安いアパートを見つけて数人で住み様々な現場で働き、生まれ故郷で得られない現金を得た。

 

午後2時からアポまでの午後4時まで約2時間、コートもなしで東京駅界隈、つまり三菱村を歩きまわる。今年最後の東京駅定点観測であるが非常に学ぶものがあり良かった。革靴だったので足は痛いが運動にもなった(苦笑)。

 

安部首相の経済政策の一つに地方創生というのがある。地方の活性化の為に東京に集中しすぎた人々を地方に送り新しい産業を作り?新しいビジネスを起業し?とにかく政府に頼るな自分で頑張れである。

 

本音はバブル時代に東京に来て大企業で社内失業している連中は田舎に戻って田んぼでも耕して食料自給率を上げて冬は雪かき夏は草刈り普段は老人介護でもやってろだろう。これが地方創生だ。

 

東京の仕事はすでに「モノを発想して創りだす超先進的な街」になった。製造業も工場もバックオフィスも不要なのだ。想像したモノは世界のどこかの工場で作れば良い、経理業務は海外に外注だ、この街には本当のエリートだけが住んでいれば良い。

 

昭和の時代であればバックオフィス業務があり少々使えないバカでも一連の作業に必要であった。しかし21世紀の現在、そのような仕事はすべてコンピューターとネットを通じた外国への外注に切り替わり、僕がいつも書くことだが学校出たての普通の学生に残された仕事はコンビニか道路工事という、そこにいなければ出来ない仕事でしかない。

 

優秀でおしょうゆ顔で立派な親を持つ東京生まれの学生は自然と彼らだけで固まりいつもホームパーティで団結力を強めて丸の内界隈で高給を取りお洒落なレストランに行きお互いに助けあう。そう、今の東京にはそういうエリート階級でカネとコネのある人間しか必要ないのだ。

 

平凡だけどカネとコネのある若者が一流企業に就職出来る。優秀だけど地方出身のカネもコネもない若者はどう頑張っても階段の最初の一段目に足をかける機会がないのだ。何故ならカネとコネが持つ価値の方が優秀さよりも上回り始めたのだ。

 

東京と言う街の夜景は綺麗である。特に今のような年末のイルミネーションは素晴らしい。だって世界で戦えるレベルのデザイナーやプロデューサーが企画しているのだから。

 

定点観測後、丸の内界隈の仕事を終わらせて恵比寿に帰る頃には木々を彩るイルミネーション。素晴らしいな、綺麗だな、これが東京一極集中なんだな、けども政府からすればもう東京に集中してもらわなくても結構、何だか現場を歩きながら政府の強いメッセージを感じた。

 

それでも東京は魅力ある街であり続ける。1970年代、多くの若者が夢を見てフォークギター一本抱えて上京した。その中に「かぐや姫」というフォークソンググループがいた。彼らが作った歌の一つに「神田川」がある。そしてこれからもいつの時代も東京は魅力的であり続けるのだろう。



tom_eastwind at 17:18│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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