2015年07月26日

こうりん

NZの人気日本語ウェブサイト「NZ大好き」で日本人の母親が自分の子供の日本語をどうするかについての話題が出てる。NZで生まれた子供、NZに住み父親が英語しか話せないという環境で学校ではすべて英語。そんな子供がどうやって日本語を学ぶかである。

 

うちのように父親が日本人、母親が香港人、子供がNZ生まれとなると問題は更に複雑になる、、、と思っていると意外とそうでもない。子供は学習能力が高いので「必要」で「好き」ならばどんどん覚えていく。子供は教えなくてもゲームは夜中まで起きてやってるのだから、あれは「好き」の範疇だ。教育というから教科書開いた瞬間に寝てしまう(苦笑)。

 

もちろん親が教育の機会を提供するのが大前提である。母親とは日本語でしか話さないとか。けどもう一つ大事なのが「日本語を教えたい」という認識の違いである。日本人の母親が子供にどこまでのレベルの日本語を求めているかだ。

 

大体において母親が自宅で子供に日本語を教える場合、その子の日本語が母親の日本語を上回ることはない。つまり母親が日本の歴史を知らず政治を知らず経済を知らずに子供に日本語を話したらその子が身に付ける日本語は「その程度」でしかないという事だ。「何言ってんだよー」とか「ばっかじゃない?」とか「お母さん、あんたウルサイから黙れ!」。

 

日本に旅行に行った時に会話が出来ればよい→日本の親戚と日本語で普通の会話が出来る→日本の高校に編入出来る日本語→日本語で仕事をする→大学で日本語で日本歴史を学び資格をとる、などなど程度の違いがある。

 

このあたり母親が最初に言うのは「ちゃんと会話が出来ればそれでよい」なんだけど「這えば立て、立てば歩めの親心」で要求がどんどん上昇していく。

 

じゃあ日本語検定一級を持ってれば良いのかと言っても、それだけで日本で仕事をするのは難しい。仕事において日本人が日本語を話す人間及び日本人に期待するのは言葉が滑らかであるかどうかよりも日本的礼儀をわきまえて目上目下、その時の状況に応じた敬語の使い方などが必要である。

 

大事なことは言葉を学ぶのではなく言葉を通じて何を話すかであるのか、である。話の中身が空っぽなままでは言葉を学ぶ意味がない。この点言葉よりも思考回路が重要だ。

 

どれだけきれいな発音で日本語が話せたとしても中身が伴わないので最初は珍しがられるがそのうち「こいつ、うぜー」と思われて仲間はずれになる。どうせなら割り切ってきちんと思考回路が身に付くまでは英語だけにするって選択肢もありだ。日本語を外国語として8歳くらいから学ぶのもありだろう。少しくらい発音がおかしくても趣旨がしっかりしていれば問題ない。

 

結局言葉ってどこまでいっても完璧は存在しない。僕は外国生活28年で日本語標準語を28年使っているが今だ以って関東出身の人間に笑われる。映画と栄華、全然発音が違うので笑われる(笑)。けれど仕事をする上で不自由はない、単純に「田舎者〜」って笑われるだけだ(笑笑)。

 

それで言えばニュージーランド英語でニューヨークに行くと「君、どっから来たの〜?」と笑われる。けど彼/彼女の話す内容さえしっかりしていれば少々訛っても少しくらい言い回しがおかしくても意味は通じる。

 

漢字も読めるキーウィだって初めて品川駅に到着して高輪口に出ると「あ、僕、今、こうりんにいるよ」ってなる(笑)。



tom_eastwind at 18:37│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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