2016年08月21日

白血病

原発事故後の被爆で労災認定、元作業員が白血病。二人目

http://www.asahi.com/articles/ASJ8N24TJJ8NUBQU003.html

 

経産省は原発再稼動ありきで活動している。

 

戦前の日本のエネルギー政策は石油ありきであった。米国と関係が悪くなり石油が送られないとなると米国との強調ではなく他で石油を取るために南方に進出、太平洋戦争を始めて関係ないところに陣地広げて最後にボロ負けした。

 

当時の本を読むと無謀な作戦に対して高級参謀が「いや、自分はどうかと思ったが言える空気ではなかった」と発言している。とにかく精神論、兵の武器も食料の補充もまともに考えずに送り込み不沈艦と呼ばれた戦艦は出し渋り戦争末期に撃沈された。どこが不沈艦だ。

 

例えばインパール作戦などは食料補給は現地調達、実行時期がずれて雨季に入りアラカン山脈は普通では越えることが出来ないような状態であったにも関わらずその場の雰囲気で「決めたから行け」である。

 

そこで多くの兵は精一杯頑張って例えば大砲であれば分解して兵士が持ち何とか山脈を越えて山脈を越えたがそこで英国軍に打ち破られて敗走、途中多くの餓死者がアラカン山脈に朽ちていった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/インパール作戦

 

まさに高級な阿呆である。状況が分かってても発言しない。なら何故会議に参加したのか?

 

空気を読む日本人、それが結果的に陸軍大学を主席で卒業したような高級軍部にまで浸透して周囲との調和が先になり「あいつが言うんなら一回やらせてやるか」と戦争の現実から目をそらして破滅を迎えることになったのだ。まさに高級な超高級な阿呆集団である。

 

戦後のエネルギー政策に大きな影響を与えた一つがオイルショックであろう。自前の資源を持たない日本はどうあるべきか?何時迄も中東資源に頼っていられない。

 

そこで経済産業省のエリート達が考えだしたのが原発とウランの再利用である。ウランさえあればこれがグルグル回って永遠にエネルギーが作られる。

 

これを日本の田舎に作ろう、そこから東京に電気を送れば日本は資源確保が出来る!ここまでは「やったー!」である。

 

そこで政府は田舎に向けて原発安全キャンペーンを日本中で行った。「原発は安全ですよ、ほら、どこそこ大学のセンセイも安全と言ってる、信用出来るでしょ、だってあんた、大学のセンセイだよ!」

 

原発を受け入れれば周辺施設の整備も電力会社がやってくれる、発電所の仕事も生まれる。田舎にとっては有り難いばかりである、何てよい話ではないか。

 

唯一の問題は原子力発電所というのはモノでありモノが壊れないという保障はどこにも無いということだ。

 

壊れたらどうするのかと言うと「いや、壊れないから大丈夫」しか言わない。いや、モノはいつか壊れますよね、そう言っても「壊れません」で終わり。

 

設計図上では壊れないと言っても人間が管理するのだ、どこかでミスが起こって壊れたら?「いや、壊れない構造になってますから」

 

つまり官僚が決めた壊れない安全政策ありきであり現実に壊れるかどうかは別の話なのだ。壊れる可能性を認めた瞬間原発誘致は出来なくなる。

 

「でもモノだから一応40年使ったら壊れないけど廃炉にしましょう」。当時の官僚からすれば40年先ってのは自分が退官した後の更に相当先、おそらく自分が死んだ後の話である。だったらそれは後輩が考えれば良い。

 

ところが実際はどうであったか、福島原子力発電所というモノは壊れた。米国など現実主義で動く国では「モノは壊れる」という事実を前提に計画を作る。そして状況が変化すれば変化対応すれば良い。

 

米国人が日本の会議に参加して意味不明になるのはこういう現実主義をトップが理解してもそこは「空気を読んで」優秀な大学を優秀な成績で卒業した仲間内で忖度(そんたく)して足して二で割ったような現実にあり得ん対応をしてしまうわけだ。

 

何故ならそこにあるのは日本の最高学府を卒業した大先輩達が「やる」と決めた計画なのだからそれは絶対に正しいのだ。その後状況がどう変化しようと「やる」のだ、そうでなければ大先輩達の考えを否定することになる。経産相に間違いはない。

 

日本人が一番苦手なのが決断で更に苦手なのが変化対応である。これは役人も一般人も変わらない。経産相の場合でも何も変わらない。そして彼らは法律も予算も政治も握っているから意見が「通る」のだ。それが正しいか?当然だ、先輩が作ったんだから。

 

こうやって日本はいつも大事な所で状況変化に目をつぶり取り戻しの出来ない事になるまでやってしまい、不沈艦は撃沈され安全な原発は吹っ飛んだのだ。

 

しかしだからと言ってそれは原発事故が起こるまでは政府の安全神話を何の疑問も持たず信じこんで無知蒙昧に堕した人々が事故が起こった後に騒ぐのを完全に正当化するものでもない。



tom_eastwind at 08:28│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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