2016年03月29日

逃げろ!

ニュージーランドは小さな国であり社会福祉も整っている。整いすぎているとも言えるが20世紀前半の社会主義時代に作られた「すべての国民の健全な生活を維持する」考えから、子供が生まれる際の費用の全額国負担、医療保険は国家管理で基本は国家負担、学校を出て仕事がなければ国家が職業訓練をやってくれる、65歳まで仕事がなければ失業手当が払われ、65歳から年金が支給される。死ぬまで国民を守る仕組みがある。

 

勿論良いことばかりではない。コンビニはないし路線バスは道を間違えるし銀行では誤入金がよくある。Aucklandは物価高なので給料が上がらないときつい。

 

ただ一つ言えるのは、お金がないから親子心中したという記事を見かけない事だ。人々は幸せそうな顔で年を取り毎日笑顔で楽しく生きていってる。

 

日本で「食っていけず親子心中」のニュースを観るとほんとに胸が痛くなる。何で死ぬまで追い詰められたのか?親子に逃げ場所はなかったのだろうか。

 

それだけでない、学校でのイジメが原因で自殺する子供たちもいる。ある日自宅に帰ると首吊り自殺をした子供がいる。彼らに逃げ場所はなかったのだろうか?彼らを守る方法はなかったのだろうか?

 

イジメは社会で成長していく上で耐えるべきところもあるが、それが行き過ぎて自殺してしまってはどうしようもない。

 

日本では何かにつけて「頑張ります」であり一所懸命同じ場所で頑張ろうとする。ここに無理がある。元々一所懸命とは同じ場所で懸命に頑張ろうとすることだ。村社会の中にしか頑張る場所はないのであるからその場所が合わない人にはどうしようもない。

 

そして今の日本で同じ場所で一所懸命頑張ってもどうしようもないと気づくと自殺するしかなくなる。子供が同じ教室で毎日通学する必要があるのか?逃げろ!圧倒的な敵に対して避難するのは当然だ。逃げる場所はあったはずだ。転校させてもクラス替えしても良い。

 

もっと言えば本当は学校がいじめてる側の子供を特定してクラスから追い出して特殊学級(いじめをする連中だけのタコ部屋)に入れれば良いのだ。卒業するまで一般の子供たちと触れ合うことはない。自分のやった事を肌の痛みで理解しろって話である。

 

お金がなくて自殺する親子心中でも、その前にやれる事はなかったのか?逃げ場所はなかったのだろうか?親、親戚、兄弟、他の街、そして役所。役所の仕事は憲法で決まってるし憲法では国民の生命と財産は保障されなければいけないと明記されている。その為の予算として労働者は高い納税を行っているのだ。

 

つまり役所が最後の「国民を守る壁」なのである。予算は国民から吸い上げた税金である。基本は自助であるが状況によっては公助が必要な場合がある。ところがいつの間にか国民を守る筈の壁が国民を追い出すための壁になっている。

 

そして善い国民は「社会に迷惑をかけちゃいけない」とひっそりと自殺する。納税はひたすら高く社会福祉は水際作戦で止める。これで正しい税金の再配分と言えるか?

 

まずは逃げろ。どのような形でも良い、命が何より大事だ。生活の目処が立たないなら子供を連れてコンビニに行き果物ナイフを見せて「すみませーん、お願いしまーす、強盗でーす」と言えば良い。

 

そうすれば親子はバラバラになるけど少なくとも子供は飯が食える。親は臭い飯でも食える。いつかは会える。生き残るとはそこまでやることだ。死ぬよりはマシである。

 

そして最後に提案したい。どうせ死ぬ覚悟をしたのなら社会に仕返しをしろ、である。

 

どうせ死ぬなら、橋の上から乳飲み子を抱えて黙って川に飛び込むくらいなら厚生労働省の前で「日本死ね!」と叫んでガソリンかぶって親子で焼死すれば良い。

 

官僚には逃げ場のない人達など視野に入ってない。ああ今日も人が死んだな、匂いも写真もない無味無臭な新聞ネタでしかない。

 

ならばよい。焼死体がどんなに臭くて醜いものか、役所の前で焼身自殺して官僚たちに見てもらえば良い。それが不公平な社会に対する逃げ場のない国民の最後の抗議である。



tom_eastwind at 12:47│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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