2017年01月13日
打ち返す
年明けから立て続けに様々な案件が飛び込んでくる。
この仕事をしていると毎日同じことの繰り返しというのが無い。何故なら世間の変化がそのまま飛び込んでくるわけで昨日と同じ今日がないのである。
朝会社に行き一日の予定を時間単位でこなしていくのだけど毎日必ず何か「えー!」と思うような事が突発的に起こる。
そんな生活をオークランドで20年もやっているとちょっとやそっとでは「えー!」も出なくなる。「ほー、そう来たか」であり頭はすでに突発事件をどう対応して最善の手段を選択するかと動き出している。
これはテニスと似たようなものだろう、フェデラーが自分のコート内に入った黄色いテニスボールを瞬時に打ち返す時にいちいち考えず反応するのはそれまでの練習で思い切り鍛えたから反射的に体が動くのだ。
僕の場合も似たようなもので今まで様々な突発的経験をしてきたので何かあればすぐその場で対応する。相談する相手もいないのですべて自分で判断して決定してその結果責任もすべて自分で取るので他人を気にせずにいれる。
誰かが突然待ち伏せ的にボールを打ち込んでくればまずはとにかく相手のコートに打ち返す。それから考える事もよくある。
こっちが知らなくても相手にとってゲームは始まっているのだ「えー!」なんて言ってる時間はない。
例えば2004年に起こったホテルインターンシップ事件などはまさにこれだった。
あれこそまさにこちらが全く予想もしなかった時にいきなり「待ち伏せ」を食らって全国新聞やテレビニュースのトップを飾ったものだが、とにかく取り敢えずボールを相手のコートに打ち返してから「誰が仕組んだんだ!」と考えても分からない。
そこでマスコミ取材では相手に対して英国人が理解共有出来る倫理観や契約観念をベースにして打ち返した。
「あなたには倫理が分かるのですか!?」と語気を荒めて質問する記者に「え?倫理って何ですか?」と返した時には相手が唖然として次の言葉が出てこなかった。最初に倫理の観念が違うって返せば相手はそこから先の議論にいけない。当時の記録は今でも手元にある。
契約観念についても「タダ働きさせた!」と主張する記者に僕は「あなた達はインターンシップという制度を知っているのですか?学生が社会人になるために企業で無給の期間限定実務体験をするのですよ。それがホテルと当社と当事者の間できちんと契約をされていてその後のホテル就職にも繋がる。それのどこが問題なのですか?」と返した。
取材後にテレビ局のカメラマンが僕に「あのさ、お前は悪い時に悪い場所にいただけだよ、気にするなよ」とあっさり言われた。
その後めちゃくちゃ頭に来て労働局と移民局にも行って調べてみて分かったのが「お前は悪くない、悪い場所に悪い時にいただけだ、相手は労働組合だよ」だった。
何のことはない、インターンシップに参加した女性のホームステイ先が労働組合と繋がっててそこと地元新聞がつるんでホームステイオーナーが「夕方の公園で今晩住むところもない初めて会った日本人女性を保護した」という話に切り替わってこの待ち伏せが行われたのだ。
ただボールを打ち返すにしても自分なりに幸運だったと思うのはやはり子供時代に読書を通じて追体験を得ることが出来たからだと思っている。子供時代に図書館で色んな本を読んだ事が社会人になって生きているのは毎日の生活で良く分かる。
僕は高卒だし小中高と何が一番キライだったかと言えば学校の授業だった。なのでかなり積極的に先生に嫌われたタイプである。
一番ひどかった時は数学の時間になると授業が始まって最初の5分で手を挙げて「先生、トイレ」と言って授業が終わるまでトイレにいたのが一学期くらい続いてた。
けどその分図書館の本が僕にとっては良い先生になってくれた。世界中の良い本を集めて無料で貸してくれるのだからこんな良い場所はない。
そこでは科学から歴史、宗教、政治、色んな事を学ぶことが出来た。
「ALIVE」という本では「人間が生き残るために死んだ仲間の肉を食うことは許されるのか?」がテーマだった。これは大岡昇平の戦記にも繋がる。
1970年代当時は日本でも社会党がどうこう言ってたが読書を通じて共産主義が人間には実現出来ない、てか人間が人間である限り実践出来ない性善説を基礎にした理想論であることも分かった。
僕にとって学校生活の中で授業で学んだ事は理不尽への反抗であり図書館で学んだのはまだ見ぬ世界だった。
あの頃の読書が今の自分を作っているのだなーとよく思い出す。生きるとは戦うこと、そして実践することだ。