2015年07月20日

繋がり

冬だ。日曜はソファに一枚の布団を横にして龍馬と二人でかぶさって、左側にいる彼がテレビに接続したゲームをしてて右側にいる僕が足をパソコンを使っている。毎年寒い時期であるがAucklandは真冬と言っても昼間は10度以上、夜は急に冷え込んで5度位になる。夜になるとさすがに毛布だけではきついのでオイルヒーターを付けたりする。

 

龍馬くんがゲームをしながら「お父さん、仕事?」起きている間は殆どパソコンを開いているので確かに起きている間は仕事しているな。朝起きてベッドで最初にすることがサイドテーブルに置いてあるパソコンでのEメールチェックである。

 

夕方風呂に入る時は日経ビジネス読んでる、半身浴という言葉がなかった時代から風呂に入る時は本を読むのが習慣だ。風呂あがりにまたパソコン開いてメールチェックして調べ物したりして寝る時にはサイドテーブルに置くので龍馬くんからすれば一日中働いているようにみえるのだろう。

 

Eメールという代物も1980年代はまず使う事がなかった。その存在自体が米国発の軍隊系通信方法としても何せ相手がメールアドレスを持ってなければ意味がない。世界で最初に電話を買った人が電話する相手がいないようなもんだ(笑)。

 

しかし次第に名刺にメールアドレスを書く人が増えてきた1990年代初頭、当時香港に住んでた僕は会社の命令でNTT香港のメール利用説明会に参加した。会場では大きなスクリーンでパソコンの画面を写しだし「NTT香港オフィス」にいる、つまり会場とは離れた場所の同僚とメールのやり取りをしていた。

 

「このメール、届きましたか?」「届きましたよ」と折り返しのメールが来る。但し通信状態が安定してなく時々ぶちっと切れる。品質という意味ではあの頃は「昭和の電話時代」だ。インターネットが発達していなかった時代でもある。

 

日本に住んでた時にカプラー装置というのがあった。国際航空券を発券する際に電気信号を飛ばして相手方のコンピューター予約システムにアクセスすのだけど昔の古い黒電話に黒いゴム製のでっかいカバーをかぶせて一切他の音が入らない状態で通信してた。それでも当時からすれば革新的な機械だった。今あれを見たら「明治の電信時代!」であろう(笑)。

 

ついでにもっと古い話をしておくと、1930年代から2000年頃まで使われてた昔の通信方式としてテレックスという機械が存在した。タイプライターに電話が付いてるようなものだ。

 

当時国際電話代がバカみたいに高かったのでまずは言いたい事をタイプライターでタイプする。すると「穿孔紙」という超小型トイレットペーパーみたいなのに穴が開く。あの当時は6個だか8個だか記憶がはっきりしない。てかコンピューターでも同じような穿孔紙を使っていた為にごっちゃになっている。

 

タイプが終われば打ち出された穿孔紙をトイロットペーパーを切るように切り取る(ちなみにこれをトイレットペーパーとして使ったらほんとに痛いことになる)。

 

次にこれを送信装置に乗せてから相手方テレックスの番号を回す。相手方も同じ機械でないと受信出来ない。

 

電話回線が相手に繋がったら素早くタイプ内容を伝送する。すると相手側のテレックスの、タイプライターで言う紙を挟む側がダダダ!と音を立ててタイプを始めてこちらの言いたい事が相手に伝わる。これなど江戸時代の代物だ、今も使っている人ってもういないんじゃないか(笑)。

 

さて何でこんな事書いたのかって言うと、最近日頃やり取りのある相手にメールを送っても3週間くらい返事が来ない。

 

何でだろうって思ってるとどうも彼らは新しい通信ツールであるSNSに移動して、LINETwitterFaceBookなどを使うようになり、彼らも結果的にメールを見てもあまり連絡が入ってないので、メールボックスを開かないまま放置して今度はSNSの方に人が集まるようになる。

 

この循環がそのまま一つのグループをSNSに移動させる事になり、それがまたメールを見なくなるのにつながっているのだろう。お互いに話していることの8割くらいが日常会話の延長であれば伝達速度が早く内容も大したことないのでSNSで十分なのだろうが、逆に言えば普段他人と行っている会話の殆どがその程度って怖くないか?(笑)

 

てか、仕事をする時には普通にEメールを使うだろうからSNSに移行するってのは普段の仕事でEメールが不要な業種なのだろって事になる。つまり学生でアルバイト中心で携帯電話一つの呼び出しで明日は午後4時から3時間だけアルバイトって感じであれば、そう考えてみると携帯電話一つですべての通信ソフトが使えるわけで、わざわざ面倒なメール開封ってのも、まさに面倒なのかもしれない。

 

むむむむ、時代はどんどん変化していってるぞ、21世紀の終わりには現在のEメールが使われなくなり僕のような奴が「21世紀初頭はこんなEメールと言うセキュリティも不安定な連絡手段を持ってたんですねー、怖くなかったのでしょうか?」などと情報発信してるかもしれない(苦笑)。

 

ただ情報発信ソフトが20世紀から21世紀にかけてどんどん変わっていっても情報伝達という作業はますます重要になるのみだ。だから次々に出てくる新しいソフトをいくら使いこなしても「ソフト明瞭意味不明瞭」となってしまえば意味がない。

 

相手に自分の伝えたいことを伝える技術、これはどんな時代になっても変わらない。その意味で現在どんどん広がっているSNSであるが、あまりに気軽にアカウント交換してないか?

 

つまり自分の個人情報をどこまで公表するのか、また仲良くしたいってメッセージが来ても「その人と喧嘩別れになった時に困らないか」とか「友達になる前に」考えることがあるのではないかと思ったりもする。本来繋がってしまってはまずい人に繋がったらどうする?

 

また情報が多様化する社会で情報に振り回されず必要な部分だけ見つけ出す技術も必要になる。技術の進歩は人間の根本的な判断能力を高めてはくれない。その意味で低判断能力のままいろんなSNSに「繋がる危険性」はどんどん高まっていると言える。



tom_eastwind at 18:18│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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