2016年02月08日

JR大分シティ

大分は釘宮前市長時代に駅前大規模再開発を行った。JR九州と組んで大分駅をゼロベースで作り直した。鉄道を高架にして駅の両側が通り抜けられるようにして同時に車が中心の駅前ターミナルを歩行者が中心のターミナルに大改造した。昔を知っているから本当に「大改造」という言葉がピッタリである。

 

大分駅に到着した時は高架である事に気づかず昔の印象で階段を降りた。電車を降りて地下道に入りすり減った石造りの階段を登って改札口・・・だったのが、全く作り変わっていた。

 

何だこりゃ?大分駅の短い階段を降りたら、そこは新しい改札口だった。

 

それまでの大分駅は日豊本線と久大本線の基幹駅として乗降客はいても彼らはそのまま駅から流れ出ていた。大分駅は単なる乗り継ぎ地点でしかなかった。

 

大分が衰退してた時期にJR大分駅構内にラーメン屋とか飯屋とか入れたが所詮それも骨の折れた患者に絆創膏貼るだけのようなもので根本的な解決策にはならなかった。

 

勿論テナント店舗も彼らなりに一生懸命がんばって店を盛り上げようとして「安くて美味しくてサービスが良くて」を追求したが、顧客はすでにそのようなサービスは期待していなかったのだ。

 

大分市は別府市と違い観光地ではない。毎日同じ人が同じ道を通って仕事に行き家に帰るのだ。その彼らが何を考えているのか。

 

大分は変わった。今までの供給者目線から消費者目線に切り替わりJRと大分市と付近の地主が共同で全く新しい街づくりを行ったのだ。

 

その結果大分駅という名前だけ残して今まであったすべての構造物を破壊して道路を掘り下げて駅裏のそれまで使われてなかった土地を再利用してターミナル駅としてホテルを建ててレストラン街、ファッション街、その他エンターテインメント性を持つ広場等を作った。

 

こういう時に大事なのは「あそこに行けば何か新しいものがあるかな?」と常に感じさせることである。供給者視線で「美味しいのになー」ではなく消費者視線で「日曜に行ったらまた何かありそう!」と思わせてリピーター獲得に成功したのだ。

 

そして起こったのが「人が戻ってきた」である。JR大分シティでは平日でも45万人、週末は78万人の集客を得た。大分市の人口が40万人ではこの数が出るわけがなく実は東九州自動車道を使って宮崎や北九州側の福岡からも人が来るようになったのだ。

 

JR大分シティの成功は全国でも取り上げられて各自治体からの訪問団がたえないと言う。

 

昨日も書いたけど高速道路とJRの高速化で大分の名門デパート「トキワ」はもろに福岡のデパート群との戦いになった。いくら大分一でも福岡の、それも東京のセンスを纏ってやって来た三越に叶うはずもない。

 

トキワのピーク時2002年の売上は単体で786億円、グループを入れると1250億円、当時の大分の小売業全体の1割を占める大企業であった。

 

ところが環境の変化に追いつけず何とか改革をするも後手後手、小さすぎるし遅すぎる対応で顧客を逃がしてしまった。

 

その結果として2012年の売上は475億円、10年で半分近くの売上を落としてしまったわけだ。

 

トキワ経営陣は何を見逃したのだろう。ぼくは大分に住んでないので具体的な事は言えないが日本中あちこちを回っているのでその理解で言うと長年の成功体験が足かせになり環境の変化の中で上司や幹部が自分たちの作ってきたものを壊せずにいたことだと思う。

 

そして更に何よりも大きな問題は、キーパーソンとなるべき人物に「まさか名門トキワが」という甘えがあったのだろうと思う。これは企業の規模に関係なくキーパーソンが如何に危機感を持ち利き耳を立てお客様の動きを観ているかがすべてである。

 

危機感は仲間でつるんでる時には絶対に感じない、部下のせいにしている時も感じない、客足が落ちても「一時的なもの」と思い込み感じない、福岡に客が移動し始めても「お、おれの責任じゃないよな」と危機感を持ちたがらない。その結果として皆が皆の顔を見つつすくんで何も出来なくなる。

 

JR大分シティは一度は観ておきたかった。今回の出張では福岡から久留米を回って福岡に戻り翌日の飛行機で香港経由Auckland戻りだったが、JR時刻表を調べると何とか日帰り往復可能、JR大分シティで昼ごはんを食べることも出来た。

 

それにしてもこのJR大分シティ、実によく作ってる。釘宮前市長もインタビューで語ったように「一番田舎で一番最後だったから全国各地の成功例を取り入れられた」との事。

 

勿論そうだけど、大分の田舎の地主や利害関係者を取りまとめる苦労は「成功例」には書かれていない。

 

さあ次はトキワと中央町商店街、そして竹町商店街だ。紙に書かれた言葉で危機感というのではなく、本当に鳥肌が立つように自分個人の危機感を持って変われるか?

 

その後大分駅からソニック48号で博多に向かう。大分16:45発博多18:47着。今回の出張最後の市場調査と情報収集である。



tom_eastwind at 20:18│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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