2015年08月12日

あ、もうすぐお盆だ。

昨日も来客があり2時間話しまくり。

 

Aucklandの物価上昇率は大体5%、NZ全体では3%程度。現在の人口は約150万人だけど毎年5万人くらい増えている。

 

これはNZの田舎では昔のような中間業務がなくなり刺激もないのでストロー効果として若者がAucklandに集中していること、出生率が2.07であること、そして北半球からやって来る移民の3つが要素である。

 

移民が増えているのは北半球の治安、環境、政治、経済、子供の教育(英才教育ではない)などを考えれば移住先として選択肢の一つに入るからだ。

 

今後10年でAuckland200万人都市に成長する。

 

現在のAucklandで賃貸住宅に住んでいる4人家族の生活費は大体35万円くらいかかる。最低賃金は14.75ドルで1年が2000労働時間と計算すると約3万ドル、ここから源泉徴収約15%を引いて手取りが25千ドル程度なので約220万円、だから一人で一軒家とかアパートに住んでると完璧に赤字である。

 

なので独身の間はフラットメイト生活、結婚して共働きすれば二人で440万円なので独立した生活が出来る、けれど最低時給では将来にわたり自分の家を購入することは出来ない。

 

なので頑張って特殊技能をもつ必要があるが問題はここで現在大学で教えていることすべてが就職に有利なわけではない。例えば税理士の資格を取ろうとして会計の勉強をしても卒業して就職先がないからMacでアルバイト、何のための大学かって事になる。

 

何故なら会計の勉強自体は優秀な証拠ではあるが問題はAucklandの税理士事務所はどこも十分なスタッフを持っており今更将来ライバルになるような素人を入れる必要もない。なので何らかのコネがないと就職は大変だ。

 

けれど建築業界は今がブームである。専門学校で建設を1年程度で学び卒業すればすぐに就職先がある。仕事はきついがその分給与も良いわけでマスタービルダーになれば年収1千万円くらい取れる。

 

等など現在のAuckland事情を説明する。このご夫婦は以前10年以上前にAucklandに住んでいた事があり基本的な事は理解しているが現在のAucklandがどうなのかにご興味あり。

 

その後は資産運用に話が移り「日本居住の場合」と「NZ居住の場合」のそれぞれの税法上の条件を比較した。これほんと、十人いれば十人とも答が違う。そりゃそうだ、家族構成から親戚からなんちゃらと抱えているものがそれぞれ違うからだ。こうやって現在のAucklandの説明をしながらふと思った。

 

あ、もうすぐお盆だ。

 

移住かー、僕が子供の頃はニュージーランドがどこにあるかさえ知らんかった。18歳の頃にニュージーランドのポスター観て「きれいな国があるんだなー」と思った。ところがその2年後に僕はニュージーランドに仕事に来てた。当時のクイーンズタウンの景色や町並みは今も明確に覚えている。

 

そして1988年クイーンズタウンに旅行に行き何のご縁か到着して約一ヶ月後にワークビザを取得、その二ヶ月後には当時の知り合いの薦めで何故か永住権を取得した。英語力証明不要、健康診断不要、無犯罪証明不要、学歴不問、旅券に300ドルの小切手を添付して移民局に郵送するだけで一週間後に永住権を手にしていた。

 

そしてクイーンズタウンで知り合った香港出身の奥さんと結婚。クイーンズタウンの観光景気が良かったため翌年にはファーンヒルに家を買った。子供も生まれて奥さんのお母さんに香港から来てもらい子供の面倒を観てもらいよく働いた。

 

ところが何のご縁か義母のビザが1年しか滞在出来ないため、今度は1992年に全員で香港に移住することになった。勿論僕は誰も知り合いがいない落下傘降下移住である。香港の永住権は取得したものの仕事探しにコネもつてもない状態で香港日本通運旅行部のアウトバウンド課に仕事を見つける。初任給は7千香港ドル、約11万円である(苦笑)。その後仕事がどんどん取れて随分昇給してもらった(笑)。

 

けれど奥さんの命令で1996年にはまたニュージーランドに戻る事になり、今回はクイーンズタウンではなくAucklandに移住である。何でAucklandかって言えば奥さんのお母さんを帯同するんだけど中国食材が入手出来る街がAucklandだったからだ。

 

要するに僕の人生って殆ど何も自分で決めてないのがよく分かる経歴である(苦笑)。

 

けど面白いのが日本にいた時期って日本がバブル景気だった。日本を離れたらバブルが弾けた。クイーンズタウンにいる頃は日本からのハネムーナー景気で大いに稼いだが1992年にクイーンズタウンを出た後、あの街は長期不況に陥った。日本人観光客が来なくなったのだ。

 

香港に移住した時はちょうど中国返還前景気でハンセン指数が2倍になって街全体が熱中症のような状態だった。1996年に香港を離れた翌年、香港の中国返還とそれから長期の不景気に陥った。僕のいた日通旅行部も最盛期には13名くらいスタッフがいたのに後で聴くと「今3名」。

 

落下傘で降りたAucklandは丁度好景気が始まり始めた頃だった。ニュージーランドは1980年に国家経済が破綻して1984年に当時の首相デイビッド・ロンギが市場の自由化と民営化を推進して1993年にやっと国家財政が黒字になった。その3年後にぼくがAucklandに降り立った事になる。

 

それからの20年、Aucklandは発展を続けている。そして21世紀になると北半球からの移住先の一つとして候補に上がるようになった。

 

よくもまあ、3回続けて落下傘降下の移住をやったわけだ(苦笑)。けど「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる身」であり人生なんて一回だ、人はいずれ死ぬ。早いか遅いかだけだ。

 

だったら過去の後悔はしない、未来への不安を持たない。現在に意識を集中してとにかく今を一生懸命生きる。何よりも自分を信じることだ、それも無条件に。そうすれば必ず道は開ける。

 

もうすぐお盆だ。



tom_eastwind at 18:50│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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