2015年12月27日

北方少林館

ドミニオンロードの大通りと路地の角っこにある2階建ての刀削麺の美味しい店である。今日は家族で2年ぶりか?ガラガラに空いている高速道路を車で約30分のドライブで訪問する。

 

1130分に開店するがすぐに満席になるので5分ほど早めに行くとすでに3組のお客が椅子に座って注文してた。

 

店はあいもかわらず賑やかで繁盛してて北京語が飛び交う世界である。回族の経営する店と書いて壁の少林寺の張り紙と違和感があっても、何でもOKなのが中国らしい。

 

店に入って4人と伝えると入ってスグの4人がけの「留座(予約済)」と書いたテーブルに案内された。「あれ?予約してないけど」というと「いいんだ、置いてただけだ」最適顧客配備手段であろう。

 

テーブルマットは分厚いビニール製でアニメの絵が描いてあり子供が喜びそうだ。そこで北方風鶏の串焼きと餃子に刀削麺を注文してから薄曇りのガラス越しに見えるキッチンでは今日も拉麺をやってる。

 

大きな板の上に粉を撒いて職人さんが自分の目の前で大きな小麦粉を何度も何度も打ちながら胸の高さに持ち上げて両方に引っ張りまた折り畳む。

 

「これって本当に芸人だよね、何ですりガラスの向こうなんだろう、勿体ない。あのパフォーマンスを皆が見えるようにすれば、更に外側の窓を行き来する通行人に見えるようにすれば効果があるのにね」と僕が言うと奥さんが「彼らにとっては仕事であり出来て当たり前の話、芸じゃない」

 

東北の人が地吹雪をエンターテイメントと感じないのと同じ程度であろうか。

 

待つほどに2人の中東系の若いカップルが来た。4人がけのテーブルに座ると店員がすぐに来て隣にある2人がけに座れと言う。お客が「どうして?」と言うと店員が中国の常識をうまく説明出来ない。

 

すると店員のボスに当たるようなガタイの良い兄ちゃんがカウンターから大声で“Reserved !”と怒鳴ると二人は納得したように2人がけに座る。あまり納得した雰囲気なし。

 

最初に出てきた串焼きは一本の長さが30cmくらいあるステンレス?串で真っ赤な唐辛子が振り撒かれてありながらそれほど辛くもない。どれも程よい味付けだ。

 

刀削麺だって打ちたての麺を素早く刻んで大鍋で煮てすぐに出すから麺は表面がつるつるで中はもちもち、これは実に旨い。

 

同時に出てきた餃子は、見かけはぱっとしないのに食べてみると皮と餡が実にバランスが良くて肉汁一杯で、これまた旨い。

 

こんなに美味しいのに長年やってて繁盛しているのに、店の規模は相変わらずで元気の良さそうな若い店員さんも決して愛想が良いわけではなくレジの前に固まって客が入店するとすかさずメニューを持って人数を聴いてテーブルに誘導して、まずはそれで終わり。

 

料理の注文が決まった頃にまた戻って来てささっと注文取るとそれで終わり。水が欲しければレジ前の冷蔵庫から自分で取り出す。コーラなども自分で取ってテーブルで飲む形式だ。

 

お湯だけは注文出来る。ポットに入ったお湯とプラスチック製のざっけないコップがいかにも中国の雰囲気に合ってる。

 

料理が出来ると店員さんがすかさず運んでいき、全体的にキビキビした雰囲気があって気持ち良い。料理も旨い。味、雰囲気、サービス、今日も快晴。

 

世はなべて事も無し。

 

何だかこの古い店で無愛想な若い店員の顔を見つつ麺を食いながら1980年代の真夜中の長浜ラーメンを思い出していた。

 

あの頃は中洲で飲んだ後にタクシーで約1200円で長浜に行き空き地に建てられたボロっちい元祖長浜ラーメン店で350円?くらいのラーメンを食ってたものだ。

 

きちんと整地してない床は油で滑りやすくテーブルもラーメンを置いたらそのままツツーって床に落ちそうになるのでラーメンが運ばれてきたらまず手で押さえるところから始まる。

 

ラーメンを注文する。固め葱なしがいつもの僕のメニューで時々ビールが入る。決して長居は出来ない。ここは喫茶店でも酒屋でもなくラーメン屋なのだ。そんな不文律が明確に生きていてお客と店がそれを共有していた時代だった。

 

兄ちゃんたちはいつも入り口から一番奥の料理場のあたりで固まってて客が入ると元気よく注文を取りに来る。愛想もなければ笑顔もないが、やることは分かっている。

 

注文が入ると調理台にずらっと並んだ丼に続けてタレとスープが入り麺が出来るのを待つ。早いものは1分で出来上がりテーブルに運ばれてくる。

 

獣油臭がんがんの店で油っぽい箸立てに入ってる使い古した箸を取り口紅の少し残った丼に少し胡椒をかけて食う。当時の事でスプーンはないのでスープを飲むときは口紅の位置に注意する。はは、当時の東京の一部の人にとっては地獄だったろう。

 

ここでは10人がけくらいの大きなテーブルに水の代わりにぬるいお湯が入った10リットル入りか?デカイヤカンがあり皆が適宜自分の湯のみに注いで飲む。テーブルに胡麻も紅しょうがもあるので店員要らずだ。

 

味付けも薄いと思えばテーブルのタレを追加する。これは嫌味でもなんでもなく2杯めはどうしても味が薄くなる替え玉対策である。

 

出てきたラーメンは実に旨い。特に飲んだ後のシメのラーメンは旨い。タクシーの運転手さんは酔ってない僕に「どちらまでお帰りですか?」と聴く。「筥崎です」というと「じゃあ俺もここで食べてますよ、帰りに声かけて下さい」となる。

 

長浜から筥崎までのタクシー代は約3,000円だった記憶がある。バブル当時なので夜間割引もない、タクシーが見つかるだけで有り難かった時代である。

 

350円のラーメンを食うためにタクシー代4,200円遣って無駄な愛想はないけど元気な店員さんの作るラーメンを真夜中に食って満足してた時代である。

 

あれから約30年、今は空が抜けたような青空のAucklandで家族と昼食だ。独身の頃にあった無茶な自由はないけど温かい家族がある。

 

楽しい昼食は4人で60ドルちょい。一人約1,200円。よくあることでクレジットカードは使えない。僕のANZカードはエフトポスとクレジットカードの合体している奴なので店員さんによく「カードは使えないよ」と言われてすぐに「エフトポス」と言えばOKだ。

 

楽しい家族の30分の昼食を済ませて店を出る12時過ぎにはすでにテーブルが埋まっており僕達が出て行くのを元気な店員さんと順番待ちをしているお客さんに嬉しそうに見送られた。



tom_eastwind at 19:50│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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