2017年02月01日

長い銀の匙

今の日本には優秀な成績で大学を卒業して一流企業に就職してバリバリ働く30代後半から40代前半の男性サラリーマンがたくさん存在する。

 

ただ彼らに共通する特徴を僕が東京で仕事をしていると常に感じる、そこに昭和から平成への時代変化に伴う大きな意味での個人の意識変化が起こっていると思う。

 

それは非常に単純で昭和の時代は皆が助け合うことで成長して来たが平成の時代では誰もが「自分だけ生き残る、自分の利益を最大化するけど他の人はどうでも良い」という意識に変化したということである。

 

彼らの父親の時代は昭和で世の中の人々が助け合って生きていた。近所の人達がお互いに自発的に助け合うことで彼らも自分や家族を助けてくれて社会が安定して治安も守られ子供が社会や地域の宝として存在も出来た。

 

ところがそんな子どもたちが高校生になる頃時代は平成になり1990年代にバブル崩壊、富士通の能力主義(成果主義)が導入されたりする中でリストラ、挙句に絶対潰れるはずのない銀行や証券会社が倒産。

 

そんな中で今まで助け合ってきた父親世代は次々と社会から駆逐されて他人の為に何かしてたら生きていけないような時代になった。

 

時代の変化を感じ取りそんな家族や父親を観てきた子供は「今の時代、自分が生き残ることが最優先であり他人の事など無関心、積極的に放置する」考え方になった。

 

けど根本的な部分で都市や社会って色んな人がそれぞれの能力を持ち寄って適材適所で助け合うから成長するわけであり、お互いに助け合わないままに沈む人を無視しておくといずれ自分が「沈む人」になる。

 

フランスのルソーは「人は森の中で個別に住んでいたから危険な動物や他の部族に食われた。だから彼らは自分の身を守るために都市に移住して都市の中でお互いを助け合うことで安全な生活を作り上げた」と語っている。

 

まさにその通り、自分だけでは生きていけないのが社会であり社会が嫌なら森に出ていって自分の力だけで生活するしかない。けどそれは持続して生きるという意味では非常に危険である。

 

その意味で現在の東京で仕事をする、例えば銀行に行ったり士業の人々と面談したり企業を訪問してみたりすると彼ら優秀な頭脳の持ち主の他人に対する無関心さというのを痛く感じるのである。

 

社会の助け合いがなくなっているってのも東京都内のレストランやカフェに行っても同様でありそれがクレーマー現象である。

 

おいおい、いちいちそんな事で怒るのか?こっちがカネ払っているからって相手に何言ってもいいのか?お互い人間だろ、助け合うべきだろ、そう思うべき時に相手の気持なんか考えないままに怒鳴りつけ相手を不幸にして社会全体をギスギスさせていく。

 

こうやってギスギスした社会って実は自分だけ生き残れば良いって人々が増えたから発生する現象だけどそれで嫌な思いをするのは自分である。

 

あなたが頭良いのは認めるよ、すごく賢いと思うよ、けど他人に無関心って「先のない人生」になってしまい社会全体の成長を止めてしまうよ。

 

以前書いた事で「長いフォークの話」がある。

 

天国のテーブルでは座っている人が皆長いフォークを持ってて自分の口には遠すぎる。けど料理を取って向かいの人の口に入れることが出来る。皆がそうやって助け合ってお腹いっぱいになる。

 

けれど地獄のテーブルではお互いが自分のフォークで料理を取って他人に食わせずに何とか自分の口に入れようとするが何時まで経っても口に入らない、フォークが長すぎるからだ。

 

日本の高齢化とか今の40代が将来年金貰えるのか?とか医療費自己負担どうなるのか?とか問題は山積みであるが、だからと言って人々が皆他人に無関心になってしまえば社会そのものに魅力がなくなり単なる生き残りゲームになってしまう。

 

生き残った先に何が残っているのか?皆が死に絶えた後に自分だけが生き残っているのか?そう考えれば少しくらい自分の時間を他人の為に使ってみればどうだろうか?少しくらい他人に関心を持ってみればどうだろうか。



tom_eastwind at 21:52│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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