2015年12月05日

蒼氓

石川達三の作品に「蒼氓(そうぼう)」がある。昭和10年、第一回芥川賞受賞作だ。当時日本の国策であったブラジル移民の物語である。下記のレビューが簡潔でわかりやすいので引用する。引用責任当方。

 

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冒頭の、雨の神戸の描写に、暗い小説かと思いながら読み始めました。

1930年の、ブラジルへ渡る移民たちを描いた三部作です。

 

田畑や家財一切合財を手放して出てきたのに、病気で渡航を許されない家族、思う人と別れて船に乗る娘、煙管を握りしめて、周りに心を開かない婆さん……酒を飲んで景気よく踊ったり歌ったりしている男たちでさえ、どこか暗く見えてくる。

 

それなのに、一気に読みきってしまいました。日が経つにつれ、幸も不幸もひっくるめ

て現実を受け入れていく登場人物たちの姿の、そのエネルギッシュなこと。

 

そして、第三部のラストの、ブラジルの日差しをあびる移民たちの姿。階級社会、人間のもつずるい一面など、考えさせられる部分も多くありましたが、なによりも、生きていくエネルギーをもらえる、そんな小説でした。

http://www.amazon.co.jp/蒼氓-新潮文庫-石川-達三/dp/4101015058

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石川達三は戦前から戦中にかけて多くの小説を書き「生きている兵隊」は戦中記である。戦後は「青春の蹉跌」など経済一辺倒になる社会に問題提起する小説も書いた。

 

毀誉褒貶の多い作家でもある。戦時中には日本軍に味方したではないか等。ただしテーマの捉え方、描写、単語の選び方、すべてにおいて一流の作家であることは論をまたない。

 

僕が初めて「蒼氓」を読んだのは高校の図書館だった。

 

移民・・・・。重いテーマだよな、日本人が日本を離れるってほんとに大変だし第一現地で受け入れてくれるのか?法的に受け入れてくれたとしてもその土地で食っていけるのか?

 

そんなことを考えながら石川達三の作品を読んでいたのだが、まさかその10数年後に自分が「移民」することになるとは思いもよらず(笑)。

 

ただ1930年代の移民と今の移住は全く違う。インターネットの発達で日本にいなくてもいつでも繋がってて個人的にはフェイスタイム、会社はテレビ会議が出来てウェブで情報が入手出来るから物理的に東京にいる必要がない。

 

空を飛ぶ飛行機はますます長距離化、高速化して来て世界は狭くなった。今は成田からAucklandまで11時間だが10年以内に6時間程度になるだろう。今のシンガポールに行くより近くなる。

 

現代の移住とは力量のある個人が単純に2カ国に住む権利を持ち、その時代に応じて住みやすい場所を選ぶという事だけだ。根本的に前向きで積極で明るい話なのだ。

 

生活をするのは自然が豊かで空気が綺麗なニュージーランド、ビジネスは日本で、という現実的な選択肢があるのだ。

 

例えば投資家プラスだと1千万ドル(約9億円)の3年間投資と2年間44日づつ滞在の規定があるのみだ。勿論書類審査は面倒だしここで却下される日本人も3割くらいいるが、審査が通過すれば永住権が取れる。

 

ただ日本ではテレビ番組でNZ特集が組まれたりして「良いとこですよー」と言うが、それは旅行客にとってだけだ。

 

実際に現地で生きていくのは簡単ではない。これは石川達三の「蒼氓」でも語る通りである。言葉の問題、ビジネス習慣の問題、常識の問題、すべてが違う。

 

昨日までと全く違う世界にいきなり放り込まれてポカーンとしている暇はない、家族を食わせなければいけない、まさにお父さんにとっては「毎日が戦い」である。

 

しかしそれでも現在のニュージーランドは頑張れば食っていけるし日本への直行便もある。毎晩子供と日本にいるお婆ちゃんがインターネットでおしゃべり出来る。

 

用事があれば朝9時の飛行機に乗れば夕方5時頃には成田に着いているから時差もなく移動が簡単である。

 

こうやって考えてみると、現代における移住とは単なる国際引越である。引越し先のビザだけ取って後は引っ越し会社に手配を依頼すればすべて完了。

 

仕事は今まで通りパソコンでやればよい。今の東京からAucklandに移住する苦労は、言葉を変えれば昭和50年代に東京生まれのサラリーパーソンが大阪に転勤を命じられたようなものだ。

 

石川達三の「蒼氓」、昭和は遠くなりにけり、である。懐かしてくて早速Amazonで注文した。



tom_eastwind at 11:13│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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