2017年01月25日

オークランドに戻る

今日のキャセイ航空で羽田から香港経由でオークランドに戻る。


今回の出張は激変していく日本をまさに目前で観た感覚である。「恵比寿が変化している」でも少し書いたが千住の山谷とか大阪の西成は基本的に浮浪者の街であるのは今も昔も変わらない。

 

そして彼らを必要とする建設業界の仕事の多くが公共事業であり1998年頃には約15兆円あった公共事業費が2014年には6兆円と激減している。

 

従って日雇い労働者は木賃宿に泊まることも少なく山谷では野宿かブルーシート、西成でも似たようなものだ。

 

仕事に使う作業着だけを持ち日本中どこでも働けるようにしているが彼ら雑工の給与は泊りがけなら1日で15,000円くらい。日帰りの仕事なら5千円程度だ。

 

ところが泊りがけの仕事になるとそこから家賃、食費、洗濯等で1万円くらい取られて手元に残るのは5千円。そこからカップ酒やジュースを買うとあまり残らない。だったら安くても日帰りの仕事の方が良い、ねぐらに戻れば仲間もいるからだ。

 

日雇いの仕事は1949年には東京都の失業対策からニコヨン(百円玉2個と十円玉4個)と呼ばれて安かったがその後時代が過ぎるに連れ憂歌団の歌にも出てくるおそうじオバチャンが「一日働いて二千円!」だった。

 

しかしそれでも当時は探せば仕事はあったし一生懸命働けばそれなりにお金も溜まっていたが今では週に5日の仕事が見つかることはない。それでも生きていくために毎日作業着を洗い道端に布団を敷いて寝る生活を続けている。

 

もう何年前か忘れたが渋谷駅ハチ公から右に行き線路をくぐってすぐ左の路地に入るとそこにはブルーシート村が線路沿いに広がっていた。

 

けれど彼らのブルーシートが渋谷で生活してる人々の目に入ることは決してない。ちょうどあべのハルカスという大阪の新名所があるけどそこから歩いて15分の西成には誰も行かないのと同じだ。西成のすぐ隣には飛田遊郭がある。

 

不可触賤民と不可触賤民地区は今も現実に存在する。そして今回は何故かそれを強く意識する事になった旅であった。

 

さて。やっぱり空港は近くて使いやすいのが有り難い。

 

羽田空港も都内に近い、てかもう東京都内である。戦前からの空港は風の流れや地形を計算して作っているから政治の流れや金の形を計算して利権の塊として作っている戦後の空港のように不便でない。

 

8時過ぎにホテルを出てタクシーで30分で羽田空港到着。チェックインして荷物を預けて通関を抜けたゲート近くにある屋台形式「フードコート?」のお店で軽く朝食を食べながら通路を足早に歩く人達を観ていると大きな時代の変化を感じる。

 

羽田空港は成田開港に伴い基本的に国内線専用空港になったが現実問題として成田空港は東京から車で2時間離れた山の中にあり空港に向かう道の途中では次々と山の中に切り開いたラブホテルが並び外国から来た観光客が「何故このような不便な山の中にホテルがあるのか?」と疑問に思われたものだ。

 

ましてや国際空港と標榜しつつ空港内のサービスは田舎丸出しであり到着ターミナル1階では地元の野菜直売なんかもしている(今はどうなのか、成田を利用していた時代の話)。

 

空港職員向けなのだと思うがそれにしても世界トップクラスの街の国際線空港のどこで地元野菜売ってるか?

 

近年になり羽田空港の滑走路が拡張されて国際線の受け入れが始まるとそれまでの鬱憤を晴らすように一気に外国航空会社が羽田路線を確保、いかに成田が外国航空会社にとって不便だったがよく分かる話である。

 

機内では新しい映画積ん読してた本の読書、こんな場所でなければどちらもゆっくりと楽しむことが出来ない。

 

まもなく中国の旧正月が始まるので機内は混み合っており羽田から香港までは約4時間であるが出発してすぐ右手に富士山がきれいに観えた。今回はホテルの部屋からも観ることが出来て幸運である。

 

香港では乗り継ぎ時間があるのでシャワーしてからゆっくりと夕食して夜9時の飛行機に乗り込む。ところが全員乗り込んでいるのに出発が20分ほど遅れるとの機長からの案内。ニューイヤーで何時もより多くの飛行機が離発着しているのだとの事。

 

さあ、オークランドに戻ろう。



tom_eastwind at 20:17│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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