2015年07月07日

弁当

105年続いた山口県小郡駅老舗駅弁の販売が幕を閉じた。今週の日系ビジネス記事だ。駅弁の味には自信があったようで山口県のふぐを使った「ふく寿司」や「SL弁当」などが新幹線の車内販売で人気だったそうだが、何せ駅弁、新幹線の高速化で弁当を積み込む時間が削られた事で(たった5分くらいか?)納品出来なくなった。

 

ならば博多駅か新大阪駅に運ぶ方法もあったが、JRが指定する弁当の賞味時間は7時間。運んでいる間に賞味期限が切れてしまう。

 

他県の弁当屋との提携も考えたがうまくいかず、結局現在利益が出ているうどん屋ビジネスにシフトして本業である弁当から撤退することになった。

 

色んな判断があるだろう。提携や販売商品の新幹線化など時々においてこの経営者が気づくべきこともあったかもしれない。けれどこの負けた話の本筋は「駅弁は、駅と列車があってこそ売れるものと思ってた事」である。

 

どんなに美味しい弁当を作っても駅で電車に積み込めなければどうしようもない。元々乗降客の少ない駅である。大阪に行くにしても博多に行くにしても約2時間。弁当を楽しめる時間なのか。

 

つまり新山口駅で弁当を売るというビジネスモデルの根幹が崩壊していたのだ。どんなに目先の味を美味しくしても価格を下げても買うべき乗客がいないのだ。新山口の弁当は今の時代の新幹線には機能しないのだ。

 

このように、自分を囲む状況はこの社長がJR出身の地元人だけに理解出来ていたと思う。ただ、やはり動きが遅かった。運良くうどんが売れておりシフト出来るビジネスがありシフト出来るうちに弁当を畳むという決断は大したものだと思う。

 

ただ折角それだけ味が良いと言うなら何か他の方法はなかったものか。駅弁に縄張りがあるのかどうか知らないが売れる場所で売る。今までも各地方の物産展で売れていたのならどうにかなったのではないかと思う。

 

鯖寿司を空弁としてJALUXでヒットさせた福井県人の根性はすごい。

 

あれをコピー出来なかったのか?コピーが恥ずかしいと言うな、人は生まれた時から大人の言葉をコピーして成長している。ビジネスも同様、哲学も同様である。人間はいまそこにあるものから学びそこに自分なりの何かを加えて成長していく。

 

首くくって死ぬよりましだろうが。折角それだけ美味しいものであればもう一回、人が乗り降りする場所を日本全国に求めて弁当を売ってみればどうだろう、ぼくならそうする。

 

「駅弁は、駅と列車があってこそ売れるものと思ってた」ならば、人の出入りの多い駅と列車の発着の多い場所に販売拠点を移せなかったのか?山口に拘ったのか?生きていたいんだろ、だったらどこで生まれたとか気にするな、北陸新幹線でも上越新幹線でもライバルは多いが皆笑顔で頑張っている。

 

もちろん僕のようなよそ者が言うことではないが、ただビジネスモデルの変化は毎日起こっている。大事なのはその予兆を感じ取ってすぐに行動することだ。生き残るのは大きな組織ではなく変化出来る組織でありその為にこそ社長は現場に出て環境の変化を理解する必要がある。

 

彼は売上が急減した時どれほどの回数現場に出たのだろうか?新幹線に乗ったのだろうか?乗客の動向を見たのだろうか?命を賭けたのだろうか?

 

1970年代後半、僕が日本で旅行屋をしていた時、博多駅で積み込んだ弁当の数を数えつつお客様に車内でお茶と弁当を配るのも大事な仕事だった。九州内の特急でことことゆられて有明海の景色を楽しみつつ皆はお弁当を広げてビールやカップ酒を楽しんだものだ。そういう時代には酒も弁当も売れた。

 

けれど地球は狭くなり日本は更に狭くなり新大阪から博多は2時間30分、揺れる「もぐら新幹線」で景色も見えず弁当食ってるよりパソコン開いて水を飲みつつ仕事をしている方がよほど効率は良い。飯を食いたければ博多駅に降りればいくらでも安くて美味しくて床の揺れないレストランがある。

 

時代の要請はきつい。だから常に変化する必要がある。今回の日本出張で日本に今流れる空気を読んできた。3ヶ月単位で方向が変わるってのはそれだけこの国が大きな変化の目の前にいるって事だ。



tom_eastwind at 20:12│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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