2017年02月07日
大阪のらーめん屋
今日はちょっと昔話。
大阪の心斎橋とか道頓堀にはざっけ無く美味しい店がずらっと並んでいる。特にたこ焼きとかお好み焼き、それにもうちょっと南に下った地域の焼肉なども鶴橋ほどではないけどどこで食べても実に旨い。
どこの店も、もう最初の一口でそれが何料理であろうと「旨い!」と言わしめるほど旨いので「大阪の食べ歩きガイドは不要、何故ならどこでも美味しいから」と言わしめた。
りょうま君なんて日本食も何も全く区別の付かない時期であり東京のホテルの美味しいと言われてる寿司を食べさせてひとつ食べたら品よく「お父さん、ぼくお腹いっぱい」と言ってささっと部屋に帰るくちだったが大阪だけは別格で今までみた事も食べたこともないたこ焼きを一口ほうばっただけでパクパクと無言でひたすら食い続け10個入りを全部食べ終わってにこっと笑ってすぐ「もう一個ちょうだい!」であった。
三角公園のたこ焼きに一度連れて行ったらずっと覚えていて大阪に行く度に「たこ焼き、食べるー!」と片言の日本語で自分の丸々のほっぺたにOKマークを付けてねだったものだ。
家族も大阪のたこ焼きや焼肉が大好きで日本の旅行で新幹線移動の際にはあえて食べるためだけに新大阪駅で途中下車して一泊してたものだ。心斎橋の屋台たこ焼きも旨いし当時はあまり知られてなかった難波の肉吸いも家族で食べて「面白いねーこれって!」と喜んだものだ。
ところがその当時一つだけ不思議な店があった。そこはラーメン屋なのだけど「三回食べたら病みつきになる」との事。
ふーん、どんなものかと思ってた食べたらこれが美味しくない。だらっとした麺にふにゃっとしたぬるいスープにキャベツをざく切りにして煮込んでいるだけの料理だ。君は麺入りポトフか?と思ったくらいだ。
いや、店が小汚いとかオープンキッチンの中がぐちゃっとしているとかなら博多の元祖長浜ラーメンなんてテーブルも椅子も油で汚れて店員がテーブルに置いた丼がその勢いですーっとテーブルの上を滑るくらいである。
特に夜中すぎの混み合っている時に行くと丼の縁に口紅べっとりなんてのもあるくらいで、裏を見たらタライに丼を突っ込んで洗ってたりで臭い汚いのには大概慣れている。
けどそれとは異質の汚さであっった。でもってこれをラーメンと呼んでいた。これがラーメン?まさに理解不能であった。
いや、ラーメンと思うから不味いのだ、ではない。家族も大阪の料理はそれが何と呼ばれようが何料理であろうが美味しいものは美味しいと言ってたのにこの料理だけはOUTであった。
三回ってどういう意味だと思って壁を見たら「一回目はなんだこりゃ?と思う」「二回目はおおこりゃ!と思う」「三度目には美味しく感じる」
つまり一回目が不味いと感じるのは当然、みたいな書き方だ。そっか、僕が不味いと感じたのも当然なんだな、だって店が認める程不味いもの。
でもって二回目が「おおこりゃっ!」てのは舌が段々麻痺して来た証拠。
でもって三回目に美味しく感じるってのは下世話な言い方をすれば「ブスは三日で慣れる」であろう。慣れたら幸せになれるのだろう。
ここまで来れば面白い営業戦略ではあるが(そう言えば大阪では北海道の銘菓“白い恋人”を“面白い恋人”と書いて売ってた、その延長か?)、あれだけ美味しいものがある大阪なのに何でラーメンだけはこうなのか?まさに疑問であった。
これなら金龍の方が開き直ってる分だけまだましと思ったものだった。わなかのたこ焼き食った後に隣の金龍でラーメンライス食ったらよほど「まし」であった。ちなみにご飯は美味しかった。
元来大阪では粉ものが主食であり粉物は美味しい。ならばラーメンだって粉ものであり美味しくて良い筈なのだ。
ラーメンが何も東京の特色ある食い物ではないし1980年代の東京のラーメンなんて美味しい店を探すのにガイドブックが必要なくらい不味かったし寿司屋で寿司を注文すると着色料で真っ赤なタコとかマグロがどす黒いとかで特に新橋駅ガード下のうどんなんてありゃあエイリアンしか食わないだろうってくらいお湯に濃ゆい醤油を溶かしただけの汁にいつ打ったのか分からないし口に持っていく前に2cm毎に麺自体の重みでぶちぶち切れていくような切れ味の良い麺であったのだから東京に対する反発があるなら美味しいラーメン作れば絶対に勝てる時代だったのに何であんなラーメンなのだったのか、今でも不思議な思い出である。
件のラーメン店は現在は東京にも展開中であるが新宿歌舞伎町の店のメインは酔客との事。酔客の常連、あはは、味分かるわけないよね。