2015年09月18日

21世紀の流れの中でまたしてもマルクス復活か?

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英労働党首になったコルビンは、サッチャーが市場主義の政策を始めたとき から、市場主義に反対していた。35年経って、市場主義がバブル崩壊して失敗し、世界が大不況になるからといって、ずっと反対していた者が首相になっ て元に戻せば良いというものではない。しかし、貧富格差が拡大し、貧困層が 増えて困窮しているなら、金持ちに対する税金を引き上げて貧困救済や社会福 祉に回すのが自然な政策だ。英国では、民営化された公共サービスが、利益を重視して値上げや不採算部門の縮小など、サービスの低下を引き起こしている。 これまで経済の全分野が底上げ的に金融バブル膨張の恩恵を受けてきたが、 リーマン危機後それが減り、今後はさらに悪化する。経済の全分野で採算が悪化するなら、国民生活にとって重要な電力ガスや鉄道などのサービス維持のため、再国有化が必要になる。

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僕らはどうしてもいま目の前の生活でものを考えるけどそれって歴史って部分で見ればたった50年程度、1970年代から2015年+5年であり人類の歴史からすればほんとに1%以下である。

 

では残りの99%の歴史における政治学はどうだったのか?ウェストファリア条約以降に「国家」が出来上がり植民地分捕り活動期に入った欧州では弱肉強食の時代になったが、それ以前の歴史ではいつの時代も宗教戦争だ、欧州のあちこちで随分と野蛮な殺し合いばかりしてて成長がなかった。

 

宗教が発生すると宗教戦争が起こり国家が出来ると国家同士の闘いになり誰も統一出来ない、その解決手法として今度は共産主義が出てきた。そうなると今度は共産主義か自由主義か?欧州は常にこの2つの考えの間でしか政治の針はふれない。

 

結局自由主義を貫けば企業は最終的に業界を寡占化して利益の最大化を図る=消費者に対して不利益になるというのが西洋思想だ。その中間がない。適正利益という発想は西洋的自由主義の中にはない。あくまでも競争によって自己の最大限の利益を確保する。それがまるで自然の帰結であるように西洋人の頭のなかに植え付けられている。

 

けどそれが社会を一部資本により独占化になるってんで20世紀初頭に共産主義が力を持つようになった。共産主義は多くの若者を魅了した、共産主義の下ですべての国家の労働者が団結して労働者のための社会を作ろうとした。その結果として支配人が追い出されて豚が次の支配者になった。

 

やはり共産主義じゃまずい、自由主義だということで自由競争が導入された。その結果として世の中は二極化していった。けど自由主義やらないと産業の成長がなく労働意欲も生み出せないと考えるのなら、何故もう一歩踏み込んで「企業は放置すると寡占化する」「企業は市民の反対側にいる悪者だ」以外の道徳思想を考えてみないのか?

 

例えば日本では昔から三方一両得とか、自分だけが儲かるんじゃなくて社会全体を潤わす仕組みを考えた商人が長い商いが出来た。お互いの信頼を基本として、一切れのパイを奪い合うのではなくパイそのものを大きくすることを考えて来た。

 

もちろんバブル崩壊以降の日本では「自分だけが儲かればいい、相手の話は聞かない」的な雰囲気が出てきて僕も日本出張に行くときは昔のような楽しい気分にはなれないが。

 

それと同時に「持続する社会」としての共産主義という発想は出来ないだろうか?マルクスのような支配者対労働者みたいなどうしても「俺かお前か」の対決発想は西洋人としては普通なのかも知れないが、彼らの歴史的選択肢としてはどうしてもそうなるのだろうが、そこを乗り越えて原始的な助け合いを基本とした人間観である。

 

つまり原始共産制と呼ばれる、例えば日本の江戸時代の漁村で皆が皆を助けあい、隣のとめさんの奥さんが陣痛になれば出産経験豊富な熊さんのおくさんがおサンバとして出産の手伝いをする。

 

沖にクジラが来れば目の利く子供が村に合図を出して若者は船を漕ぎだす。沖にいるクジラを見つけたら銛を投げ込み紐でくくり多くの小型船でクジラを打ち倒す。

 

クジラが浜に着くと若者は塩と血にまみれた体を洗うためにオババがわかしておいた風呂に入りに行く。オババと子どもと母はクジラの解体作業にかかる。

 

数時間後、クジラはおいしく料理されて各家庭の食卓を飾る。5名の家庭には5名分。3名の家庭には3名分。漁師だけがえらいんじゃない、皆が適材適所で働いているから持続する社会が継続出来るんだ。

 

適材適所、皆が自分の出来る事を持ち集めて村が一つになって働く。

 

だって漁師も子供の時代があったわけだしいずれ年を取れば漁には出なくなるが食い物が必要なのは当然である。そうやって三世代がお互いの出来ることをすることで持続する助け合いの社会が構築される。

 

要するに自分が今やった努力に対する正当な物的報酬は存在せず、周囲から賞賛を受けることはあってもカネやモノという価値に換算しない考え方だ。

 

この記事を書いてたら今度はオーストラリアの首相が代わったとのこと。突然であるが同時にその人物が中国寄りとの情報も出てきた。

 

21世紀の世界では共産主義を支持する西洋人が増えるが共産主義を標榜する中国が差別がひどいというのはふざけた話である。やはり共産主義は神の主義であり人間が個人で持続させるのは今の西洋社会や中国では難しいのだろう。

 

僕が常に目指すのは上向きの平等である。皆が努力するけど助けあって上向きに社会を構築していく。自分は努力はせずに他人の足を引っ張るだけの下向きの平等とか自分だけが得た利益は常に自分のものって利己主義もない、そういう社会だ。



tom_eastwind at 13:27│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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