2015年02月09日

二極化を生きる

5時起床。シンガポール航空とキャセイ航空は羽田発着便が12便ある。彼らは国交省との「お付き合い」なのかまだ成田発着便をかかえているが本音ではすべて羽田に集中させたいのではないか。

 

6時にホテルを出発して空の雲の低さにびっくり。これって昨晩の夢と同じだ。夢の中では空がすんごく低くなってそれを支えてる柱がどんどん低くなってて「うおー、大変だー」って周りで話す声が聴こえてた。

 

羽田空港国際線は使い勝手がよく成田北関東国際空港のように地産地消の野菜直売場もないのですっきりしてて良い。レストラン街はEDO(江戸)をイメージさせた作りで小洒落ている。

 

そう言えば江戸って運河の街でもある。千葉あたりから小舟が野菜積んで江戸屋敷にお届けに上がるのも船、帰りにお屋敷のゴミを引き取って千葉の田舎で捨てるのも船、今の東京からは想像もつかない。

 

偶然だけど随分昔に恵比寿の書店で江戸の古図のコピーを買ってそれを今も会社の壁に貼って観てるのだけど江戸が出来た頃の地図と江戸の終わりの頃の地図があり両方を見比べると江戸時代から東京湾に向かって埋め立てをして土地を広げそのすべての区画に掘割があって運河が形成されていたのがよく分かる。

 

佃島など元々徳川の時代に当時繁盛していた大阪から職人を連れてやって来て名前もない砂州の上に作った島であり職人の住んでいた佃という地名をそのまま持ってきたが現在では佃と言えば東京である。

 

それにしても江戸時代に生きた人々は実に豊かな生活を送っていたな。ウォシュレットもエアコンもなくたって生活の知恵で楽しく生きていた。もちろん個人的には苦労する時もあっただろうがその時には回りが助けてくれた。現代の物質社会とは違った「長屋の心のつながり」があった。皆がそれなりに出来る事を提供して地域の助け合いがあった。

 

江戸時代もある意味一部の武士とそれ以外の人々って二極化していたが人々はそれを受け入れて生活をしていた。安全、治安、安心、食べ物、医療、教育、名前は何でも良い、要するに二極化したって生きていける土壌があった。

 

空港ロビーではテレビニュースで格差とISISの問題についてやってるが、どちらにも共通するのが世の中の二極化である。二極化を悪いと言うならコンピューターをぶっ壊してインターネットを禁止すれば良い。

 

そしたら過去のように無駄なバックオフィスや事務作業や資料整理やコピーお茶くみの仕事が再発する。お茶くみ、あ、これは今も同様だな。どうしてもくせでコピーと来ればお茶くみと答える昭和脳である(苦笑)。

 

けど現実コンピューターとインターネットを今の時代になくす事は不可能であり、言葉を変えて言えば車社会で交通事故死が発生したから自動車を廃止しろって言うようなものだ。時代の進化に合わせて発生した二極化、これを積極的に受け入れる、その覚悟がぼくらには必要なのだ。

 

世の中ってのは想像と創造で進化していくものである。その結果として、例えば工場で機械回していればそのうち油かすが出るように世の中が進化していけば自然と不要なものが出てくる。不要なものがバックオフィスや書類整理である。その仕事がなくなればビジネス社会は自然と変化していく。

 

だから二極化を「悪い事」と捉えずに世の中はそうなっていくのだから自分を変化させようと思う気持ちが大事だ。例えば二極化と言っても農業には山ほど改革の余地があるではないか。

 

何も思いつかないなら農業すれば良い。サラリーマンしようと思うから二極化とか仕事がないって文句言うだけだ、発想変えれば世の中には多くの仕事がある。都会で仕事がないなら田舎に行って農業すれば良い。休耕田を耕して新しい食物を作れば良い、それが創造だ。

 

21世紀になったのに20世紀のようなコピー取りとか茶坊主とか事務仕事をするのが偉いのか?一生懸命勉強して大学に入るがその目的が良い会社に就職すること?時代が違うんじゃねーか?

 

人間に本来与えられた仕事は創造である。この世をどのように良くしていくか、その為に会社が存在する。会社とは個人が出来ないことを集団でつくり上げる創造装置であるべきだ。だから本来会社に入るとはその会社の理念に納得して自分の望む創造を叶える為の行為である。

 

それがいつの間にか手段と目的が逆転して良い会社に入ること=高い給料貰うことが目的になっている。けど人ってカネのために生きているのか?もしそうなったらカネの奴隷になるぞ。カネは手段、それが目的になったら寂しい人生になるぞ。そんな人間をたくさん見てきたからわかるけど、それじゃ人間として本末転倒ではないか。

 

世の中は常に変化する。それが今の自分にとって都合が良いか悪いかだけで変化を判断してはダメだ。変化が世の中に受け入れられるのはそれが世の中に必要だからだ。ならば必要なのは世の中の変化に合わせて自分が変化することである。

 

変化を嫌い消極的な心の持ち方。どうしようもないと諦める心。それが自分を腐らせる。変化を恐れるのではなく、二極化を恐れるのではなく二極化を受け入れて自分がその中でどうやって生きていくかを考えるべきだ。

 

人は想像して創造するために生まれている。この事を愚直に信じることだ。理由などない、生きているとは無条件に自分を信じて出来ると信じて自分に与えられた天命を受け入れてそれを最大限に活かすのだ。何となく生きているから生きているというのは最低の生き方だ。

 

人間は創造する生き物である。だからこそ毎日を積極的に生きる必要がある。だらだらと、生きているから生きている?あなたの無駄に過ごした一日は他の誰かにとってかけがえのない一日なのだ。

 

二極化を否定するのではなくこれを受け入れて自分にとってより良い社会をどう創るか。だらだらでなく生きることに意味を持てば必ずそこに答はある。

 



tom_eastwind at 18:38│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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