2017年02月22日

弁護士は神様じゃない

日本人の真面目さというか弁護士は先生であり何でも知っていて答えは一つしかない、弁護士先生は正解しか言わないという思い込みがあるようだ。

 

僕は日本に住んでた頃から弁護士は普通の人間であり他人より余分に法律を知っているけど完璧でもなければ正解しか言わないということはないと思っていた。

 

もし法律の答えが一つしかないのであれば裁判所など不要である。司法権力が法律に則って量刑すれば良い。しかし現実的には様々な解釈があり人によって観る角度や観える角度が違うから話し合いが必要になる。

 

その話し合いの基礎となるのが法律であり法律をどう解釈するかで答えは変わってくる。

 

こんなの当然の事だと思うのだけど、真面目で健全な疑問を持たない人は「弁護士の先生にこう言われました!」と弁護士の言葉を神の宣託のように振り回し他の言葉が一切耳に入らない。

 

じゃあ一つの法律の解釈を5人の弁護士に聴いて答えが全部違っていたらどうするのだ?全部ご宣託にするのか?

 

昔の事件だがやはりある弁護士に相談しているのに他の弁護士に何か言われてころりとそれだけを信じ込んで宗教のようにご宣託を振り回して自分で自分の首を締めてたことがあった。

 

弁護士は基本的に「職業」であり「神様」ではない。法律をどのように解釈して自分なりの理論構成をするのかはその人次第である。

 

だからこそいろんな弁護士のセカンドオピニオン(第二次助言)を聴いてまわり自分なりにどれが合理的であり納得できるかを健全な疑問を持ちつつ判断していくしかない。自信ありげに大声で威圧する弁護士だけが偉いのではない。

 

特に海外で生活をする中では日本とは全く違う文化の中で育てられた価値観に基づいて法律が出来上がっている。

 

ましてやニュージーランドのように日本の法体系(大陸法)とは全く異なる法体系であるコモン・ロー(常識法)を採用していると日本人が日本の感覚で考えていても理解出来ない事が当然のようにたくさん出てくる。

 

それなのに真面目で勉強しない人は何かと言えば日本でも通用しない自分だけの正義を持ち出して「これが正しい!これだけが正しい!」と周囲に主張するのだけど、そんなもん当然通用しない。

 

ましてや法体系の全く異なるNZではまともな弁護士なら相手にしない。唯一その意見に同意して鼓舞してくれる弁護士とは着手金が欲しいだけで腹の中では「バカじゃないか」と思ってても表面では同意しているふりをするだけなのだ。

 

ところが初めて自分の意見を認めてくれた弁護士が出てくるとそれだけで舞い上がりその理論構成の矛盾や誤謬に気づかず考えもせずひたすらにご宣託を振り回すことになる。

 

NZは法治国家である。そしてそれは世界でもよく知られている。しかしその法律は決して国民全員が納得出来る内容ではないのも事実である。

 

この国で法律を学ぼうとする人が最初に目にするのはゴールデンルールと呼ばれている「法律とは正義を追求するものではなく人々の意見をとりまとめる(調整する)ものだ」という考えである。

 

法律が正義を追求する為の手段であるわけではないし、だからこそ個人が自分だけに通用する正義感を振り回しても何の意味もないどころか他人の迷惑になるだけである。

 

ならば真面目な人はどうすべきか?自分が住んでいる国の法律を学ぶしかない。その努力なくして自分だけの正義を語ることは自分の首を締めるだけである。



tom_eastwind at 14:05│Comments(0)TrackBack(0)諸行無常のビジネス日誌 

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