2016年05月30日

空気を読む

今日から日本出張。機内で「空気読めない」研究をした本を読む。

 

作者は山本七平、1983年発刊。本のタイトルは「空気の研究」山本七平は戦後論壇文化の中では有名であり特に自分が兵隊になって戦地に送られた時の日本の社会構造のその仕組の矛盾や命令系統の批判を行ってきた。

 

つまり女子高生がKYなど言わなくても空気を読む文化は日本に根付いているのであり山本はその頃生まれていなかった女子高生に対して1980年代の過去から批判をしているわけだ。

 

本の中で戦艦大和の話を書いている。戦争末期であり沖縄に戦いに行っても絶対にムリだというのは上層部の論理的な意見であった。

 

末期の沖縄に大和を出陣させてても途中で撃沈される可能性は高い。更に沖縄に到着しても帰路の油はなく断薬補充はどうするのか?戦いに出すのはムリ、それが誰もの共通認識であった。

 

ところがそれがいつの間にか空気に流される。ある時青年将校が「ここは一発乾坤一擲、大和を出すべきです。勝つ負けるなど大和精神があれば関係ない」と仲間に話す。

 

すると彼らは論理的帰結を知らないままに「そうだよ、日本は大和を持っている、大和を出せば勝つ」とか「今大和を出さねば何時出す?」とか、挙句にその場の空気は「興国の一戦ここにあり!」に流れていく。

 

彼らは何かの論理があるわけではない。あくまでもその場の空気を読んで空気の流れについていって大和を出撃させ案の定沖縄沖で米軍航空機によって撃沈された。

 

話はそれるが戦艦運用面で観ればこれは例えて言えば「ケーキの一番美味しいところを残していたら落ちちゃった」である。

 

車の魔女裁判というのもある。当時の日本は公害が酷くてその原因の一つに車が挙げられた。マスコミやテレビが毎日車を叩く中、魔女裁判が開かれる。被告は車である。

 

裁判官「お前が吐き出したガスに問題があることが分かった。」

車:「あのー、科学的根拠はあるのでしょうか?こちらでは科学的根拠を持っておりますが」

裁判官:「逆らうとは何事じゃ、第一車が毎日人を撥ねているではないか?お前は社会の狂気なのに、なにを生意気な事を言うか!」

車:「僕は運転手の指示に従って動くだけです。人を跳ねる問題はそもそもそんな人間に免許証を発行した貴方側にあるでしょう」

裁判官:「何と生意気な!火を点けてしまえ!」

 

とにかく空気を理解しない場合は村八分にされKYにされ社会の中で生きていけなくなる。

 

空気とは法律より上位であり事実より優先され論理は無視されて、その空気が日本を動かしている。そしてこの空気は霞が関にもある。

 

東大法学部卒業の超エリート軍団であり事実を認識出来て論理も理解出来てそれでも非現実的な戦略を取り崩壊への道を歩むのが空気の構造である。

 

日本人の非論理的な行動は行動を起こして後になって「いや、あの時は反対出来る雰囲気ではなかった」となる。

 

時には戦時会議参加者高級参謀の多くは絶対にムリだと分かっててお互いに顔を見合わせて何も言わずその場の空気に流されて戦略を組みインパール作戦などというあり得ない馬鹿げた戦闘を始めて、そして案の定敗退して逃げる途中で多くの敗残兵が死んだ。

 

戦後インパール戦争の敗退という事実が知られるようになると当時の司令官などが追求されたが「いやー、あの場の雰囲気ではNOとは言い出せない、皆が頑張ってやろうとしている事を止めることは出来なかった」。

 

実は周りの高級参謀も多くは反対であった。ではなぜこんなことが日本最高の知能を集めた大日本帝国陸軍に発生したか。空気が発生したからである。

 

ぼくらだって普段生活する中では論理を言えばウザがられるし事実を述べれば嫌な顔をされてそのうち周辺に付き合う人がいなくなり「あの人KYだよね」となってしまう。

 

空気を読む。難しいものである。



tom_eastwind at 13:10│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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