2015年12月15日

小平が目指した上向きの平等

僕は不平等が嫌いである。けれどそれ以上に嫌いなのが「下向きの平等」だ。

 

東北大震災が起こった時にSMAPがゲーム機を持って行ったら「子供の数と合わないので不平等だから不要」となったらしい。

 

この話を聴いた時に思わず「だから何時まで経っても駄目なんだよ!」と腹がたった。

 

子供が100人いるとしよう。そこにゲーム機が10台送られた。一人一台ではない。けれど使い回しすればいいじゃないか。子供一人につき30分として、その時間は子どもたちは津波の恐ろしさを忘れることが出来る。

 

ゲームをしている子供の周りには子供が集まり「あー、それ違うー!」とか騒げる。こうやって子どもたちは次第に津波を忘れる時間を持つことが出来る。

 

けれど東北の人々が選んだのは「下向きの平等」、つまり全員に平等に行き渡らねば不要という考え方である。田舎の街で誰かが成功すれば「あの家はねー」と僻み嫉み「何だか不平等」だから足を引っ張ることになる。

 

一人でも優秀な人間が来て例えば村おこしなどでいずれ田舎の村全体を引張りあげ盛り上げようとする、その第一歩のその人の成功を見て村人は足を引っ掛けるようなことを平気でする。何故なら彼や彼女の中ではそれが「正義」だからだ。

 

田舎では全員平等、一人でも飛び出したら村全体で引きずり下ろす。けどこれって絶対に間違いな考え方、下向きの不平等である。

 

少しのものでも皆が知恵を持ち寄り例え少しでも量的分割ではなく時間的分割という発想があっても良いのではないか。何故柔らかい発想でより多くの実利を得ようとしないのか??

 

中国に小平という政治家がいた。子供の頃は豊かな生活をして資本主義を十分に理解していた。フランスに留学中に共産党に加入して中国の共産化を図った。毛沢東と共に戦い後に蒋介石率いる国民党を破り1949年に中華人民共和国を建立した。

 

彼はその後何度も下放(追放)されたがその度に生き残り1970年代の毛沢東死後四人組を追放して政権を奪取して中国の近代化を図った政治家である。

 

その彼が経済政策で中国沿岸の経済特区が先に豊かになりその利益が西部山間部に伝われば良いと指示した。

 

その後小平の指示通り中国沿岸部は発展した、そして西の労働者は東の湾岸地区に集まった。特に深セン経済特区はそれまで農家ばかりで、豚肉や野菜を香港に送り生活をしていた。

 

それが経済特区で今は大都市である。中国西部から来た若者も次第に自分たちの生まれた場所が開発を始めて地元で生活出来るようになった。

 

こうやって中国は成長の度合いは違うとは言えどこも豊かになった。もし小平が「豊かになれる街から豊かになれ」という政策を取らず相変わらずの共産思想だったら中国の発展はなかった。

 

日本の田舎の方が小平の目指した中国よりもよほど共産主義である。

 

***

ちなみに本題からそれるが小平は中国の覇権に反対であった。何故なら中国のような「民主主義でまとめる事が出来ない大国」は共産党の一党支配による開発独裁が唯一の解決手段であり、中途半端に海外に覇権を求める場合必ずそれらの国の政治体制と比較される。

 

その時外国勢力が政治的に直接中国国民に対して「民主化」や「自由」を要求すればどうなるだろう?外国の価値観を押し付けられたらどうなるだろう?

 

中途半端に覇権を求めて外国と戦争状態になればせっかく中国が曲がりなりにも勝ち取った国家統一中国が外国勢力からの切り崩しで内部から崩壊する可能性がある。中国が十分強くなるまでじっとしておけ、これが小平の内部向けの言葉であった。

 

小平は現場の政治を一番よく分かっていた人物である。彼は資本主義を知りフランスで民主主義を理解して共産主義を選び毛沢東と共に戦い蒋介石を打ち破って中華人民共和国を成立させた。だからこそ世界に向けて下記のような言葉を発したわけだ。

 

***

「中国は、将来巨大になっても第三世界に属し、覇権は求めない。もし中国が覇権を求めるなら、世界の人民は中国人民とともに中国に反対すべきであり、近代化を実現したときには、社会主義を維持するか否かの問題が確実に出てこよう。他国を侵略、圧迫、搾取などすれば、中国は変質であり、社会主義ではなく打倒すべきだ」と述べたという[9]

https://ja.wikipedia.org/wiki/トウ小平#.E9.80.B8.E8.A9.B1

***



tom_eastwind at 13:23│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔