2015年06月03日

里芋

最近は家族が日本とニュージーランドを行き来しているため時に僕がオークランド単身になる期間もある。そこで僕がオークランド一人暮らしの時には冷蔵庫や冷凍庫に料理を作り置きしてもらってる。

 

今日も連休明け二日目だが一体何十通メール送受信してるのか、投資家ビザ向け1300億円の商業不動産物件ファンドの話から個人資産10億円の将来相続プラン、レストラン買収の話からサルベージプラン作り、税務署や税理士の無理難題処理、月刊情報誌の広告取り営業(笑)や個人貸付資金の回収案件、マイナンバー制度の適用対象確認(これ大事、相続に大きな影響あります)まで様々なメールが来てる(笑)。

 

ほんとに何でも屋である。実に幅広いがどれもお客さまにとっては大事な話であり誰に聴けばよいか分からないしどう聴いて良いかも分からない。だからこちらは何を聴かれているのか、相手が話している事ではなく話したい事を読み取る必要があるので一切気が抜けない。

 

ただメールなのですべて記録に残り後で確認出来るのでこれは良い。世間では電話会議が一般的になりつつあるが僕の仕事は3年単位の継続性のある仕事なので記録に残らない仕事は出来ない。

 

途中で社内会議を3本ほど入れながら一気に午後3時まで仕事して家に帰る頃には外はすんげー大雨。一気に気温が下がったので風呂に入ってからさて仕事再開だ。

 

そうは言っても今日もなにか食わなくちゃいけない、そこで冷蔵庫から作り置きしてもらってた里芋を取り出し別口で作り置きしてもらってた豚肉と一緒にレンジでチンすると、これが合う。豚肉なのにうまーである(自己笑)。

 

今日はメール返す量が半端ないので毎日6時に観ているTVONEニュースのスイッチは入れずにソファに座ってパソコンに意識集中、時々里芋豚肉食いながら屋根を叩く雨音、パソコンから流れる「ダンスはうまく踊れない」を聴いてると、何だか1970年代にタイムスリップしている自分に気づく。

 

ははあ、これは里芋が入口だな。1970年代の日本だー。わお!そしてそのまま意識が飛んでいった。

 

佐藤春夫  秋刀魚の歌 

 

あはれ

秋風よ

情〔こころ〕あらば伝へてよ

――男ありて

今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり

さんまを食〔くら〕ひて

思ひにふける と。

 

さんま、さんま

そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて

さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。

そのならひをあやしみてなつかしみて女は

いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。

あはれ、人に捨てられんとする人妻と

妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、

愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は

小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ

父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。

 

あはれ

秋風よ

汝〔なれ〕こそは見つらめ

世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。

いかに

秋風よ

いとせめて

証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。

 

あはれ

秋風よ

情あらば伝へてよ、

夫を失はざりし妻と

父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ

――男ありて

今日の夕餉に ひとり

さんまを食ひて

涙をながす と。

 

さんま、さんま

さんま苦いか塩つぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて

さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。

 

佐藤春夫の詩は勿論1970年代ではなくもっと古い。ただ、福岡で一人暮らししてた頃にアパートの部屋で向かいの酒屋で買ったビールとおつまみ食いながら佐藤春夫とか高村光太郎とか読んでた時代を思い出した。

 

世の中はまだ酒屋が街角にたくさんあり、けど掛け売りも次第になくなり初代のおやじも死に子どもが一生懸命「店」を残すためにセブン-イレブンなどのコンビニに業態変換をしていた時代だった。

 

当時のコンビニは酒屋の延長だったので酒は売っていたがおでんはなかった。一般的な生活用品ばかりでお弁当もない、つまり現在のコンビニの売れ筋の殆どは当時存在しなかった。

 

酒屋の兄ちゃんは気の善い人でコンビニになって嬉しそうだったけど3年位で店を畳んでしまった、やはりお人好しの二代目で全く新しい業態であるコンビニは難しかったのだろう。

 

佐藤春夫の「秋刀魚の歌」は僕の大好きな詩の1つである。室生犀星(故郷は遠くにありて想うもの)や藤村(私は穢多である!)のような重みはない、けど身近な生活実感という意味では啄木と同様だ。佐藤春夫と啄木はどちらも同じ流れでありながら比較のしようがない部分がある。

 

これをどう表現すればよいのか?佐藤春夫の方が生活が楽だった?啄木の方が要領悪かった?

 

***

はたらけど

はたらけど猶わが生活楽にならざり

ぢっと手を見る

***

 

いつの時代も生き残るって大変な事なんだなー。メールを送りつつ里芋と豚肉を食いながら古い音楽を聴きつつ1970年代の福岡を思い出した。



tom_eastwind at 12:46│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔