2015年03月29日

リー・クワンユー逝く

僕の尊敬するアジアのリーダーの一人であるリー・クワンユー元首相が亡くなった。

 

ぼくはクイーンズタウンに住んでいた1980年代後半に一度だけ見かけた事がある。彼がニュージーランドを訪れた際についでにって感じで観光に来たのだ。(そう言えばクリントン大統領も現役時代にクイーンズタウンに遊びに来てた)

 

クイーンズタウンでの運転手が僕の仕事仲間だったためにいろんなこぼれ話を聴かせてくれたものだ。

 

その後1990年代に香港に住んでた時シンガポールに出張に行くと何だかすごい違和感があったのを覚えている。街中が賑やかで人も優しいのだが何か違う・・・。

 

ウインドサーフィンをしようと思ってレンタルを探して東海岸に行った時のことだ。道具を借りてさあ出ようとすると店員から「あ、ここから右には行かないでね」と言われた。何でだろう?サメでも出るのか?サメに境界線はないよね、遠くに浮かぶ輸送船まで行くわけじゃないしなー。

 

そこで「どうして?」って聴くと最初は「うん、決まってるから」何で決まってるの?と聴くと二回目は質問の意味が分からないような顔で「だって、決まってるんだよ?」と、まるで決まってることに疑問を持つ僕の方がおかしいって顔になった。

 

当時の香港は中国返還も決まっていたが何でも自由だった。誰が何をしてもよい。例えばネイザンロードを一本奥に入った路地の道端にちっちゃなパイプベッドを置いて3人が交代に寝ては仕事に行っても構わない。ダイアモンドヒルの貧民窟で近くの電柱から電気を引いてきてトタン屋根の下で地面がむき出しの家に住んでもよい。誰も何にも干渉しないしすべての行動にはその人なりの理由がある。

 

だから「決まってるから」で終わることなど何もない。最後の総督となったパッテン総督の可愛がっている犬が一時行方不明になった時など誰もが普通の顔で「食われたんじゃねーか、ウマそうな顔してるじゃねーか」だった(笑)。

 

両方の国を見比べてみて何が違うのか?その時に感じたのは「シンガポールって結局完璧な独裁国家なんだ」ってことだ。その後シンガポールが「明るい北朝鮮」と呼ばれるようになり21世紀に入り年に数回シンガポールを訪問することになったが、地元華人、それもリー・クワンユーに近ければ近いほど何もせずにカネだけ手に入れる仕組みを見た時も「おー、よく出来た収奪システムだー」と思ったものだ。

 

なんつか、いやらしさがない収奪なのだ。だからなんつかそれほど心理的抵抗がない。人々も頑張れば高い収入を得られる。けどそれはあくまでもリー・クワンユーの作った仕組みの上でしか認められない。根本的に自由がないのである。

 

けれど「自由が何だ?自由が飯をくれるのか?自由が女をくれるのか?自由が何をしてくれるんだ?自由なんて犬に食わせてろ、おれは自由なんて要らないい、政府の言うことを黙って聴いて飯を食って女を見つけるんだ」と開き直られたらどうしようもない。

 

リー・クワンユーは彼の出来る限りの能力を使ってシンガポール国民に食い物を与え結婚出来て子供が安心して生活出来る社会を作った。それ以上に何が欲しい?

 

僕は個人的にはシンガポールに住めない。自由は僕にとって食い物より大事なのだ、食い物は自己責任で見つける、だから政府は俺の生活に干渉するな、である。

 

けれど考え方の違いはあるがリー・クワンユー元首相の栄誉は讃えたい。彼は戦後アジアの最高の指導者の一人であった。

 



tom_eastwind at 15:47│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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