2015年10月26日

血液は売り物

戦後すぐの日赤の血液補給は売血によって賄われていた。「青春の門」の伊吹吾郎も売血して得たお金で生活をしていた。

 

それがいつの間にか「人間的に〜」とか「倫理的に〜」と騒ぐ連中が出てきて売血が禁止された。

 

血液を「献血」という形に変えて献血車が街に出て人々から献血をしたもらう代償としてアイスクリームやドーナツ券、ジュースなどをもらう。

 

厳密に考えればこれも代償の大小は別として民法上は契約自由の原則があるので売血契約成立でしょ?

 

ましてや最近は血液検査までしてくれてそれをネットで検索して自分の数値を観ることが出来るわけで、その検査費用は誰がいくら払っているのかという話である。

 

病院に血液が必要である。国民を守るために血液が必要。ならば最初から法律で定めて1年に3回くらい強制献血すればよい。そうすれば十分な血液が集まる。勿論病人や子供は対象外である。

 

または伊吹吾郎の昔のように売血を再開すれば良い。お金がなくて社会福祉を受けている中高老年はこれで食事代を得られるし健康管理も出来る。よほど効率的で良いではないか。

 

今の献血システムは誰もが現実から目を背けた中でお互いになあなあで、けど血液を集める費用が嵩んでいるだけなのだ。人体の有効利用。これは倫理的に真面目に考える時期に来ているのではないか?

 

医療技術の進化によって様々な臓器移植が可能になった。血液の延長が内蔵になるのだろう。これもドナーが予め病院に登録しておけばドナーの死亡後にその内臓は苦しんでいる患者の為に提供される。

 

死んだ人はアイスクリームもジュースもない。けど人助けをしたって記録だけは残る。

 

JOHN-Qという映画でデンゼル・ワシントンが病気の息子の父親役を務めるのだが何度観ても泣かされる。この頃の演技は今ほど上手ではないがテーマがまっすぐに人体と内臓と家族愛と分かりやすく設定されているからだ。

 

将来的には自分の子供が生まれたら遺伝子検査を行い生体組織を切り取りクローン技術で子供と同じクローンを作って必要に応じて内蔵を取り出すことも現実になるだろう。

 

そうなるとクローン人間の人格の問題が出てきて、またもうるさ型がどうこう言うのだろうな。けどその時に是非ともJOHN-Qを観て欲しい。

 

現実から目を背けるのではなく21世紀の科学で出来ること、倫理的にこれはダメだという線引をもっと現実的に議論すべき時代に来ていると思う。

 

いま中国では田舎の農村の2歳くらいの子供を親の見ていない時に誘拐して5千キロくらい離れた街に移す事件が起こっている。

 

誘拐した子供は普通に食事はさせるが教育はない。子供同士で遊ぶことは出来るが外に出ることはない。健康に育った彼らはある日お医者さんの検診を受ける。そしてお医者さんに連れられて病院に行く。

 

ある子供は数日後に戻ってくる。ある子どもは戻って来ない。切られた臓器の違いだけだ。けど戻ってきた子どもでも次にお医者さんに連れて行かれて2個めの臓器を取られたらもう戻ってくることはない。

 

最近中国では肝臓一個いくらなんて市場がある。そういう暗黒市場が立ち上がっている時代なのに現実を見ようとせず綺麗事ばかりで片付ける。放置すれば日本でもある日子どもが誘拐されたまま帰ってこなくなるかもしれないのだ。

 

内蔵に国籍はない、取りやすい所から取るのなら日本など緩い国だ。誘拐してすぐに日本海側の港で漁船に乗せてそのまま中国へ送る。国境など関係無い、すでに役人にカネは渡してあるのだ。

 

そうやって健康な子どもの内臓が暗黒市場で売りに出る。献血、売血、臓器移植、暗黒市場、僕たちは21世紀の技術の進化の中で本気で考える時に来ているのではないか。



tom_eastwind at 17:24│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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