2015年06月07日

分割統治

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2.5%引き下げられた年金減額の措置を違憲だとして、全国の年金受給者が国の決定取り消しを求めた訴訟に波紋が広がっている。

   原告によると、生活の苦しい受給者から「年寄りは死ねと言うのか」という声が届いているというが、今の高齢者よりも負担率がはるかに高い現役世代からは「若者に死ねっていうんだな」と反発は大きい。

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分割統治は英国の得意とする政略だ。それは日本も同様で江戸時代から国民を藩制度を作り国境で横分割して士農工商穢多非人として縦分割した。こうやることで国民を細かく分断して人口数では圧倒的に少ないほんの一握りである武士の支配制度を維持した。

 

分割統治は「小を持って大を制す」である。国民という巨大な「大」を分解させてちっちゃくして支配層である少人数の武器を持つ武士が農民を支配し続けた。

 

それは現代でも引き継がれており国民の分断統治は日本政府と官僚のDNAの中に浸透している。何かあれば各県ごとに争わせる。沖縄の基地問題を沖縄だけに押し付けて原発は過疎地に作り電気だけは都会が頂く事で都会と田舎の差別。

 

米国には守ってもらいたいけど自分の街に基地は嫌だ、電気は必要だけど自分の街に原発は要らない、フクシマの放射線瓦礫は俺たちの町には不要である、政府は地域のそういうワガママを許すことでそれぞれの地域が「自分たちは国家の主権者である」ことを忘れさせて本来なら国民的に議論すべき事を「地域は都合の良い時は口を拭って知らん振りする」に落としこむ。

 

うまい技だ。本来なら主権者である国民が議論すべき事を都道府県民に分割させている。

 

そして所得層による分断。これはすでに何度も取り上げた話だが現在富裕層と呼ばれる人たちは圧倒的少人数であり現在の選挙制度では誰でも一票であるから多くの人びとが富裕層に対する増税をすれば一般民は溜飲がおりて選挙でも自民党が勝てる。

 

富裕層はそれに対して抵抗する手段がない。納税額に応じた投票数であれば話は違うのだろうが現在の民主主義制度は誰にも一票を与えている。納税してなくても一票ある、仕事してなくても一票ある、多くの主権者にとってこの民主主義はタダ乗りな要素が多いから心地よい。

 

それはバカを拡大させて何も考えさせずバカの子は親を見て成長するから更にバカになり結果的に民主主義の根幹を空っぽにして官僚支配を永続させるってことだ。バカは自分たちが分断されていることさえ気づかない。

 

現在の日本政府はまず手厚い年金などを老人世代に与えるから票をもらって自民党を勝利させる。若者は選挙に行かない。しかし若者だってバカじゃないから自分たちこの先未来ないじゃんって事に気づく。そこで今度は若者を焚き付けて「若者に死ねって言うのか!」と反論させる。

 

両方を裏で操っているのは政府=官僚である。当面大きな選挙はないのだから今度は若者の意見をメディアで取り上げるようにして「確かに不公平だよね」と世論を作る。そこで年金賦課方式を見直して老人世代の年金の減額である。

 

今回の措置は実際に年金はスライド制度で本来デフレ期に減額すべきだったのをしなかったので本来老人が文句を言えない話なのにそれを「老人は死ねというのか!」などと論点をすり替えて主張するから「自分勝手なバカ老人」と言い返されるのだ。

 

挙句に若者がその論点を逆手に取って「若者に死ねと言うのか!」と反論されれば、これ以上老人が言えることはない。妥協点はお互いに少しづつ我慢しようよって事になる。つまり老人の年金減額と若者はサービス残業に勤しむ。

 

しかし本来あるべきは老人世代と若者世代が共通の敵に対して合同して戦うことだ。共通の敵とは政府である。年金やサービス残業以前に、今現在いくらの税金を取られてどれだけのサービスを受けてるのか?国家財政は破綻していると言いつつ役人は自分の使いたいカネは使うのである。国民が母屋でおかゆ食べてる時に彼らは離れですき焼き食っているのである。

 

年金大変と言いながら公務員共済は民間に負担させようとしたり大地震が来た後に薄汚い堤防作りにカネを遣い、まさに泥縄式国家予算利用方法である。

 

だから今若者世代と老人世代というふうに対立構図を作られるのはある意味支配層にとって最も都合の良いことなのだ。では都合の悪いことは?

 

それは若者世代と老人世代が団結して年代別互助組合を作りそれぞれが代表を立てて各世代ごとに自分たちの主張をしつつ数を背景に政府に対して本当の国民の要求をぶつけることだ。

 

20代や30代は結婚や出産、自宅購入などがある。老齢世代は体力が落ちる、外にでる機会がなくなる、墓場にカネはもってけないが今はまだ手放したくないなどがある。双方がお互いに欲しいものを伝えてお互いが持っているものを伝えて交換してみればどうだろうか?

 

そうやって世代別互助組合が地域や収入に関係なく意見を言うようになればどんな世代でも馬鹿ばかりではないので同世代の賢い奴に自分の意見を託して代表者が東京日比谷あたりで話し合いを持ちそれを誰もが見られるように「ニコ動」あたりで中継するのだ。

 

これは日本で今まで行われてきた選挙とは全く別の活動である。しかし本当の意味での民主化である。公職選挙法などと警察や官僚が使いやすい逮捕しやすい法律ではなく世代別に話し合って代表を決定してその代表が東京で全国集会を行うのだから行政の関与するところではない。

 

原発、沖縄、県単位を超えた世代別互助組合であれば地域別エゴなんて通らない。何故なら同世代が日本中に散らばって住んでいるからだ。年齢別であればお金があるかないかなんて関係ない。日本中の同世代の賢い奴らが評議員に立候補して2年に1回くらいの総選挙やって世代別代表を決めて16歳から90歳まで74世代の代表が集まって議論をすれば良い。正規社員と非正規社員、アルバイト、フルタイム。そんなのも関係ない。

 

これ、実はクーデターである(笑)。但し暴力は一切ないので平和クーデターである。フランス語では「政府に対する一撃」で一般的に暴力行為があるが、それやると警察の法律が出て来てすぐに逮捕されるので一切の暴力行為はなしにする。しかし強烈な一撃にはなる(笑)。

 

何故なら既存の法律すべてを無視して既存の政府組織を無視して自己管理するのだから、政府からすれば今まで屋根の上で皆を支配してたのにその家に住んでた人々がぞろぞろと出て行って他の所で自己管理する家を作るわけだから強烈な一撃である。

 

現実論としてどこまで出来るか分からない、けれど既存の政治の流れや官僚の支配から逃れるにはひとつの方法である。



tom_eastwind at 17:44│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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